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コトバだけではない写真の魔力?

言葉に執着しすぎなくても良いのかもしれない。

毎月せっせとアルバムを作る妻を見て、ふと思った。

ALBUS(アルバス)大好き妻

妻はALBUS(アルバス)でアルバムを作るのが習慣になっている。
やってる人は割といるのかもしれない。


うちの子供はまだ小学生と園児だけれど、
家族で出かけると喧嘩したり、買って買ってと騒いだり
疲れたの、歩きたくないだの大騒ぎする。

そして帰ってきたら、
あ〜めちゃくちゃ疲れた。やっぱり家が一番…
と、夫婦で一休みするのがお決まりのパターンになっている。

そしてしばらくすると、妻が注文した写真(アルバス)が
ポストに届くのだ。

写真の魔力?

お出かけした直後に楽しかった!と言うことは実に少ない。

我が家の場合、すぐに出てくるコトバは大人も子供も「疲れた」
何とも残念な家族に思われるかもしれない。

でもその時撮った写真を一緒に見ると、感情はガラッと変わる。

この表情がいいね。

この時大騒ぎしてたな。

お父さんいつも同じ服着てる。

ニコニコしながら過去の記憶を想起できるのだ。
マイナス10が一気にプラス100になるくらいに
受け止め方が変わってくる。

そして、毎回大変な目に合うのに、
なぜか、家族でまた出かけたくなるのだ。

これは写真の魔力としか言いようがない。

考えてみれば、子供は自分たちの小さい時の写真を見るのが大好きだ。
自分も実家に帰った時に、見たくなったりする。

写真やカメラの趣味は全くないけれども、
noteで写真を眺めていても癒されるし、
コトバではない、何かのメッセージも伝わってくる。

たとえコトバになっていなくても、
メッセージを伝えることができるのが写真の魔力なのかもしれない。

カメラが趣味の人や、写真を投稿している人々からすれば
当たり前だと言われそうだけど。

コトバにこだわりすぎていた自分にとっては、新発見だ。

写真の魔力?を応用する


写真に人の感情を変える魔力があるならば、応用しない手はない。
何に使えるかすぐに思いついたのは、職場の風土を良くする可能性だ。

私が担当するスタッフは60人くらい。
その中で、雰囲気がいい感じの集団と、イマイチな集団が存在する。

その差が何かをずっと考えてきた。

ふと、今日の気づきを元に思い返してみると
雰囲気の良い集団は、写真の共有が多い。

プレゼンや議事録用の写真を撮ったり、
(そんなところまで撮る意味ある?と言う風景まで)
何かの節目で集合写真を撮って共有している。(遊んでいる?)

一方でイマイチな集団は、コトバだけでのやりとりが多い上に
ネガティブなコトバが目立っている。

もしかすると、写真の魔力の活用度合いに差があるのではないか?

コトバに執着せず、写真でメッセージを伝えるようにしたら、
雰囲気が変えられるのでは?

記念に集合写真を撮ったら雰囲気が変わるのでは?

なーんだそんなの当たり前、と思うことでも
意識して使えるかどうかは別だと思っている。

これは検証せねばならぬ。



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