演劇とは病気である。

「演劇とは病気である。どれだけ長く離れていても、またやりたくなる。」
高校時代、ある人に言われた言葉だ。
当時は中途半端にしか理解していなかったが、今は強くそう思う。


2019年、春。
高校を卒業して、当時活動していた演劇サークルで脚本を担当していた。
そこに参加していた役者の一人に「よかったら出ない?」とお誘いをいただいて、別団体の公演に役者として参加することになった。
横浜駅近くの小劇場で8月に上演するということで、元々のサークルの活動もそこそこに稽古に励んだ。
私は言ってしまえば端役だったが、それで十分だと思っていた。

本番の2週間前から集中稽古の期間に入った。パートのシフトを可能な限り開けて、朝から晩まで稽古漬けの日々。本番が近くなるにつれ、徐々に緊張感が高まる。
そんな中、役者の一人が「大学の部活で合宿がある」と言って、急に稽古を数日休むことになった。
その間は代役を立てて稽古をしなければならないので、私が代役をすることになった。しかし本番はすぐそこに迫っている。いつまでも代役で稽古するわけにもいかない。
結果、私とその人と役を差し替えることになった。残酷と思われるかも知れないが、やむを得ない。本番は3日後に迫っている。

役を差し替える、と口で言うのは簡単だ。書くのも簡単だ。
だが実際にやるのはかなり大変だ。
まず当然ながら、セリフを全部覚え直さなければならない。しかも元々の役の十倍以上はある。幸い、それ以前にも代役をしたことが何度かあったのでセリフは大体頭に入っていた。
問題は「どのようにその人物を演じるか」である。
一番いいのは、前任者と同じように演じることだが、中々上手くいかない。かといって試行錯誤する時間的余裕もない。
結局、元々のそれとは全く違うキャラクターとして演じることになった。

本番を迎えた。
2日間、昼夜2回公演。
初日はなんとか乗り切った。2日目の昼でやらかした。
全く違う人物の名前を口走ってしまった。元々の役のセリフとごっちゃになってしまったのだ。
人間というのは大きなミスをすると頭が真っ白になるという。私はそういう経験がなかったが、この時初めて経験した。
後で大目玉を食ったのは言うまでもない。


あれから2年が経つ。
一部は自業自得とはいえ、正直大変な目に遭った。
「もう舞台には立たない」と心に決めていた。


一昨日の「8ヶ月ぶりの観劇」以来、もう一度だけやりたいという気持ちが渦巻いている。
脚本家になりたいという願望はあるが、それでは舞台に上がることはない。
もう一度、照明を浴びて演技をしたい。
舞台演劇の楽しさは一種の薬物のようなもので、一度その楽しみを知るとどうしても抜け出せない。

演劇とは病気である。今になって、その言葉の真意を理解できた気がする。

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