Netflixと人間ドック
昨日の夕方、市役所の自立支援課の方と次回の勉強会のことでのんびりとした雰囲気で話していた。そこで彼らが話していて印象的だったことば。
「自分だったらさぁ、市役所の人が来たらさ〜嫌だよね。何かにこにこしててさ。来たんです〜みたいな。自分だったら家に入れないよね。」
何とも自虐的。「すみません。(あなたたちも)役所の方ですよね。」と思わずつっこんでしまった。
でも、確かに市役所の人って、実は私もあんまり関わりたくない。対応が冷たいし、何だか偉そうなイメージがある。(ひどい)
でもでも、思った。
これって私たち医療福祉職も当てはまらないか。
「病院なんか行きたくないよ。待ち時間も長いし、医者も偉そうだし。」
「検査が苦痛だよ。薬もらうのも待たされる。」
「施設なんか入りたくない。全部、時間で縛られてさ、自由がないじゃん。介護士に怒鳴られそうだし。」
私だって病院になんかなるべく行きたくないし、かかりたくない。
今から2時間の自由時間があるとします。あなたはどちらを選びますか?
①Netflixで好きな映画を見てのんびりと過ごす。
②病院へ行って人間ドックを受ける。
もちろん①ですよね。大体の人は①だと思うな。私もそうだ。
病院に勤めていた時期は、リハビリテーションの担当をしていた人の退院が決まった場合、私は必ずこう言っていた。
「また戻ってこないように頑張って下さいね。」
普通のサービス業だったら、言わないセリフだと思う。「またお越し下さい」にはならないのだ。自分で言ってて「何だか変な仕事だな」と思っていた。
そう考えると特殊な場所であると思う。
7月に見た「福祉と建築」のイベントで「病院」を健康を作る館「健院」へと言う話をしていた方がいた。
東京大学名誉教授の長澤先生だったと思う。
ナイチンゲールの主張として長澤氏は、「病院にいる限り、患者は医療・看護者に頼り、自分自身が回復する過程にあることを自覚しないため、内科的・外科的治療を終えたら速やかに回復期の環境に移すこと」を紹介。さらに「全ての病人は、家庭、あるいは社会の中でケアされる世界がいずれ到来し、100年後には病院はなくなっているでしょう」と予見したそうです。長澤氏の提唱した「健院」と似ていますね。長澤氏は「今までは、手術室のように、機能に応じて空間を作っていたが、今後は空間ファーストでいいのではないか。空間さえあれば何とでもなる」と締めくくりました。
ナイチンゲールさんもすみやかに病院を出た方が良いと言っていたんですね。このイベントは建築についてがテーマであったので、空間についての話で締められています。
「健院」とまでいかなくとも、病院で過ごすことがつらくないような工夫は空間的な配慮もそうだし、時間の使い方もそうだし、対応するスタッフの関わり方も改善できることが多いと思う。
関わり方については、今読んでいる途中の本があるのだが、読みながらうんうんとうなっているところなので、後日、何かを思って書くかもしれない。
個人的には待ち時間を有意義にできないかなと思う。
例えば、ネット環境を整備して、仕事ができたり、動画が見られたり、音楽が聴けたり、くつろげるといいと思う。
マッサージも受けられたり、おいしい物が食べられるといい。
温泉とまでいかなくとも足湯があったり、漫画喫茶があったり、スポーツジムがあったり・・・
すみません。夢が広がりすぎました。
現在、全国の病院の中でも様々な工夫をしているところはある。例えばアートの力をかりて楽しい場所にしている病院。
これはすごくいいなあと思う。
「1%フォー・アート」という取り組みもある。
「1%フォー・アート」とは公共建築の建設費の1%を、その建築物に関連・付随する芸術・アートのために支出しようという考えです。
自分たちの会社では、建物内にアート作品を置いたり、イベントでアートの力をかりていきたいと思う。
少しずつ変わっていくことができて、「病院にぜったい行きたくない」から「まあ、たまには行ってもいいか」くらいの印象になれるといいし、健康について一緒に考える時には、なにか楽しいものの力をかりて、自然と無理なく市民の方が健康を意識できるようになれればとても素敵なことだと思う。
そうなっていくことを願っている。
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