いつも同じものを見つづけること


今日は利用者さんと一緒にあんでるせん手芸をしている時に「春はあけぼの」の話になった。
枕草子だ。


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春はあけぼの(がよい)。じょじょに白くなっていく、山ぎわ【山に接している空】が少し明るくなって、紫がかかった雲が細くたなびいている(その景色がよいのだ)

私は想像してみた。

じょじょに白くなっていく。

山ぎわが少し明るくなっていく。

紫がかった雲が細くたなびいている

いいと言われている景色を。


私はこれらの景色を想像することはできるが、その景色は

非常におぼろげで

曖昧で

ちぐはぐで

解像度がかなり低い。

それはこの令和の時代に突然現れた
ブラウン管テレビのようでもある。

要するにはっきりとした景色が、実体を伴って浮かばないのだ。

まったくもってリアリティがない想像図になる。
それはまるで「まんが日本昔話」に出てくる絵のようでもある。

まず春と夏の夜明けの山の景色の違いがあるのかが
私はきっとわからない。

それを言うなら秋だって冬だってよくわからない。

「それは私自身が山を良く見ていないからだ。」と
仕事中に訪問車を運転しながら見えてくる、私たちの地域の山を眺めながら思う。

あれ?山ってこんな色だっけ....?うーん。


【毎日同じものを見つづける事】って
すごい事だと思う。

いつも海に行く人は海を

子供を見ている親は子供を

学校に行く人は学生や先生を

料理をしている人は料理を

山に行く人は山を

動物を飼育している人は動物を

街を見ている人は街を

工場で機械を扱う人は機械を

編み物をしている人は毛糸を

会社で働く人は会社を

ケアをしている人はクライアントを

みんなその対象物の表情をつぶさに毎日感じ取っているはずだ。

それはすごい強みでもあると思う。

だって「いつもと違う」がわかるから。


山が生き生きとしているのか、かすんでいるのか、どっしりとしているのか、雄大なのか、切り立っているのか、静かなのか、美しいのか、そびえているのか、毎日見ているからこそ、季節の表情や毎日の表情がわかるのだ。

そんな世界があることを思い浮かべるだけで、私はとても幸せな気持ちにもなれるし、どこか途方に暮れてしまいたい気持ちにもなる。まだまだ、自分の世界は無限に広がる可能性も感じるし、一生のうちに見られるものなんて高がしれているという恐ろしい事実にも愕然としてしまう。

だからこそ私は、愛する人の、そして私のまわりにいる人たちの、ちょっとした「いつもと違う」にも気づきたい。

同じセリフを放っていても
そのことばたちがどのように着地していくのかを
しっかりと見届けたいと願う。

どんな温度で、質感で、表情で、速度で、大きさでそのことばが表現されていて、どこに到達していくのかを詳らかにゆっくりと見守りたいと思う。

そしてその精度を上げるための手がかりとして

まわりにある何気ない自然物を見つめることが

何となくいいのではないかと

春はあけぼの~から思ったというお話でした。


いつか
春の夜明けの紫がかった細くたなびいている雲を
体感として感じ取れるようになりたいものですね。



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