人生っておもしろいよ
「私は露草のようだ。」
そのセリフを聞いたのは、私が訪問リハの仕事中であった。
認知機能が低下してきている女性の利用者さんに、「脳トレ」と称した計算プリントをお願いして取り組んで頂いている時だった。
「こんなの楽しくないじゃない」と彼女は言う。
私も「こんなの楽しくない事はわかっています」と答える。
しかし、ご家族やケアマネからの要望も強いので、お願いだから何とかやりましょう。といつも彼女の文句を聞きながら取り組んでもらっている。
そんな彼女の対面には老齢の男性が座って静かにお茶をすすっていた。
彼は彼女の親友だ。時々私が訪問する時間に重なって、彼が彼女のうちをひょっこりと訪ねてくるので、私は顔見知りになっていた。
そして会う度に彼と少しだけお話をさせてもらう。
彼の飄々とした雰囲気から発せられることばたちは、ふんわりと羽根のように軽いのだが、すべてがどこか人生の真理をついているようで、あとで水を吸ったスポンジのように私の中にずっしりと存在感をあらわすことが多い。
私はそのスポンジをつついたり、しぼったりしながら、あふれ出てくる水の内容について思いを馳せる。
今日の一言は「私は露草のようだ。」から始まった。
「その心は?」彼に尋ねる
「?」
「どういうことですか?」ともう一度尋ねる。
「まあ、何事も循環しているってことよ。」
「すべては繰り巡っている。」
「ちゃんとすべては戻ってくるの。」
私はそこで、最近気になる「利他」のことや、人間そのものも自然の中に生きている、あまりにも全てをコントロールできるという錯覚をしているのではないか、ということについて彼に伝えた。
「まさしくそうだね。」
「どうしても欲があるんだ。政治家だってそうだろう。」
彼はもう一つことばを伝えてくれた。
脳トレのプリントのはしっこにさらさらっとしたためて見せてくれる。
「細川ガラシャだよ。」
「利権にとらわれているのか、引き時がわからないんだね。」
「花も花のように、人も人のようになる時はなるんだよ。自然のままでいいんだ。自分は誰にもなれない。他のものにもなれないよ。」
私はなんでそんな質問をしたのか今でも自分でわからないが
「今ご自身の人生は楽しいですか?」と聞いてみた。
彼は思ってもみなかったであろう質問に、一瞬動きがとまったが、右横にいる私に顔の向きを合わせて、じっと私の目を見つめた。
「楽しいよ。楽しいですよ。おもしろい。」
「つまらないことなんてないね。」
「こうやって生きて、孫がじいちゃん!ってよって来てくれる。もうそれだけでいいね。それ以上は何もないよ。」
「新しく学ぶこともたくさんあるよ。」
「なーに話してんの。小難しいことさっきから。」
対面にいる彼女が私たちのやり取りを笑う。
「ちょっと雑音があるから、今日はお勉強はやめようかな。」といたずらっぽく笑顔を見せた。
3人で顔を見合わせて笑った。
「人生っておもしろい」と言える人たちと出会えて、これこそが幸せなんだろうなと思う。
なにげない仕事の風景だけど。
くだらない、なにげないことにこそ、何かがかくされていて。
かくされているわけでもなくて、ただ見過ごしているだけかもしれなくて。
上を見上げれば、寒々しい枝葉にもふっくらと芽がつきはじめた息吹があって
それを見つけるのも、また楽しみなのだな、と。
そんな事を思った、私のある冬の1日。
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