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たとえ濃度をうすめても

今日は私の若い頃のとっても恥ずかしい失敗の話を書いてみようと思う。


先日、ある利用者さんとお話していて、お互いに若い頃の話になった。

その方は若い頃に介護士をしていたので、今行っているデイサービスの介護士さんに対して、大変感謝はしているのだけれども、時々「その言い方は違うんじゃない?」ともやもやとした気持ちを抱くこともある.....と正直に話された。

たぶんそれは彼女が介護士というものを経験しているからこそ、思ってしまう気持ちであるのかもしれない。

この方は大変穏やかな方で、品があって、普段は大きな声を出す事もない。実は日本の中でも数少ない難病と診断を受けたのだが「まあ、しょうがないわよね」とつぶやくだけである。良くも悪くも達観している。

そんな彼女のもやもやポイントは「相手のことば遣いと誠実な態度」である事を、私はお話から感じ取っている。


話の流れで、私も彼女に若い頃の話をした。

それは自分の「若気の至り」についての話だった。

まだ私が就職してから1年目の頃。


私は当時、施設に勤めていた。

その対象者の方は体の大きい男性の利用者さんだった。年齢は80歳くらい。


移動は杖など使わなくても歩けるくらいだったが、少しずつ自宅での転倒が増えていたため、施設に通いながらリハビリテーションサービスも利用されていた。

前立腺の癌があり、全身の骨に転移が見られていた。この事実は確か彼自身が知らないところであったと思う。

軽度の認知症があったが、意思疎通は可能で、問題なくお話をする事はできていた。

そして、最近過食に走ってしまっているという彼のご家族からの情報を、デイの介護士さん伝いで私は聞いていた。

ある日の事。

いつもの通り彼と歩行練習をして、私たちは玄関のベンチで休憩を取っていた。

そこに彼のケアマネジャーが約束もなく不意に現れた。

ケアマネジャーは女性でおそらく年齢は50代くらいであったと思う。


彼女はまず、利用者さんにも私にも敬語を使わなかった。口調は完全に「タメ口」である。

そこで早くも私のもやもやは、暗雲立ち込めるように、あっと言う間に心の中に黒い広がりを見せた。

彼女と利用者さんは会話をしていて「過食」の話になったが「そうなんだ〜おせんべい好きなのね〜」と彼女は返すだけだった。

私は利用者さんのリハビリテーションを終え、自席までお送りし、彼女の元へ戻って情報共有を行った。

その時の私は完全に怒りの感情に支配されていたと思う。

利用者さんに敬語が使えない、名前で呼ばない(おばあちゃんとかおじいちゃんと呼ぶ人がたまにいた)という事実は、私の地雷を見事に踏んづけていた。

しかし、自分なりに冷静さを保ちながら、最近の利用者さんの情報を彼女に伝えた。彼女は相変わらず私に「タメ口」である。

怒りの蓋が今にも開いてしまいそうだった。蓋はカタカタ震えている。そんな私を逆撫でするように彼女は屈託なく話を続けた。

「おたくはここに入ったばかりなのね。ここの〇〇さん(上司)のいうことを良く聞いてしっかりやるのよ。」

私はこの一言で、完全に火がついてしまった。


【私だって専門職なんだよ!!】


私は憤りながらも、彼女に以下の事を伝えた。

・過食に走っておせんべいをたくさん食べている今の状態はよろしくないと自分は思っている。
・なぜなら彼は糖尿病があるので、血糖値が高くならないように注意を払う必要があるから。
・また、これ以上体重が増加すると、骨転移をしている彼の体に負担がかかり、転倒などの起因がなくとも骨が折れてしまう可能性がある。
・骨が折れると入院生活になってしまうかもしれない。一度入院したらもしかして認知症や癌が進行したりする事で退院ができなくなってしまうかもしれない。利用者さんの病体を考えると一日でも長く住み慣れたお家で家族と過ごしてほしいと私は願っている。

「骨転移?」

彼女の表情を見て、私は彼女が利用者さんの情報をきちんと把握していない事を察した。と、同時にショックを受けた。


【なんで担当なのに知らないんだよ!】


私は急いでカルテを持ってきて、かかりつけの病院からの情報を取り出した。「骨シンチ」のデータを彼女に見せながら、どこの骨が脆い状態になっているかを詳細に説明した。

彼女はやはり骨転移の事を知らなかった。


私はケアマネジャーが帰ってから上司に先程のやり取りを報告した。

そして私は、気づいたら報告しなくともよいことまで上司に愚痴っぽく話していた。

・まず約束もなく訪れるのは、こちら側の予定を考えていないので失礼に値するのでは?ということ。
・私には百歩譲ってタメ口でもかまわないが、利用者さんにタメ口で話すのはいかがなものなのだろうか。
・利用者さんの大切な医療情報をきちんと把握しておらず、リスクを認識していないのはまずいのではないか。

上司は話は聞いてくれたものの「彼女はいつもあんな感じなのよ。悪い人じゃないのよね。」と言って、私の意見に対してかわすような、はぐらかすようなことばを返したような記憶がある。

私のもやもやは解消されなかった。


就職してから様々な福祉職の方たちの仕事ぶりを間近で見ることとなった。

その中でケアマネジャー(介護支援専門員)と呼ばれる方たちの仕事に、私は感銘を受けた。

マネジメント業務に当たる彼ら彼女らは、膨大な知識(医療的知識に留まらず、ケアの知識、福祉用具、法律、近隣の地域資源の把握等)と、多岐にわたる専門職と話し合うコミュケーション能力と、利用者さんやそのご家族と相対する辛抱強さと、それらを統合する能力が必要となってくる。

だからこそ、尊敬しているからこそ、今回やってきた彼女の行動が残念でならなかった。


若さというものはこわい。

知識も経験も少ない。

視野も狭い。

そして、私は白黒はっきりつけたい方だった。

真っ直ぐにしか進めなかった。

道も一つしか見えてなかった。

自分の正義に揺るぎなさを感じていた。

若いからこそ女性だからこそ馬鹿にされた事もあるし

意見をちゃんと聞いてくれない人もいた。

承認欲求もかなり高い状態であったと思う。


利用者さんに不利益を生じさせるもの、勉強熱心でないもの、誠意が感じられないものを

「悪」

だと捉えていた。

正義の味方ぶって、たくさんの人を傷つけた。

それがまわりまわって、実は私自身の行動が利用者さんの不利益になるなんて事は想像もつかなかった。

今だったらと思う。


今だったらおそらく私は同じ行動には出ない。


今だったらもっと「やさしく」彼女に接する事ができるとは思う。

「やさしく」は「甘やかす」とイコールではない。

彼女自身の何かに届くように伝え方をちょっと工夫するだけだ。

そして、この方にとって「おせんべいを食べる」という行動は彼自身に何をもたらしているのか、もっと深く話し合っていたかもしれない。


それができるようになったのは、私自身が自分の濃度を薄めるようにしてきたからだ。

私の怒りの成分がコップの中に水と共に入っているとする。

そこにさらに水を足していくように

私は経験を重ねた。

知識を得た。

私自身から見ている世界だけではなくて

他の人が見ている世界をなるべく想像しようと努めた。

自分にできないことがたくさんある事にも気づいた。


濃度はだいぶ薄くなったように思える。

承認欲求へのこだわりも影か幻のようにたまにちらつく程度になった。

むしろ専門職と見られたくない位に今は思っている。


けれども、私はこの怒りの成分が消えてしまってはいない事も知っている。


そこにたまって沈殿した怒りは、

かき混ぜられると、途端に姿をあらわし

私の前に出てきてしまうのだ。


そう、濃度が薄くなっただけ。


本質はずっと変わらないように思う。


でも私はこの感情も大切にしたいとも思う。


怒りが私を前にすすめてくれた事も知っているから。

よるべなさは人を成長させる。

やり場のない思いは原動力にも転換できる。


そして年を重ねても失敗をきちんと受け止める事。

そこから何かを学ぶ事を

私は忘れないようにしたいと思っている。



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