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Today`s songs「EGO-WRAPPIN`/Fall」

EGO-WRAPPIN'の曲は「色彩のブルース」がきっかけとなり、細々と聞いている。

家で読書したり洗濯物をたたんだりなど、何かをしている時に聞いていることが多い。

ユニット名の「EGO-WRAPPIN'」という言葉は、彼らが好きなアーティスト、デ・ラ・ソウルが、インタビューの中で「最近の若者はEGO-WRAPPIN'が多い」と発言しているのを聞いて付けた。インタビューでは「自分を出さない」という例えで使っていたが、二人は「エゴを包む」とも取れるこの言葉を気に入ってユニット名にした。(Wikipadiaより)

「エゴを包む」という表現が素敵だなと思う。

ライブを聴きにいきたいと願っていたが、今まで残念ながら行った事はない。
一度だけニアミスというか、チャンスはあった。私は学生の頃の実習中に、鶯谷の駅周辺の知り合いのマンションを間借りしていたことがあって、よくあの辺りを歩いていた。夫(当時の彼)と駅近くを歩いていた時にライブハウスがあって、偶然にも「EGO-WRAPPIN' LIVE」と入り口に書かれていたのを発見した。しかし、時間的な都合により、扉を開く事はかなわなかった。


「Fall」=「落ちる」

何かがこぼれ落ちる時にこぼれたものはどうしたらいいんだろう?

こぼれ落ちたものの行く末が気になる。

「親方!空から女の子が!」と見つけてもらえたら良いとは思うが、シータとパズーのように偶然にして必然的な救済というのは人生の中ではなかなか訪れないんじゃないか。

「落ちる」というのは恐怖感を感じる動きであると思う。

絶叫マシンなどで落下する時に、怖い!という不安な感情と内蔵が浮くような気持ち悪さを感じているはずだ。それなのになぜ人は絶叫マシンに乗るのか?

ジェットコースターのような恐怖感が味わえるバンジージャンプの研究では、アドレナリンが放出して覚醒状態になることや、幸福感が得られることが報告されています。また、血中の神経伝達物質エンドルフィンが上昇して強い高揚感を得ることができます。このことから、安全が確保されている状況での恐怖感は、非常に高い幸福感をもたらしてくれるものだとわかります。(ホームページ ナゾロジーより抜粋)

恐怖と幸福感が入り乱れている。


人は落ちる時に複雑な感情が入り乱れている。

眠りにつく時に「落ちる」ような感覚があるのはなぜだろう?

意識のはざまで感じるのは「幸福」な気持ちと、「こわい」という気持ち。

子どもが幼く赤ちゃんだった頃、私は毎日寝かしつけをしていた。
子どもは眠いはずなのになかなか眠ってくれない。
その時私は「眠いなら寝ればいいのに」と思っていた。それと同時に「眠る事が怖いのかな?」とも考えていた。

自分が変わってしまう恐怖。足元がなく、すがるものもなく、自分の体がおぼつかない、ただひたすらに落ちていく恐怖と快感。

火よ消えないで
燃えるように愛したい
ふいにふいにこぼれだすその思いは
時の前に止まった

「Fall」で歌っているのは「愛」に落ちること。

恋をして人を好きになる。

眠りにつく時と似ている。

自分が変わってしまう恐怖。
届かない行き場のない想い。
ヒリヒリとした心。
とらわれてしまう、支配される気持ち。
どんどん私が失われていく。
視界が狭くなっていく。
浮遊していく体。
感情は荒波のように相手のささいな言動で上がったり沈んだりする。

Fall Fall Fall
君の愛へ 落ちてそして
Fall Fall Fall
君の闇へ 落ちてそして
Fall Fall Fall
君と光へ 落ちてそして
Fall Fall Fall
永遠を Tu Tu 突き抜ける

「光は闇の中に輝いている」(ヨハネの福音書)

君と落ちていくなら闇の中でもかまわない
。光は闇の中で輝きを増す。

そしてみつけられた光は
2人にとってかけがないのないたった一つの確かなものなのだろう。




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