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義理の母を泣かす嫁

私の義理のお母さん。

同じ市内にお舅さんと2人で住んでいる。

その彼女を、私は定期的に泣かしてしまっている。

そんな話を今日は書いてみる。

最近....私は嫁としてではなくて
定期的に彼女の元へお仕事で伺うようになった。

彼女は利用者さん

私はサービス提供者である。

お義母さんは、随分と若い頃から股関節が変形していたようで、私が夫と出会った時にはすでに片側の股関節に人工関節が入っていた。

歩く時は「破行」といって、体が左右にゆらゆらと揺れていた。また、正座ができなかった。彼女は長く歩くことは難しかったが、車の運転は可能であった。脳梗塞を発症したお義父さんを助けながらも、ひきずる足ではつらつと生活を続けていた。

ここ数年「足が痛いのよ」とSOSを発していたのは私も夫もわかってはいた。わかってはいたが何をすることもなく日々は過ぎてしまっていた。

彼女のことばをあらわすかのように、ひょこひょことした歩き方はますますひどくなっていた。

彼女は、意を決した。
ある日、整形外科を受診し「私、決めた。手術するわ」と私たちに宣言した。

それが、昨年の秋ごろ。


1月に手術をし、同月に退院。

一度、股関節を手術していたこともあって、彼女が入院に慣れてる様子に安心したものの、退院後はまだ手術の傷も癒えておらず、お風呂に入る時にうまく浴槽をまたぐことができなかったり、生活に支障が見られた。

そこで、訪問リハの出番となった。

私は作業療法士という資格を有しており訪問リハの業務に携わっている。

長年この仕事をしてきて、自分の祖母や夫、私の親戚などのリハに奇しくも携わってきたが、自分の義理の母親のリハをすることなんて結婚した頃は想定もしていなかった。

私はお姑さんから、結婚してから一度たりとも嫁いびりをされたことがない(と思う)

これは非常に恵まれていることなんじゃないかと思っている。

かつての「渡る世間は鬼ばかり」のドラマのように、嫁姑問題はどこの家庭でも抱えるべき問題だという先入観があった私には、相当なおどろきである。

思い起こせば、義理両親は、私が夫とお付き合いしていた時も、たびたび夫の実家にお邪魔していた私に対して、いつも笑顔で迎えてくださり、夕飯時までお邪魔していると、私の分の夕飯も作ってくださる仏のような人たちであった。

あの頃の態度とずっと変わらず、お義父さんもお義母さんも私にやさしくしてくれている。


もちろん、価値観が合わないところもあるにはある。
困ったなぁというようなこともないことはない。
話もかなりループする。

(かつてこんな記事も書いた)



しかし、価値観なんて実の親だって、全く違うのだ。
私は2人が、心の底から私に対してかなり好意的な気持ちを持ってくれていることをひしひしと感じている。私もそれにできる範囲で応えたいと思う。


入院中と外来リハは私のかつての同僚が担当してくれた。

彼も話していたようだが、お姑さんの手術痕は、かなり回復が遅かった。
なかなか傷が閉じないため、リハ時に関節を充分に動かすことができず、ますます関節の可動性が狭まってしまった。

退院後に、入院前よりかっこいいまっすぐとした膝関節を手に入れた彼女だが、まだまだ課題は山積みである。


彼女を泣かせてしまうのは、手術した膝を曲げる時だ。膝が曲がりにくいと歩きづらかったり立ちづらかったりする。

あと、5°....せめて10°程度は膝が曲がるようになってほしいと思いながらも、私はついつい膝を曲げる手に力を加えてしまう。


彼女は「いたたた」と悲鳴をあげる。
そして「痛がっていても必要なんだから気にせず曲げていいわよ」と話しながら必死に痛みをこらえている。
こらえながらも椅子に座っている体をもじってしまう。痛みに耐えている姿は何とも健気である。

そして、時には涙がぽろぽろ見えるのだ。

全くもってひどい嫁である。

そして、この前は私の娘が学校にずっと行けてないことに対して、涙を流していた。

彼女は元教員だったこともあり、かなり学校教育信仰が強い。
私は、娘はきっと大きく心配しなくとも大丈夫なこと。
無理に学校に行かなければいけない雰囲気だった昨年に比べると、だいぶ精神的にも落ち着いていること。勉強はまったくしてないわけではなくて、学校のタブレットでリモートで学んだり、今は1週間に1度、市の学習支援の場にも参加していることを説明する。

毎回である。

毎回ではあるが、なかなかこれが伝わらない。

あるいは伝わっているのか.....もうそのあたりはよくわからない。


とにかく彼女は孫のことを思うと涙が出てしまうようなのだ。

それに加えて最近追加されたことがある。

彼女自身は、実は嫁姑関係にだいぶ悩まされてきた。

そのことを夫は「祖母は僕にすごく甘かったけども、母に対してはかなり当たりが強かったから、母は大変であったと思う」とよく話していた。

その内容をふとした時にリハ中に伝える機会があった。

彼女は大変驚いた顔をしていた。

その表情は、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔であった。

そして「あの子はそんなことを思っていてくれてたのね」とその表情のままで下方を見てつぶやいていた。

この話、一度で終わらず、何度も聞いてくる。


「あの子がそんな風に思っていたなんて」


「そうですよ、おかあさん。」と私は返す。


「そうなのね」と彼女はまた涙ぐむ。


その涙にどれだけの想いが込められているかは私はわかっていないかもしれない。


毎週、お義母さんを泣かしている。


私はこの時間が嫌いではない。


涙の数だけ想いがある。


彼女が積み重ねたものを、私は膝を曲げながら、想像するのだ。


そして、彼女らしく夫によく似たあの顔で、またにこにことはつらつとしながら、これからも自分の人生を謳歌してほしいと願っている。

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