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後片付けとおそばと在り方

夫がおそばを食べながら「それは在り方だから」と私に言った。

私は自分の家族と関わっていて、毎日ささやかな発見や驚きがある。

今日は「やっぱりこの人尊敬できるなぁ」とあらためて思ったことを、備忘録として記してみる。


事の始まりは自宅での夕食時。

我が子が「聞いてよ」と学校の様子を話し始めた。
それは、中学校の給食の後片付けについての話題だった。

どうやら、後片付けの係というものが当番として決まっていないらしい。片付けは、気づいた人や先に動いた人がやるという自主性にまかせた仕組みのようである。我が子はいつも率先して片付けるようにしているとの事。

そして片付けは、概ね想像通りであるが、いつも決まったメンバーしかやらないというのだ。
「まあ、それはいいんだけど」

我が子の話は続く。

「今日は私は片付けなかったんだけど、いつも片付けない子がたまたま片付け始めたんだよね。そしたら『何で俺だけ片付けなきゃいけないんだよ』『俺ばっかり大変だよ』ってその子が言い出したんだよ。」

「私はそれを聞いて『そんな事言ったって、今日たまたま片付けただけで、いつもは他のみんなや私が何も言わないで片付けているのに何であんなこと言うんだろう・・・』って何か嫌な気持ちになっちゃった。」

そんな気持ちを持ってしまった自分が嫌になった我が子はしょんぼりとした表情をして、自分に言い聞かすように「いけないけない」と言っていた。

私はこの話を聞いて、そんな気持ちをもつことはいけないことではないんじゃないかという事を伝え、その子は全般的にコミュニケーションがうまくないのではないか?と子どもに尋ねた。
「そうなんだよ。先輩とかにも失礼な言い方をしたりして、みんなでお互いにフォローしているんだ。聞いていてひやひやしちゃう。」

私は子供にどんなことばをかけていいのか、あるいはことばをかけなくとも、人に話したことで何か気持ちが前にすすめるのかどうか見極めがつかなかったが、その話題はそこまでとなった。

翌日、夫と2人で昼食を食べながら、我が子の昨日の話題を伝えた。

おそらくうちの子は、人に褒められたり認められたりしたくて後片付けをしている訳じゃないと思う。そこだけは根拠はないけど確信があることを伝えた。

夫は大好きなたぬきそばをすすりながらこう言った。

「徳を積むって事だよね。」

「誰かに何かに認められたい訳ではなく、徳を積んでる。」

「徳を積んでいる人って、わかるでしょ。」

見返りを求めず善行を積み重ねる。徳を積むと目に見えないプラスのものが積み重なる。夫は目には見えなくても会えばわかると言いたいらしい。

夫がそばをすする。

話は続く。

「結局人としてどう在りたいか。」

「在りたい自分になる。それは美しいことだよね。」

在り方だよ。

私は思わず食べているそばを吹き出しそうになった。

「どうしたの。」
「今日、すごいね。」
「尊敬する。いつからそんな事思ってるの?」

矢継ぎ早に質問する。

夫はかっこつけた顔をしていたが、そばの湯気のせいか鼻水が垂れていたので、笑いながら指摘した。


そっか。
他者を見てもやもやするのはしょうがないけど、それはずっと心に引きずらなくてもいい思いだし、他の子もその子の課題が見えているなら、我が子だけが悩む問題ではない。

それよりも「どう在りたいか

そこに立ち返った方が、今後も後片付けを続けていけるモチベーションが持続するのかな・・・そんなことを感じた。

こんな事を話す夫をいつも尊敬しているし、子どもも悩んでいることを話してくれることに感謝したいと思う。

これからまた、我が子に話してみようと思う。

悩んだら夫が大好きなおそばを食べながら相談してみよう。




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