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星がぼやけた日

 その日、私は片手にアイスを持っていた。

 それは「パピコ」という名前で、2つが隣り合わせの双子みたいな形をしていて、ぱきっと真ん中を割って、チューブ型の容器の先端の凹みがあるところをハサミでカットして、チューチューとシャーベットを吸い出して食べるアイスだった。

 パピコは公会堂の冷蔵庫で先ほどまできんきんに冷やされていた。その片割れを持っている右手の指先が冷えてきた感触で、私は時々パピコの存在を思い出した。少しずつ口にくわえてチョココーヒー味の中身を味わう。

 蚊にさされた手の甲が、ぷくりと赤みをもってかゆくなってきている。私は気になって一瞬見つめてみた。公会堂は蚊が多く、蚊取り線香があちこちにたかれているのだが、それでもこのようにどこかの隙間から蚊は入り込んでしまうのだ。

 公会堂の室内は砂壁でその上の位置に直径20cmくらいの小窓がついている。数台の扇風機はその小窓と砂壁を仕切る位置に備え付けられていた。くるくるとけなげに首をまわしているが、室内の風を掻き回すだけで、効果は気持ち程度である。皆、暑い夜の日はじんわりと汗をかいていた。プシュッと缶を開ける音がどこからか聞こえてくる。ランニングシャツの男性が缶ビールを開けていた。ごくごくと喉仏をならし、おいしそうに飲み干していた。

 すりガラスの引き戸がガラッと音を立てた。私の母親がどうやら迎えにきたようだ。私は、夏に行われる祭礼のお囃子のお稽古を終えて、公会堂から自宅へ母たちと一緒に歩いて帰ろうとしていた。お囃子のお稽古は祖父のすすめで小学2年生からはじめた。そのうち妹たちも一緒にならうようになり、私は気づけば5年生になっていた。お稽古が終わるのは21時。お囃子を指導する青年会の人たちはそこから宴会に切り替わる。お稽古を終えた子供たちは大人たちにアイスをもらってそれぞれが帰路につく。

 夜道を歩いた。
 1番先頭を歩くのは私の妹。私より3つ年下の妹は、おかっぱ頭の髪の毛をゆらしながら無邪気に走ったり飛んだりしている。電灯がついているところに入るとよく姿が見える。電灯をすぎると、黒いシルエットになって、姿は不確かになる。ちらちらと、光と影を行き来する。彼女は夜になっても元気がありあまっているのだ。

 私はとぼとぼと歩いた。夏の湿度を帯びた夜の重だるい雰囲気は私は嫌いではなかった。いつものとおりうちへ帰って、お風呂に入って、今日もこれから寝るだけだと思っていた。

 母親が振り向いて私を見た。そして目線をそらした。母親の横顔が見える。私は母親の顔が黒く影になって、向こう側に電灯のライトが当たっていて、どこか幻想的だなと思った。

「あのね、おじいちゃん、もうだめかもしれない」

 私は一瞬、母親が何を言っているのか理解することができなかった。しかし、じんわりと私の中に重くことばが迫ってきた。私は母親が不意につぶやいたことが、何を意味しているのか、うっすらと手触りを感じはじめていた。

 祖父はここ最近体調が悪かった。というか、祖父が悪かったということすら、私は気づいてなかった。入院してからはじめて、私は祖父が体調を崩していることに気づいたのだ。祖父は海を渡った他県で、手術をして、その結果を待っていたはずだ。

 何かきっとよくないことがあったのだろう。

 母親を再び見て私は驚いた。
 彼女は涙ぐんでいた。
 私の母は普段はとても気丈な人だった。

「治らないかもしれないって」

 母のつぶやきは続いた。
「ナオラナイ?」
 なんだろう?なおらない?なおらないってなんだろう。だめってなんだろう?
 だってあれだけおじいちゃんは元気だったじゃないか。急に近づいた死のにおい。こわいこわい......おじいちゃん!大好きなおじいちゃん。いなくなっちゃう?そんなことってあるの?

 妹は先を歩んでいて私たちの様子に気づいていない。母は私にだけ聞こえるように伝えた。私は長女だ。しっかりしなければ。でも母が泣いているという現実に押しつぶされそうだ。ただでさえ、普段から泣き虫なんだ。

 この日、母の背中がはじめて小さく見えた。

 空を見上げた。

 さっきと同じ場所にいた星は、視界が歪んで見えなくなった。


 私の世界はぼやけてしまった。



 祖父はその1ヶ月後に地元の病院で他界した。

 まだ70代。末期の胃癌だった。


 あれから31年。私は結婚し人の親になった。
 実家を出たが、実家の近くに自宅を建てた。
 昨日のことだが、夜の散歩に出かけた。目的地は実家だった。シンとした夜道を歩いた。私の母校の小学校の横を通り過ぎて、シャッターが下りてる魚屋さんを眺めて、公会堂まで来た。

 公会堂は町内会費で建て替えた。昔ながらの砂壁もすりガラス様の引き戸もそこにはない。蚊も入ってくる隙間もない綺麗な公会堂になった。

 夜道を歩く。ちょうどこの時期だ。妹が先を歩いて、母がいて、私がいた。お囃子のお稽古の帰り。星がぼやけた日。
 祖父はその年の祭礼が終わった日の夜に亡くなった。夜、母が家を抜け出していくのを私は寝ぼけ眼で見届けた。家には私と妹だけとなった。1番上としてしっかりしなければと思った。夜が明けるのがこわかった。夜が明けると嫌なことが待ち受けている予感に胸が押しつぶされそうだった。母が帰ってきて私たちに祖父の最期のことを告げた。家に戻ってきた祖父の遺体は驚くほどヒヤッとして冷たかった。

 はじめて身内の死にふれた。

 私はあの時とあまり変わらない夜道を歩いて、実家にたどり着いた。私の両親は久しぶりに訪れた私に笑顔を見せた。2人ともシワが増えて白髪が多くなった。私の子供の話題になった。2人とも孫がいるおじいちゃんおばあちゃんだ。

 母に料理を教えてほしいとせがんだ。母は「なんでよ。別にお母さん特別なもの作ってないでしょ」と目を逸らした。私は実家に来ないと食べられないものを思い出していた。いつもいる、いつもあるのが当たり前ではない。そんな事実から私はいくつも目をそらしているだけだ。母の背中はますます小さくなった気がする。

 自然と祭礼の話になる。

 またあの夏が来る。

 あの湿度を伴った夜と、お囃子のお稽古のひびきと、横笛の軽やかなメロディ、青年会の酒盛りと子供の声。指の感覚がなくなるパピコの冷たさ。電灯の影と光。

 祖父のいのちはまだ生きている。

 この街の熱気はふたたび戻ってくる。

 私はこの街で生きていく。

 帰り道。空をふたたび見上げた。



 はっきりと光輝く星が
 私を照らし続けていた。


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