身体に問う
きくこと
感覚
私はいったい何者でどこへむかいつつあるのか
私はベージュの一冊のノートを見て振り返りをしていた。
これから、オンラインでつながる相手は約1か月振りの相手であった。
彼女は「インタビューの教室」で知り合った仲間だ。
彼女からは連休前にメールが来ており、それは
「また、インタビューしませんか?」
という内容であった。
私たちはこの春、西村佳哲さんが主催している「インタビューの教室」に参加した。
西村さんのnoteより一部紹介
インタビューの教室は10年ほど前に始めたプログラムです。『自分をいかして生きる』という本を書き終えた自分が、働き方をめぐるワークショップの開催にあまり気が向かず、でもなあ…と考えて京都精華大で試みた公開授業が起点になりました。
その後、二泊三日、通い、マンツーマンなどいろいろ試し、「約10名で5泊6日、美味しいご飯を食べながら」という形に落ち着いたのがいつ頃だったかな。3年前のワークショップのあと、こんなテキストを書いています。
「目をとじて、見えてくるもの」びお/ぐるり雑考
〝話す行為というのは、実はかなり全面的に聞き手の存在に依存している。聞いてもらえるから話せるのであって、新作を公開した映画監督も、入院先のベッドの患者さんも、どんなに話してみたいことがあっても、目の前の相手が「聞いていない」とわかったら、たちどころに言葉を失う。
話の上手い人が多い社会より、ひとの話をきける人が多い社会の方が、生き生きとしたものになるはずだ。めいめいが感じているささやかなことが、表現され、育ってゆくので。そんな社会で生きたい。
年に約2回のワークショップを楽しんでいましたが、昨年を経て合宿版とはまた違う良さのイメージが出来てきたので、まず3セット開いてみようと思います。
その「3セット」のうちの1セットに私は申し込み約1ヶ月間、オンラインで授業をうけた。
詳しい講義の内容はここには記さない。
その時受けた感覚や断片的なものについて記したい。
私にとって
インタビューの教室は
大変有意義なものとなり
まわりや自分を見渡す風景が
少しずつ変わっていくのを感じていた。
そして今も進行形で変わり続けていると思う。
私の生活で変えたことは
・ご飯をゆっくり食べること
・自然をなるべく感じること
・1人の時間をもつこと
・人の話のききかた
この4点。
そして「己の身体に問う事」
「思考」ではなく「感覚」を見つける。
頭で考えていることより、もっと下の方。
つるべを井戸に垂らすように、腹の底にある感じた事を受け止め、自身の最前線をつかまえること。
私は昨日彼女とパソコン越しに話した。
お互い「最近気になっていること」「今話したいこと」をテーマに話しながら、インタビュアーは歩調を合わせる。
私はいつものように何もテーマを決めずに、15分間、彼女にインタビューをしてもらった。
私が話したことは
相手と折り合いをつけながら生活したい
というものであったはずなのだが、話していくうちに少しずつそれは正確なものではないことに気づいた。
私は私と折り合いをつけたいんだ。
ということが、彼女と歩いているうちに発見できた。
結局、相手に対しての申し訳ない、とか、至らなさ、とか、自身がすりへるようなもやもやとした気持ちは、私自身の身体が感じていて、なにかサインを出している。
身体と言うのはたくさんの慣用句があることを西村さんにあらためて教わった。
・頭が固い
・胸が痛む
・腹を決める
・臍を曲げる
・足が重い
・膝が笑う
・骨が折れる
身体は必ず、何かに反応しているのだ。
そのサインをつかまえて、私が受けている物を味わう。
この時「思考」で考えるのではなく「感覚」をつかまえたい。
この練習を1か月していた。
まだまだ、できている時は少ないと思う。
そして、つかまえた最前線の気持ちたちと私は折り合いをつけていかなければならない。
これが今の課題だ。
私は私の身体に問いたい。
私は今何を感じている?
コトバにないものをコトバにしていく力を手に入れるために
感覚を使って
きくこと。
いつでも出発地点はそこであり、一番自分が確かなのは
今
であるから。