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夏花火とお赤飯のおにぎり

終戦記念日だからという訳でもないのですが、祖父や祖母のことを思い出しているというお話を今日は少し書いてみます。

私の住んでいる市はお盆に花火大会を行うのが恒例となってまして、今年で76回目となります。
そして(現時点では)本日の夜、開催される予定となっています。

私の実家は、私の住まいのすぐ近くです。スープだって味噌汁だってあちあちの状態で持っていけます。車で5分位の距離です。

花火大会の日は、私の実家に、お寺の住職様が毎年お経を唱えに足を運んで下さいます。
これは、先代の住職様からずっと続いていることでもあります。

私の実家は海にとても近く、自宅の玄関から出るとまっすぐと前方に道が伸びているのですが、道のつきあたりは港が開けていて、家から港や海が見えるのです。花火は港の中の小さな人工島があってそこから打ち上げられますから、私の実家は花火を鑑賞する絶好の場所になっているわけです。

おそらく先代の住職様はそれをふまえて、あえて花火大会の日にお経を唱えにいらしていたのかなと、私は思っていました。

夕方頃に私の実家に訪れて、お仏壇の前でお経を唱えた後に、私の祖父母が作った手料理やお酒(←これがいいのか悪いのか私はよくわからないところですが)を召し上がって(なにせ祖父は調理師でお店も営んでいましたから料理はおいしいに決まっているのです)花火が終わった頃にお寺の方に迎えに来てもらい、手土産ももらって上機嫌で帰っていく住職様を見て

「おじいちゃん、おばあちゃんもお坊さんの相手をして大変だなぁ」

と思っていた私は、当時小学生でした。

出店で買ってもらったりんごあめなんかをがじがじかじりながら、そんなことを思っていたわけです。

今の住職様は、先代と違うのです。
先代のようにおもてなしを求めることもなく、お経を読み上げたら、花火も始まる前にさっと引き上げて下さいます。

なので、おそらく対応している母もほっとしていることと思います。

そんな前置きの話をしましたが、今日はおそらく実家にいって、住職様もいらっしゃるので、私も時間に間に合えば一緒にお経を唱える予定です。

そして終戦記念日でもあるので、やっぱりどうしても、祖父母の想い出と、祖父母が話してくれた戦争体験なんかを思い出すのです。


とはいいましても
祖父は私が小学五年生の時に亡くなりましたので、充分に戦争体験について聞くことができませんでした。私はそのことを非常に悔やんでいます。

でも、もしかしてなのですが、祖父がもう少し長く生きながらえていたとしても、話をしてくれなかったかもしれない可能性も考えられます。

なぜかというと、私が社会人になって就職したころは、まだ戦中の経験や想い出をしっかりと覚えている高齢者の方がたくさんいらして、もちろん語って下さる方もいたのですが、尋ねても黙するというか、あえて語りたくないような雰囲気を出す方も少なくはなかったのです。

そして、そういう方は外国に出兵されていた方に多いような印象がありました。

語りたくない

という、意志が、静かに伝わってきました。


なので、もしかして、祖父にもそういう気持ちがあった可能性なども、私は想像したりしているのです。

祖父が亡くなるまでの少ない時間の中で聞いた話では、祖父は衛生兵でした。

衛生兵は、軍隊において衛生班に属し、医療に関する業務を行う兵士。戦闘支援兵科の一種である。その任務の特殊性と専門性及び人道上の理由から、戦時国際法上における医療要員として、他の兵科の軍人とは異なる各種の保護資格等が与えられている。

wikipediaより

そしておそらく東南アジアのどこかに出兵していたのだと思います。

彼のお腹にはへこんだくぼみがあって、幼い私は一緒にお風呂に入る時などに「おじいちゃんはおへそが2つある」と言って物珍しく眺めていた記憶があります。祖父は「これは戦争に行った時に撃たれたあとなんだよ」と私にやさしく話してくれました。

そして、一つ覚えているのは、祖父が他国の捕虜として捕まってしまった時に「こいつは助けてやろう」と言われ、1人だけ助かったという話をしていました。見逃してもらった理由としてはおそらく衛生兵だったこと。そして他国軍の中に、たまたま祖父が助けた相手がおり、その人の図らいがあったのだと思うと話していました。

もう一つ覚えているのは、終戦後に日本に戻ってきた時のエピソードです。

祖父は船で日本まで帰国したのですが、船内でマラリアが流行してしまい、日本に辿り着けないかもしれない、このままここで命を絶やしてしまうのかもしれないと本気で思ったそうです。

しかし、奇跡的に日本まで持ち堪えて、日本の景色が徐々に見えてきた時に、なんとも言えない気持ちになったと語っていました。

私は、その時の祖父の横顔が忘れられません。


私が小学生の頃に聞けたのはここまでです。

今日は母親にも会うと思うので、また母にも祖父のことを尋ねてみようと思っています。


母は毎年、花火の日に、私を含めた子供たち家族が来ることや、父母の友人達が訪れることを待っています。

祖父母のように、手料理をこさえて、花火を見に来た人たちをもてなします。

毎年、台所に立っている母の姿が私は好きです。


そして、母の作ったお赤飯のおにぎりが、私はとても大好きなのです。

三角の形をしていて、もち米もふっくらして、お豆と塩気の塩梅がちょうどいいのです。そこに海苔を巻いて食べます。

今年も家族で様々な話をしながら過ごしたいと思っています。

皆様もそれぞれの夏をお過ごしください。







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