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南高梅の梅干しをつけながらお姑さんのおにぎりに思いを馳せた日

noteを離れていた。

こんなに離れていたのは(noteを)初めてから初めてかもしれない。

ここ数日、何かと体も気持ちも動いていた。
なかなかnoteに立ち寄れずにいながら、前回の記事にたくさん励ましのコメントを頂いており、ありがたいなぁという気持ちと、ごめんなさいなぁという気持ちに昨夜はひたっておりました。


さて、タイトルの通り、人生初めて梅干しをつけました。

何でも挑戦したい気持ちと、なにか作りだすのは元来好きな性分もあり「その話のっかります」という勢いで、人生の先輩に教えてもらいました。

仮に先輩を梅干し先生と名付けます。

彼女のおうちには梅の木が生えております。

梅干し先生のおうちは、毎年、旦那様に木登りしてもらって25kg程の大量の梅の実を収穫し、梅干しを作っていたそうです。しかし今年は、旦那様が腰痛にさいなまれ、木の上の方は収穫ができずに「もったいないわ」と悩まれていました。そこで私に白羽の矢が立った訳です。

梅干し先生は自分の背丈に応じて、取れる範囲の梅は収穫していました。

しかし、当然ながらまだまだ上の方には実がたくさんなっています。

私は梅干し先生より高身長です。

「お宅ならもっと取れるわよ。あなたが取ったのはあなたにあげるし、つけ方も教えてあげるわ。どうせ、ほっておいたらみんな落っこちちゃうんだから、気にしないで。」

梅干し先生は太っ腹です。

収穫の日、私は物々交換という訳でもないのですが、農家の方に頂いた大量のじゃがいもを持参してお宅へお邪魔しました。梅干し先生のおうちは旦那様が朝カレーを毎日作るので、使ってもらえるかと目論んだからです。
案の定お渡しすると大変喜ばれていたので、やや一安心しました。けれども梅代と授業代を考えるととても割りに合いません。私はいつもたくさんのギフトを頂きながら生かされているなぁといつもいつも感謝をかみしめています。この時もぎりぎりと笑顔でかみしめておりました。

梅をまずもぎます。

この作業が宝物を探しているみたいで楽しい。

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色づくのが今年は早いそうです。地面にはすでに落ちてしまった梅がたくさんありました。「なるべくあおいやつがいいよ」と先生に言われて虫がついていないのを収穫します。

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「もっとはやくやれば良かった。もったいないわ。でも思ったよりとれたわね。」

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収穫した梅のへたやちょっとした傷をとります。

そして洗います。洗う時は皮にうっすらと生えている毛をこするような気持ちでやってくれと言われました。水気を拭きました。水気があるとかびが生えやすくなるそうです。

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つける容器に塩と重ねていきます。

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最後は赤しそをかぶせてひとまずおしまいです。これが赤くなる元なんですね。

この赤しそはスーパーで売っているやつを使いました。昔は赤しその葉っぱを1枚1枚処理してやっていたから気が遠くなりそうだったと先生は話していました。

先生は何回かこんなことを繰りかえして、梅干しがよく赤くなったころに食べるのがお好みだそうです。

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これが先生に頂いた梅干し。

市販の物よりしょっぱくなく、梅干し好きな夫も「おいしいね」と食していました。

実はここまで書いてきて「おい!」という感じなのですが

私は梅干しが苦手な人間なのです。

しかし、確かに・・・先生の梅干しは市販の物より食べやすく好きになれそうな予感がしました。人生で40手前にして何とか梅干しを克服できそうです。

このつけた梅干しは入梅が明けた夏の頃に、日干しするそうです。3日くらいお天道様に照らした梅干しは最後の晩に夜露にさらして置くとの事でした。

「市販の梅干しは電気で光を当てているけど、本当はお天道様に照らしたほうがいいのよ。面倒くさいけど、これがおいしくなるコツだと思う。頑張ってちょうだい。」

日干しする時は裏表ひっくり返しながらやるとの事で、雨予報とにらめっこしながら日にちを決めていきたいと思っています。

また夏のお楽しみ。


最後に梅干し先生がなぜ梅をつけ始めたかのエピソード。

先生の旦那様は新潟のご出身の方でした。
お姑さまはもちろん新潟に住んでいたので、帰省する時くらいしか直接の交流はなかったようなのですが、会った時には大変よくしてくれる方だったそうです。帰省の帰りには必ず樽いっぱいの梅干しと、その梅干しで握ったおにぎりを渡してくれました。

梅干し先生は、帰りの新幹線でその梅おにぎりを食べながら「こんなおいしいおにぎりは食べたことがないわ」とお姑さんの愛情を感じながら帰路についたそうです。

毎年「この南高梅の梅はどうやって作っているのかしら」と思いつつも聞けずじまいで、お姑さんはこの世を去ってしまいました。

梅干し先生はそんなお姑さんの味を思い出しながら、毎年この梅干しをつけているそうです。この味に至るまではたくさんの失敗と改良を重ねています。

「食べる時はいつもお姑さんを思い出すの。あぁ、いい人だったなぁ。あの味に近づけたかなぁ・・・って。」

私は梅と梅干しの技法だけではなく、このようなあたたかいお話を聞かせて頂き、大変感謝しているのです。

誰かの食への思いが次につながっていくこと。

食べさせたいという気持ちの根っこには人の愛情がつまっていると思います。

私も教わったものや受け取った気持ちを大事にしていきたい。思いのバトンをつないでいきたい。そう感じた梅干し作りでした。

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