メンデルスゾーンと頼もしいラーメン
義理のお母さんの自宅へ訪問リハに行くようになり、しばらく経った。
彼女は今年に入って膝の手術をした。退院してから足腰の調子を取り戻すために、リハを継続している。
膝の痛みは変わらず残っており、毎回ストレッチをしたり、筋力をつけるための運動を一緒に行っている。
私の実家に立ち寄った時に母親から「そういえばお義母さんから電話が最近ないのよ」という話があった。
以前、義理の母は私の母に定期的に電話をかけていた。内容は主に孫のこと。義理の母は過度な心配性であり、夫曰く「過干渉すぎる」親であった。それは孫に対しても充分に発揮されており、忙しそうな私に子供のことを直接聞いたり電話するのは悪いと思ったのか、うちの母親から情報を聞き出したいようであった。
これは私と夫の印象だが、彼女は自分自身が思い描いた通りの答えが返ってこないと、何度も質問をする傾向がある。
彼女の望んでいる答えは「孫娘が元気に学校に行くようになる」ことであり、何度聞いても期待通りの答えが返ってこない私たちにおそらくしびれを切らしている。
何度も何度も同じことを聞く。
そして、何度聞いても答えが変わらないから、私の母に少しでも明るい有益な情報がないか、聞きたいのだろう。
申し訳ないなと思う。
でも、そこはなんとか「共感しなくとも良い」から、私にとっては彼女に受け入れてほしい現実でもあるのだ。
私は訪問リハが始まってから週1回、彼女の話を40分間じっくりと聞くようになった。
私の母は「たぶんそれで少し気持ちが満たされて電話しなくなったんだろうね」と話していた。
私は彼女の話を聞きながら、様々なことを思う。
先日はふつふつと私の心に怒りの火種が出てきてしまった。
娘が進学を希望している通信制の高校受験の話を伝えた時に「前は〇〇高校に行きたいって言ってたわよね」と返事が返ってきた。
「おそらく全日制の学校は難しいと思います」と私は伝えた。「毎日学校に行くことはかなりハードルが高いです。一昨年、学校に行かせようと無理やり促していた日々は、娘や私たちにとってもかなりつらい日々でした。死にたいとも話していた。そんな状況を過ごして来て、もうあんな思いを私はさせたくないんです」と続けて話した。
すると
「ああ、そうだっけ?」
と言われた。
娘がつらくなって毎日泣いていたこと、義理の母親からの「学校に行けないのかしら。おばあちゃん泣いちゃう、悲しい」ということばに、娘も私たちも傷ついていたこと。
あれだけ散々見せて来た、伝えてきたつもりだったのに...
「そうだっけ?」
はないだろうと思い
私は一瞬体温が上昇した。
しかし、すぐに心をおさめるよう努力し「だから....ごめんなさい。母親としては娘の気持ちを優先させたいんです」と情けない声で義理の母につぶやいた。
すると、突然彼女が泣き出した。
「ごめんなさいね。考えたら涙が出ちゃう」と涙を流す彼女を見て「泣きたいのはこっちの方だ」と心も体も冷えていく自分がいた。
でも、目の前の彼女がかわいそうだとも思った。
みんな誰かを守りたい。
大事にしたい。
それだけなのに、なんで涙が出るのだろう。
そして、この話は本人不在で進んでいる。
こんな不毛な状況もないだろう。
こういう日もあれば、そうじゃない日もある。
その日はメンデルスゾーンの話になった。
私の息子に「おばあちゃんは何の歌が一番好きなの?」と聞かれ、彼女は
「メンデルスゾーンの秋の歌」
と答えたそうだ。
彼女は大学時代から音楽とともに過ごして来た。そして音楽の教員として定年まで勤め上げた。
大学の時に恩師に教わったこの二重唱を、熱心に練習したことや、ドイツ語だったので歌詞を覚えるのが大変だったこと。でもうまく歌えた時にとても素晴らしい感動があったことを、私に嬉しそうに話した。私は彼女から初めて聞く話に当時の場面を想像した。彼女の高い声が響き渡った時に、空気が振動して、ハーモニーが混ざり合って、それはとても素敵な空間であったに違いない。
そういう刻を過ごして来たのだなと思うと、なんとも愛おしい気持ちになった。
そして、今月、その歌を習った恩師を偲ぶ会を都内で仲間たちと開催するという話を聞いて、私は義理の母が無理なく現地にたどり着けるように、一段とリハの内容に力が入るのであった。
3世代が絡み合って、感じること。
考えることがたくさんある。
彼女のリハの目標の一つは「孫を学校まで迎えに行って以前のように面倒を見ること」であった。
今月、その目標は達成された。
何ヶ月かぶりに祖父母は息子を迎えに行き、息子の好きな幸楽苑というチェーン店のラーメン屋に行って、ラーメンを食べることができた。それは息子の誕生日祝いでもあった。
「頼もしいのよ、〇〇ちゃん。注文が店員さんじゃなくて、机にある機械で頼むでしょ。『おばあちゃん、何食べるの?僕がやるから』って全部頼んでくれるのよ」と義理の母は話していた。
私たちは日々変化している。
その中でお互いにお互いを受け入れたり、受け入れられなかったりしながらも、共に過ごしていく。
留まることはできないのだ。
動的で揺らぎがある私たちは、今に留まることはできない。
でも、この訳詞のように
「新しい木の葉と 新しい希望」は
きっとまた訪れる。
そうやっていのちは
循環していくものだと思うから。
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