バスの席決めについての対話より子どもから得たもの
会話をしていて、他者の視点に気づいた時に、自分の視点を動かすことができるというのは、すごく難しいことだと思う。
私自身はできていないことが多い。
結局、人間は自分の聞きたいことだけしか聞いていないのだ。
メタ認知。メタをまわせと言われてもまわせない。
ふわふわっと聞いているとできるような気がするけど、できているのかいないのか。
相手の話を聞いていてふわふわっと自分を動かす。いろいろな角度から見てみる。雲に乗っているような。筋斗雲のような。孫悟空は自由自在だが、人の話はあんまり聞いていないような。
話はそれたが、この前わが子と話していた時に
わが子が自分の視点を動かすことが目の前でひょいっとできていたので、少し感動してしまった。そのことを書いてみる。
うちの子は今年で小学6年生になった。
小学6年生と言えば「修学旅行」である。
ご多分にもれず、わが子も修学旅行に行けることを楽しみにしていた。
しかし、今年はなんといっても新型コロナウイルスの大流行である。
学校生活も4月は新学期を迎えられず、遅いスタートとなってしまった。
そんな中で、一時期は修学旅行は中止との噂がたち、わが子も目に涙をためて「絶対やだ、行きたかった」と泣き叫んでいた。
けれども、結局「日帰り」「県内」という条件で無事行けることになった。
わが子も大変喜んで、行ける日を待ち望んでいる様子であった。
そしてある日、自宅へ帰る車内の中で
「バスの席決め」
についてぽつりぽつりと話し始めた。
どうやら担任の決めたことに納得がいっていない様子であった。「くじびきで決める」という方法は、良くないのではないか、せっかく想い出に残る旅行なら好きな友人と一緒に座りたいと主張している。
わが子はこの時点では「何が何でもくじ引き反対派」であった。反旗をひるがえすジャンヌダルクのように熱い意志をもっていた。
「まあ、そうだよね」と私は言葉を返す。
夫は「普段話さない人と話して意外性を見つけたりすることなんかが学校の狙いなのではないか」と言った。
確かに学校教育では普段できない体験を通じながら仲間の良さを見つけるといったことは、目標とされそうな気もすると思った。
わが子も「そうなんだろうけど、でも・・・」と話す。
「みんな仲良くってのは難しいよ。実際はそんな風にはいかない。やっぱり気の合う人と合わない人がいる。気が合わないからって嫌いという訳ではないんだよね。それもだめなのかな。」
その価値観には、私も同意した。
みんな仲良くは難しい。
「クラスメイトはどう思っているのかな?」と私が聞くと、「そう思っている子が自分のまわりには多いけど、みんなが思っているかはわからない。聞いてみた方がいいね。」と返した。
「みんなの意見を聞いてみて、先生に伝えてみたらどうかな?」と提案すると、わが子も「そうしてみようかな」と話した。
そしてしばらく考えて、また話し出した。
「仲が良い子同士で組むと、1人余る子がいるんだよね。31人いるから奇数になって、絶対決まって余る子がいる。それはいやだなといつも思う。でも、かといって自分がその子と組んだら、やっぱり余る子がいるし、自分も我慢しているんだよね。」と悩み始めた。
不公平な感じ。一人が我慢をする。
「だから我慢を平等にしたいんじゃない?」
と私が言った。
「先生はくじ引きにすれば、みんなの我慢が平等になると思っているんじゃないかな?」
わが子はそれを聞いてハッとした顏をした。
「そうか。だからくじ引きなんだ。そうだよね。」
と納得がいった表情をしていた。
そのあと「先生も大変なんだよね」とも付け加えた。
ここでわが子の視点が大きく変わったのがわかった。
自分の視点から先生の視点へと大きくぐるっと変化したのである。そして先生の苦労を想像することができていた。
すごい
と私は思った。あんなに怒ってたじゃん。
うちの子すごい、天才か(親バカ)
ジャンヌダルクはくじ引き反対派の旗をおろしたのだ。
そのあとは視点が複雑化し、葛藤が続いていた。
世の中、答えのでないことばっかりだけど、考えてみることは大事だよと伝えた。
わが子の結論としては、仲良しグループを大きく分けて(4つくらい)その中でくじ引きをするということに落ち着いたようだ。
後日、担任に相談し、無事に仲良しグループで席を決めることができたと報告してくれた。
この出来事は私に重要な示唆を与えてくれた
子どもの方が柔軟である。
経験は大事だが、大人は自分の経験に頼りすぎて、見えるものが見えなくなっているかもしれない。
子どもとの対話を通じて、私は日々学ばせてもらっている。
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