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水戸黄門にならうべし

私のお姑さんはとてもやさしい人だ。

夫に顔が似ていて、基本的に対応がカラッとしている。

そしていつも私の事を心配してくれている。
同居はしていないが、自宅が近い。
「孫の面倒を見るのが生きがいだから、ご飯を食べさせて待ってるよ」と我が子たちを学童に迎えに行き、晩御飯を食べさせて私が帰ってくるまで待っていてくれる。それが週に1~2回。

本当にありがたいなぁと思う。私は幸せ者である。

「だって私がしたいんだからいいのよ。」といつも笑顔を向けてくれるので、感謝を毎回伝えている。


そんな素敵なお姑さんだが、欠点もある。

人間だからみんな欠点はある。それはしょうがない。私だって数えきれないほどの凸凹を抱えながら人に甘えて生きている。

いつも「サーセン!」と言っている「サーセン虫」を頭のどこかに飼っていて、絶えず相手に謝っている。これは「あんまり謝るとうざい!」という夫のリクエストに応えて、私の脳内に勝手にできあがってしまったやつだ。(ビジュアルイメージ的にはおしりかじり虫。)


話がそれたが、お姑さんの欠点。
その1つが「同じ話を繰り返す」こと。


例えば、私に会ったら、子どもたちの今日の様子を教えてあげようという親切心から、孫たちとのやり取りを嬉しそうに話してくれる。
それが1回では絶対済まない。

会った時に2時間くらい一緒にいたとして3〜4回は繰り返す。

いくら何でも頻度が高すぎると思う。あまりにも全く同じように話をしてくるから、最初は「あれもしかして認知症の始まりかな・・・」と少し心配になった。


夫は「あれは昔から」と言った。

1回夫が「前も聞いたよ、それ。」とやや怒り気味に返したことがあった。お姑さんは

そんなの自分でもわかってるよ。いいじゃない。同じ話を聞いてくれたって!」と応酬した。


これは意図的にやっているのか、認知症の方が行いがちな取り繕い反応なのか、私もいまだに見極めがつかないが、昔からということはおそらく前者の理由が強いのであろう。

そして夫は、そんな自分の母親の話を何回も聞きたくないのか、実家に行くといつもどこかの部屋にフイっと消えてしまう。

ここで急にだが舅さんの話もしたい。お舅さんは以前脳梗塞を発症しているため、話しことばが非常に出にくい。
単語レベルや2~3語なら何とか出てくるが、長文が苦手で、ことばそのものがスムーズに出てこない。

だからいつも「えーっと何だっけ・・」と自分の言いたいことを上手く言えずに言いよどんでいる。そしてしまいには怒り出してしまう。

この2人は、家では2人きりなので、おそらくお互いにあまり満足のいく会話をしていないと思う。

そのお姑さんの思いのたけが、私に全集中する。

私も「壱の型 傾聴の呼吸!」と技を返すのだが、さすがに3〜4回も全集中して聞いていることができない。

しかもこれはこの時だけでなく、次に会った時も繰り出してくることが少なくもないので、かなりの集中力を要する。

こんな私は一時期「あいづち」のバリエーションを増やしてみたことがある。

毎回同じ話をしてくる=私が答えている内容に納得がいっていない。思ったような返事がなくスッキリ感がないのでは?という仮説を立ててみたからだ。

「○○ちゃん(うちの息子)がこんな難しい話をしてたのよ。物知りなのね。」という会話をお姑さんがしてきたとする。

それに対して

①そうですね。いろいろと今の子はよく知っているんですね。
②息子が物知りなのは、○○家(夫の姓)の遺伝の賜物だと思います。
③うちでもそんな難しい話をしていました。今はそれが好きなんですね。
④息子は好きなジャンルの事は熱心に調べる方なんです。
⑤おばあちゃんにだけはどうしても話したかったんですね。

など毎回様々な応答を返した。「弐の型 魂の応答の呼吸!

その結果。どうだったか。


なんと、そんなにお姑さんの返事は変わらなかった!

しかもたぶん私の話をあんまり聞いていないようである・・。少しずついつもの自分の話の結末になっていく。
(この場合のお姑さんの返しは「こんなに頭がいいのに支援学級に行っているなんて・・」という元教員だからこそ?の偏見あふれる形で着地する。これに対して私はいろいろと思うのだが、何を言っても支援学級への様々な偏見は変わらないようだ。)


これでわかった。いいんだ、豊富なバリエーションは。

そんな事、私はきっと求められてない。

むしろどう結末に近づいていくかだ。

これは水戸黄門と一緒なんだ。

水戸黄門ではクライマックスにさしかかると、必ず格さんが印籠を出して「ひかえおろう、この方をどなたと心得る。水戸光圀公であらせられるぞ!」と悪者たちに宣言する。

それと一緒だ。同じ話をしたら、必ず同じ結末にたどり着く。それは水戸黄門と一緒で、八兵衛がうっかりしたり、お銀さんが入浴したりするのも予定調和的で、お姑さんの話も最後は印籠を出さないと無事終了したことにおそらくなっていないのだ。


だから私の最近の戦略は「いかに早くクライマックスにたどり着くか」というものへ進化した。

何回も話を聞いているので、私にこの話の終わりは見えている。

だからその決まったゴールに向かってうまくパスをつなげていけばいい。

最近はこのような「水戸黄門作戦~彼女が言いたいことを早めに引きだして予定調和を目指せ大作戦!」を決行し、まずまずの成績を上げていることをここに報告したい。

やはり高齢者で困った時はなんでも「水戸黄門」で解決できる。

大体の問題は黄門様に頼っておけば88%位の確率でどうにかなる。

いずれ水戸偕楽園にでも行って、お参りをし、日頃の感謝を伝えたい。

私の気持ちは今はそのように思っている。


※今回の話は、以前の記事のコメント欄で、いちご牛乳さんが気に入って下さったところを掘り下げてみました。私と遊んでくれるnoterさんたちは、皆さんとても魅力的です。いちご牛乳さんも素敵な方なので、ぜひ遊びに行ってみて下さい。




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