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3人だけの卒業式
卒業式の時期だ。
今年は、我が家の娘も息子もそれぞれの学校の卒業式を控えていた。
息子は「式の練習が始まったよー」と夕ご飯を食べながら学校の様子を教えてくれる。3年前の娘の卒業式の時はコロナの流行のピークだったこともあり、式の内容はかなり制限の強い状態で執り行われた。合唱なども飛沫が飛ぶと言う理由で、式で歌うことができずに、事前に収録しておいた音声を流すという対応が取られていた。息子は、気づくと鼻歌を歌っている。おそらく卒業式で披露される歌なのだと思う。
息子の卒業ムードが高まる中で、私は娘に「卒業式ってあなたは出るのかな?」と何度か質問を投げかけていた。というのも、彼女は中学一年生の頃から、長い間学校に登校することなく、中学の卒業を迎えるからだ。
「私は出ないし、お母さんも出なくていいよ」
質問の答えはだいたい決まっていた。
が、何度か私は確認をとっていた。もし、出席するのであれば、その日の仕事を休みにするために調整をしなければならなかったからだ。
娘が出ないことに関しては何とも思っていなかった。
彼女の自主性に私は任せたかった。出ることが苦痛であるならば、そんなものは必要ないと思っていた。
もちろん学校の先生方に感謝の心がないわけでもない。でもそれは別に卒業式で伝えなくたって、他に機会を設けて私から伝えればいいだけの話だ。
義理のお母さんから会うたびに「娘氏ちゃんはいつ卒業式なの?どうするの?」と何度か質問を受けた。
私は娘は出ないことを毎回伝えた。その度に目の前の義理の母親は複雑な顔をした。
そして、私も複雑な気持ちになった。
嫌なのだろう。そして哀れんでいるのだ。娘のことをかわいそうだとも思っているのだろうし、教員だった彼女からすると、不参加はとても信じられない出来事でもあるのだろう。
ああ、そうだね、かわいそうでけっこうだ。
そして私たちはかわいそうな親子なのだろう。
人が思うのはどうでもいい。
私はそうは思っていない。
ただそれだけの...私が信じている真実があるなら私はそれでいいのだ。
私は息子の卒業式の日だけ午前休をもらいたいことを上司に報告した。式典に出るための息子の服を購入する等の準備をしながら、あわただしく月日は過ぎていた。
卒業式の2日前の夕方。
夕ご飯を作っていると、不意に娘の担任から電話がかかってきた。
「あの、卒業式の件なのですが...〇〇さんは午後だったら出られそうと本日話がありまして...急遽なのですが親御さんも参加できないでしょうか?」
私は握っていた菜箸を思わず落としそうになった。
「え...あさってですよね?!えーと...私が休みが取れるかわからないので、ちょっとお返事はすぐにいたしかねます。わかりました」
午前中に通常通りの卒業式が行われるのだが、午後にうちの娘と、うちの娘の仲良しの友達(彼女もずっと不登校だった)のためだけに卒業式を開いてくださるとのこと。
そんなことって学校がしてくれるんだ...。
それよりも、娘が出る気持ちになっていることに驚く。
急いで娘に意思を確認した。
「うん、急にでごめんね。でもお母さん仕事があるから出られなくてもいいんだよ」
私はおそるおそるダメ元ではあったが、その時間だけ抜けさせてもらえないかということを上司に相談した。
上司は「わかりました」と返事をするやいなや、たちまち私のスケジュールを調整して、訪問先の利用者さんに連絡までしてくれた。
仕事の合間に抜けるといったかなりタイトなスケジュールではあったが、これで参加する手はずは整った。
卒業式当日。
私は娘に「仕事から抜けてきて、式が終わった後も仕事にすぐ行かなくちゃならないから、礼服が着られなくてごめんね。仕事着だよ」と伝えた。そして朝、仕事場に向かった。
午前中の仕事を終えて急いで帰宅する。
帰宅すると制服姿の娘が髪の毛をとかしていた。
昨日切って欲しいと本人に言われて切った前髪がどこか春らしさを感じさせる。
娘はかなり、ローテンションだった。
口数が少なく、感情が停滞している。
私は娘と学校に向かう間に話をした。
「感慨深いとかはないんだろうね、よくわからないけども」
娘は「あー...」と何とも曖昧な返事をした。
「まあね、お母さんも卒業式は泣かなかった。まわりは泣いてたけども、ぶっちゃけ何とも思ってなかった。悲しくもないし、感動もしないし、別にさみしくもないから、まわりが泣いてるのはよくわからなかったんだな。そして、そんなまわりに合わせることも私はできなかった。私の親も卒業式の予行練習の期間に家族のスキー旅行の日程とか入れてくるから、私も練習があまりできていない状態で本番を迎えて、正直どういう風に動けばいいのか本当によくわからなくて、とにかくまわりに合わせて失敗しないにしようとか、そんなことばかり考えてたよ」
娘は私の話を聞いているのかいないのかわからなかったが、頼りない相槌だけが聞こえてきた。
学校に着くと、先生方が笑顔で迎えてくださった。
娘の友達とご両親がいらしていた。彼女たちとは久しぶりに会う。昨年うちに一度遊びに来てもらって以来だ。彼女は娘と同じくして不登校になった。外出すると体調を崩してしまうからと、さまざまな病院にかかったが原因もわからず、対処療法的な薬を処方されていると話を聞いていた。
彼女の母親が近づいてきて「今日は薬飲んできてます。あまり眠れなかったみたいで体調も今日は良くなかったから、大丈夫かなと思って」と私に心配そうにこそっと耳打ちをした。
私は「でもすごいいい顔されてますよ」と返した。
友人はもう1人の友人と笑顔で話していた。
そう、私の子と彼女には、もう1人友人がいる。
その子は学校にも毎日通っている子だったが、私の娘たちとも交流を続けてくれていて、彼女は午前中の自分の卒業式を済ませていたのに、わざわざ午後も残っていてくれたのだ。
3人の友人達がそろった。
先生方に「画面越しでなくてリアルで揃っているのはいいね」と言われている。
うちの娘と不登校の友人は長いこと、中学には通わずリモートで授業を受けていたから、こうして3人がそろうのは確かに珍しいことである。
娘は様々な人と挨拶をしていた。
会話はしている。笑顔もある。けれども、どこか相手の温度感に努力して合わせているような印象も受けた。さきほどまでのローテンションぶりを考えると仕方ないのかなとも思った。
担任の先生が「まだ会場はそのままだから、教室でやるのではなくて、講堂でやりませんか?」と提案してくれた。
娘は「どちらでもいいです」と返事をした。友人は「〇〇ちゃん(うちの娘の名前)がいるから、たぶん私もできそう」と返した。先生は笑顔になって嬉しそうに「じゃあ講堂でやろう!」とはりきって先頭に立って向かっていった。
講堂に入る。
たくさんのパイプ椅子。
「祝卒業」と書かれた横断幕の下に日本の国旗と市のマークの旗が並んでいる。壇上には鉢上のお花が綺麗に並んでいた。
先生がお手本を示す。
「ここにあがって、校長先生にもらって、くるっと振り返って帰ってくる。これだけでいいから」
卒業証書の受け取り方を娘たちに伝えた。
その間にぞろぞろと人が入ってきた。
担任の先生以外の先生方がみんな来てくださった。もちろん校長先生もいらっしゃった。
教員席はぎっしりとしている。
私たちの席は
たった3人の生徒と
3人の保護者。
式は始まった。
開会の挨拶からはじまる。教頭先生がお辞儀をする。
「卒業証書授与」
私はスマホのカメラをかまえ、動画を撮った。
3年前は小学校だった。
もう3年だ。
娘の3年。
決して平坦な道のりでもなかったのかもしれない。
人からかわいそうと思われることもあるのかもしれない。
しかし、娘は娘なりに生きていた。
苦悩も不安も葛藤も絶望も抱えながら
普通や当たり前と戦いながら
でもそれだけではなくて
楽しいこと
うれしいこと
心が踊ること
一つ一つ、彼女は受け止めていたと思う。
猫背だな
私に似ているんだ。
所在なさげで
どこかここにいてもいいのかなという雰囲気
でも、世の中に対して色々思っていること。
誇りを失わずになんとか踏ん張っている。
卒業式は無事に終わった。
私はまた仕事に行かなくてはならなかったので、娘を置いて学校を出た。
校庭に花が咲いていた。
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先生に言われたことを思い出す。
「午前中に卒業式に出た子が、午後も一緒に参加するのは初めてですよ」
おそらく毎年不登校の子は午後に式を行なっているのだろう。先生方の手慣れた様子からもそれは伺えた。そして不登校の子は毎日通っている子との交流もそれほど普通はないのだと思われた。
はじめて...いいじゃないかと思う。
娘は友人達と今後も高校は違えど、きっと関係性は変わらないだろう。
娘は帰ってきてから、ある媒体に文章を残していた。
卒業式で思ったことをそのまま切り取って見せてくれていた。
感慨深いものはない。
気持ちが追いついていかない。
感謝をなんとか伝えなければならない。
でも、参加できた。
率直な気持ち。
書いてあったがすぐ消されていた。
別に感慨深くなくてもいい。
晴々しいものでなくてもいい。
3人の写真を私はあれからたまに見返す。
空っぽの講堂に
小さく写っている3人は
確かにあの場にいて
ピースをしていたことを
私はずっと忘れないのだ。
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