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ひとりひとりのものがたり

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仕事での出会い、出会ってしまった人たちの物語の断片を書き綴ったもの。高齢者のナラティブ。
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#毎日note

あげものばあちゃん

「Wさん、ご飯の時間ですよ。」 「あげもの」 「Wさん、今日は晴れましたね。」 「あげもの」 「リハビリの時間ですよ、Wさん。」 「あげもの」 「今日のお昼はなんでしょうね。」 「あげもの」 最後のやりとりは合っていそうな感じだが、今日のお昼はうどんだったりする。 Wさんは当施設に入所してきて「あげもの」という謎のことばしか返さない変わったタイプのおばあちゃんだった。 こちらが何を言っても「あげもの」しか言わないのだ。 そしてとても無表情。 何が彼女を

クリスマスだけどおせんべいでもいいね

「服がないのよ」 「ズボンが窮屈なのしかなくて。持ってきてもらわなくちゃね。」 私は紫色のシルバーカーを押す80代の細身の女性と歩いていた。彼女は当施設へ入所している利用者さんだ。時間はちょうど午後の3時頃。 「そうですか。もしかしてタンスに入っているかもしれないから、一緒に見に行きましょうよ。」 私と彼女はおもしろいくらいに毎日この会話のやりとりをしている。 問いかけも答えもおそろしいくらいに一緒だ。 そのまま、彼女の部屋に入る。 ベッドに座って一緒にタンスの

盆栽とネコのいる庭で

「ねえ、あなた盆栽いらない?」 「いいえ、けっこうです。私には手に負えませんよ。」 毎回同じやりとりだが、それは私たちにとって、なくてはならないいつものあいさつ。 *** 車はメイン通りから1本入った静かな道の小学校のすぐそばにある、とある住宅へと向かっていた。石畳の駐車場は広く、およそ3台分の駐車スペースを有しているため、訪問車の軽自動車なら余裕を持って停めることができる。 私は車を停めて、広い敷地へ入っていった。 庭は綺麗に芝生が植えてあり、雑草は生えていない

ジェームスとボンドがいた日

ある日、私が勤めている施設の裏庭に、突如として2匹の子やぎがあらわれた。 体のサイズはとても小さく「メェ〜」と鳴く姿は大変愛らしかった。 田舎の老人保健施設では、心が躍るようなビッグイベントや目が覚めるようなハプニングが起こることは大変少なく、非常に牧歌的な毎日を職員も利用者さんも過ごしている。 東京から来ている非常勤療法士に「ここはガラパゴス(諸島)みたいだね。」と(おそらく半分バカにされながら)言われたこともあるくらいだ。 そこで彗星の如く現れたこの2匹の子やぎたちの

それぞれのエール

「そんなんじゃだめだぞ!もっと、シャキッとやらないとだめだろ!」大きな声がひびく。 一瞬あたりがシンと静まり返る。 声を出したのは90代の男性だ。 立ち上がって若者たちを見つめる。 見つめた先の若者たちは、高校の吹奏楽部の子たちだ。 私はドキドキしながら事の顛末を見守っていた。 *** 夏の始まりを感じる7月の上旬頃に、毎年私が勤めている施設のデイケアでは、七夕会と称してボランティアを呼んでいる。(※今年はコロナのため中止だった) 内容は曜日毎に変わり、日本舞

今日も私たちはトラペッタをさまよう

「そう!そこまっすぐ行って」 「ああ、その人に話しかけて下さい」 「その人じゃなくってですね。もう少し奥にいる人。」 私はなぜか、60代の男性と彼の部屋でドラゴンクエストⅧをやっていた。 はて。私は何をしているんだろう? 事の発端は、新規のデイケアの利用者さんの家に初めて行かせて頂いた時、同居している姉が担当利用者さんのゲーム機とゲームソフトを入院中に勝手に捨ててしまったことから話は始まっていた。 彼は退院して発覚した事実にたいそう怒っていた。 「何で捨てちゃっ

ありのままの姿で

「ありの〜ままで〜・・よ!」 「どうしたんですか?」と私は問う。 デイケアの利用者さんを今日もリハビリにお誘いしに行った。 誘おうとしていた方と一緒に話していた女性が、急に私に振り向いて笑顔でこう言った。 私は少し驚きながら尋ねた。 「アナと雪の女王を知ってるんですか?」 「知ってるよ。もう私も78歳になるのよ。」 「私はいろいろと思うのよ。」 話を聞いた。 「なんかね。コロナになっちゃってさあ。いろいろと思うのよ。私ももうあと何年生きられるのかなぁなんてさ。

皇帝ダリアは咲いていたか

写真を撮られるのは昔から苦手だ。 昔といっても子どもの頃はおそらく気にしていなかった。 ちゃんと笑顔で写っているものが多い。 思春期くらいから苦手意識をもっていたと思う。自分の容姿に自信がないことと、容姿以外でも自信がないことから、なるべく写真に写らないようにしていたし、どうしても写る時は端っこでなるべく小さくなって(といっても体が大きいので小さくはなれないのだが)写っていた。ぎこちない作り笑顔で、写真の私はいつも猫背で頼りなさげだ。 そして運悪く、私の青春時代はプリク

迷惑をかけてほしかった娘さんの話

<2人のHさん> 数年前にHさんという80代の男性がデイケアに通われていて、私がリハビリの担当をしていた。 全く同じ名字のHさんも同じデイケアに通っていた。その方は私の担当ではなく、後輩の女の子が担当していた。 2人は家が隣同士で同じ曜日に通っていたが、全く違うタイプの人間だった。 同じ名字のHさんは油絵が趣味で、破天荒な芸術家タイプ。 人に合わせることはなく、行動も言動もマイペースだった。 デイケアの送迎で朝迎えに行くと、まだ肌着で過ごしていることがしょっちゅうで「行