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ひとりひとりのものがたり

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仕事での出会い、出会ってしまった人たちの物語の断片を書き綴ったもの。高齢者のナラティブ。
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#私の仕事

咀嚼できない何かと人生会議

もごもご。 もごもご。 ・・・・・。 私は、今日もデイケアに来てくれた里子さん(仮名)の口元をじーっと見つめている。 口元の動きは止まってしまった。 目は開かれている。 でも、次第に瞼が落ちてくる。 「里子さん、里子さん、起きて下さい。」 「飲みましょうか。おいしいですよ。」 里子さんに私の声が届き、目が再び開かれた。 もごもご もごもご ・・・・・ 里子さんはパーキンソン病という病気になってもう7年くらいになる。 里子さんは食べたものや飲んだもの、自分の

喫茶ブラジルと青いノート

私は20cm程度の茶色の紙袋を持って、作業テーブルに向かった。 丸椅子に腰かけて、隣の車椅子に座っている相手と目くばせをする。 その相手の女性は、短い白髪で目が大きく、小柄な人だった。私の行動をやさしい小動物のようなまなざしでじっと見つめている。 私は紙袋からコーヒー豆を取り出し、手動のコーヒーミルの本体へそそぐ。辺りがコーヒー豆のいい匂いに包まれる。 カラカラっときれいな軽い音を立てて、豆は本体の底へおさまっていく。 「さ、やりますか」 と私は言った。女性は

盆栽とネコのいる庭で

「ねえ、あなた盆栽いらない?」 「いいえ、けっこうです。私には手に負えませんよ。」 毎回同じやりとりだが、それは私たちにとって、なくてはならないいつものあいさつ。 *** 車はメイン通りから1本入った静かな道の小学校のすぐそばにある、とある住宅へと向かっていた。石畳の駐車場は広く、およそ3台分の駐車スペースを有しているため、訪問車の軽自動車なら余裕を持って停めることができる。 私は車を停めて、広い敷地へ入っていった。 庭は綺麗に芝生が植えてあり、雑草は生えていない