KOKI

躁鬱バンドマンです。よろしくお願いします。文体が安定しません。

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最近の記事

赤橙

いつだかの引っ越しのバイト。 事あるごとに怒鳴ってくるタイプの社員のあんちゃんと組まされて最悪だった。予想通り手荒くこき使われまくって気付いたら夕方になっていて、そろそろ退勤の頃合いかな?と淡い期待を抱いていたら「最後の現場に行くぞ」とあんちゃんに宣告され、渋々トラックの助手席に上がり込んでからは屍みたいに座りこくってた。 出発して程なく首都高に入って、灯りが流れていくのをぼーっと眺めていたら、ラジオから赤橙(Acoustic)が流れてきた。 ん。うわ、なんかこれ…めっち

    • 変な格好がしたい

      本当はもっと変な格好をして街を出歩きたいのですが、街で見かける変な格好の人は、変な格好の人同士のイケてるコミュニティでイケてることをしにいっているので、友達もいない街でただ変な格好をして出歩いていても、虚しいのです。 本を持って喫茶店に入っても、変な格好のカップルが他の知らない人(おそらく変な格好)の話をしていたりして、読書どころではないのです。 そうすると、俺はなぜそうまでして変な格好をして街を出歩きたいのかという根本的な問いに立ち返ります。 それは自分が退屈な大衆から

      • 自分という天使、自分という悪魔

        二、三年ほど前、躁うつの治療を始める以前。 頭の中に浮かんできたことや、本を読んで自分なりに消化したことを頻繁にメモしている時期がありました。 ふとそのときのメモを見つけて、ほう、と思ったのでここにも記しておこうと思います。 当時僕は心理学に纏わる NLP という概念に興味を持ち、入門本みたいなものをつまみ食いしていました。 NLP とは Neuro Linguistic Programming の略称、日本語では 神経言語プログラミング と呼ばれるセラピーです。 ただ、

        • 由無

          こんにちは。少々お久しぶりですね。 近況を報告しようかと思います。 noteでフォローしている人の投稿を読むことはあるものの、自分ではしばらく書いてないなあと前回の記事をチェックしてみたら"4ヶ月前"と表示されており、あれ、意外と経ってないかも、となんだか拍子抜けしてしまいました。 * さて、気付けば季節の変わり目というフレーズもあまり耳にしなくなり、皆様におかれましてはすっかり秋のアクティビティに勤しまれているものと存じます。うらやましい。 最近の僕はというと、なに

          10分間

          Against The Clock まずは、とある海外のYouTubeチャンネルの Against The Clock という企画の話をさせてほしい。 Against The Clock は、名だたるビートメイカー/プロデューサーが、10分間のタイマーをセットしてアラームが鳴るまでに一曲こしらえるという、シンプルかつエキサイティングな企画だ。 その制作風景の一部始終を見ることができて、焦った様子でDTMソフトに向かう人もいれば、静かにモジュラーシンセをいじり出す人もいる

          バンドマン

          バンドマンになってからおよそ10年経つ。 何を以って"バンドマン"とするのかはさておき、それだけ長いことやっていると、バンドマンたちの苦悩がわかるようになる。 * 僕はメタルバンドをやっているが、フィッシュマンズが好きだ。フィッシュマンズの説明は以下の記事を拝借、省くこととする。 1999年3月、作曲の要であったVo/Gtの佐藤伸治が急逝し、活動の休止を余儀なくされる。 前年には「男たちの別れ」という名を冠したツアーを行い、12月28日にそのファイナルを赤坂BLITZで

          バンドマン

          同じ猫

          同じ猫を見た気がする。 * 先程、タバコを吸いに外に出てみたら、猫がいて、いかにも切なげに鳴いていた。 最近、寝る前に窓の外から聞こえる声の主はこいつだったか。 15年ほど前、同じような茶トラの猫が家の周りをうろついていた。 僕はそいつのことが気になって、姿を見るや否やこっそり家の冷蔵庫からハムやらマグロやらをかっぱらい、よくそいつに与えにいった。 感謝するようなそぶりは一切見せなかったが、身体を少し触らせてくれたのは、そいつなりの温情だったのだろう。 同じ猫ではな

          同じ猫

          母の流し台

          ふと自分の中で気づいたことがあったので、メモ程度に母について少し話します。 僕の母はすでに他界しており、よく家族を振り回してしまう人で、反面、物静かな人でもあった。鬱と目の病気を抱えていて、さまざまな事情が入り組み、最終的には同じ家に暮らすことが困難になった。今になって考えると母の人生は少しばかり荷が過ぎたようだ。 先日の脱臼からひと月半ほど経ち、右腕が使えるようになって洗い物のときの腰のつらさを思い出す今日この頃、うちのキッチンはコンロや流し台の位置が低めに設計されてい

          母の流し台