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10分間

Against The Clock

まずは、とある海外のYouTubeチャンネルの Against The Clock という企画の話をさせてほしい。

Against The Clock は、名だたるビートメイカー/プロデューサーが、10分間のタイマーをセットしてアラームが鳴るまでに一曲こしらえるという、シンプルかつエキサイティングな企画だ。

その制作風景の一部始終を見ることができて、焦った様子でDTMソフトに向かう人もいれば、静かにモジュラーシンセをいじり出す人もいる。
「果たしてどんな曲が出来上がるのか」
そんな緊張感が、我々とビートメイカーとの間で共有されているような気持ちになる。

ビートメイクとは一般的にHIPHOPの文脈における"オケ"の制作を指す言葉で、ラップが乗ることを想定して作られているため、ある程度のセオリー(verse hookの繰り返しなど)を押さえて単調な構成のもとに作られるものが多い。
とはいえ、たったの10分間でゼロイチの楽曲を完成させることは(あるいは居るのかもしれないが)プロといえど容易ではないだろう。

「ピアノの鍵をひとつ弾いただけでも"楽曲"であると主張できる」というふうな議論は、ここではしない。

なぜこのような話を持ってきたか。

僕は、時間の制限はヒトの創造性を高める要素になり得ると考えている。

Against The Clock はそれを体現したかのような企画であり、実際に出来上がった楽曲を聴いてみると、決められた時間の中でもこれほどクリエイティブなものが生み出せるのかと、驚嘆するのだ。

時間の有限化は、他分野の制作にも等しい効果を発揮するものではないか。

つまり、このnoteでこれをやってみたいというのが、本稿の目的である。



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スタートした。

何がスタートしたか。

そう、いましがた僕は10分間のタイマーをかけた。

PC であればタイピングも誤字の訂正も非常に素早く対応できるのだが、スマートフォンからではどうにも上手くいかない。

この時間に何を書けばよいのだろう。今はただそれを考えている。
訂正といえば、文章というものは後からいくらでも修正が効くし、このようにログが残ることで何度も参照ができる。

しかし、口頭での会話はそうもいかない。
"キャッチボール"と称されるほどなので、こちらが捕球してから投げる時間はほとんど一瞬だ。

いま残り4分だ。

この文量の原稿を用意したとしたら、ものの1分で読み終えてしまうだろう。僕は必要以上に言葉選びに慎重になってしまう。
この言い方でうまく伝わるだろうか、輪郭を付与できているだろうか、そればかりにとらわれると、あっという間に時間が過ぎ、体力も尽き、下書き保存して別のアプリへとふらふらと出かけてしまう。

もう1分もない。
ここで伝えたかったことは、今になって浮かんだ。
文章という媒体は、それはそれで、ひどい労力を生むものだ。


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あとがきです。

タイマーが終わりを告げた。ホッとした。
結局自分が何を伝えたかったのか、さっぱりだった。

文章の中で基本的に"オチ"となるのは結論である。
結論は、突き詰めたものがやがて結晶となって揺るがなくなった考え、もしくは推論のことを指す。物語で言えば結末だ。

結論らしい結論を用意できなかったが、健闘した方だと思う。

文章という媒体は、それはそれで、ひどい労力を生むものだ。

当たり前すぎる。
ゆえに、この字面はなんらかのメッセージ性を持っていると捉えられなくもない。
後から校正も許されない緊張感に晒されながら書くものは、なんとなくスピード感がある。

頭の中にある結論を言語化する過程で前後関係や文脈を考えていくうちに、ディテールは予想だにしていなかったもので再構築されていく。この質感を10分間で感じられたような気がした。

これはそんな好奇心で書いた記事でした。

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