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本当のコミュニケーション

はじめの一歩

 約10年前、私は手話通訳に養成学校に入った。福祉に興味があったわけでもなんでもない。ただ会社にろうの同期がいたからだ。彼女とは簡単な手話と筆談でコミュニケーションを取っていたが「もっと彼女と話せるようになりたい」、そう思って思い切って最初の一歩を踏み出してみた。

 入試に手話の実技はなかった。常識問題と面接をパスし、入学することができた。ただ入ってみると想像とは全く違った。良い意味でも悪い意味でも。

  1. 手話は音声と一緒に表せるものではない

  2. ろう者は文字を書けば分かる は間違い

  3. 手話、ろう者は、「目」の文化…

などなど。書き連ねたらキリがないが、その中でも入学当初、特に驚いたのは手話は音声と一緒に表せないということだった。

手話は音声と一緒に表せるものではない

 私の会社の同期は声を出していたのに、音声と一緒には表せないらしい。初めは混乱したが学ぶうちに分かってきた。手話は独自の文法、リズムを持つ言語なのだということが。同期が声と一緒に表しているのは、私たち聴者に気を使った結果なのだと。

 また日本語話者が音声日本語優位でろう学校で指導してきた結果だということも分かってきた。自分の声を確認できない中、学校で「声を出せ、口を読め」を強要してきた結果、多少声と一緒に手話ができるようになったらしい。代わりに完全に理解できる言語を奪われ、物事を正確に理解したり深く考えたりすることが困難になる要因にもなり得たことを知った。

久しぶりの再会に心躍る

 私は夜勤の仕事で学費、生活費を稼ぎながら昼間学校、放課後は課題と、手話動画を見ながらシャドーイングの練習、と一生懸命手話を身につけていった。そしてろう者の同期にひさしぶりに再会することとなった。

 彼女はいつもニコニコしていて、私の手話の間違いやすれ違いにもとても寛容で、笑って許してくれていた。「少しはうまくなった手話を誉めてくれるかも」会えるのがとても楽しみだった。

同期は全くの別人になっていた

 ニコニコがイメージだった彼女。ところがひさしぶりに会うと、性格が別人のように、とってもキツくなっていた。手話に追いつけない私に「こんなのも分からんのか」と言い、「何言ってるか分からん、やり直し!」と言い放ったのだ。

 でも、この衝撃的なできごとから、私には分かったことがあった。彼女の本当の性格はこっちだったということだ。

 彼女は第2言語である日本語と、手話単語を日本語の文法に合わせたもの(手指日本語または日本語対応手話という)を駆使して、私に合わせて話をしてくれていたのだ。私が英語のネイティブと話をするように、分からないことは笑って流していたに過ぎなかった。

 さらに言えば、聴者にはニコニコしていれば嫌われないというろう学校時代の経験もあったのかもしれない。私たちはずっと上部だけの付き合いをしていた。私だけが気づけなかったのだ。

本当の友人

 私はそのキツい性格がとても嬉しかった。彼女は私に本当に自分を見せてくれたのだ。もう4年の付き合いのはずなのに、本当の彼女にこの時初めて会えたのだから。本物の友達になれた、だから彼女は私の手話の下手さも間違いもビシビシ指摘できたのだ。

 言語の大切さ、本当の意味をこの時初めて知った。心が通じ合わなければ意味がない。表面上の言葉を交換しているだけのコミュニケーションでは、何も生まれないし始まらない、分かり合えもしない。何気なく始めた手話で私は初めて言葉の意味を知った。

これからの一歩

 彼女はその後会社を辞め、実家のある遠い故郷に帰ってしまった。私にとても大事なことを教えてくれた彼女とはもう何年も会えていない。ただ、このことがきっかけで私の世界の見方は確実に変わった。私は今手話通訳の仕事をしているが、いつでも彼女の教えてくれた考えと共にある。

 私のこれからの目標はダイバーシティ、社会のハンデをなくすこと。
今折りしもSDGsやD&Iの機運が高まっている。もっと多くの人に手話話者としてのろう者のことを知ってほしいし、ろう者が社会に出るきっかけを作っていきたい。

 彼女との経験から見れば、ろう者は耳が聴こえない障害者ではない、別の言語を話す手話話者である。

 それを様々な媒体を通して伝えていくために、このnoteやSNSを通じて発信を始めた。そしてろう者がアイデンティティを持って生きる社会を作っていくためにできる仕事を模索中だ。仕事として一歩踏み出せるように、これからも信念を持って進めていきたい。

 

#一歩踏みだした先に

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