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【読書1】いくつになっても大人になりきれない大人たちへ/角田光代著「三月の招待状」

眠れない夜に思うことは

いつからだろう。未来のことを考えるよりも過去のことを思い出すことが多くなったのは。

いつの間にか40になった。
非常におこがましいけれど、昔から何となく80まで生きるつもりでいて(などと言いながら今日死ぬかもしれないけれど…)
そういう意味では今まさに折り返し地点に立っていることになる。

歳を重ねれば重ねるほどにあんな記憶やこんな記憶が自分の中のタンクに溜まっていく。
黒歴史は何となくタンクの底の方に沈殿して行き(させて行き)、そこそこの思い出は良い感じに加工され浮上。そして数少ない眩しい栄光の記憶がさらなる上澄みとしてタンクに膜を張っている。

眠れない夜にはそんなタンクの上の方からいくつかの記憶を掬い出して触ってみる。
もう40だというのに高校生やら大学生やらの頃の記憶で夜を溶かすのだ。
痛々しくて馬鹿馬鹿しいことこの上ないと自分でも分かっているけどなぜか止められない。

角田光代著「三月の招待状」

先日、角田光代さんの「三月の招待状」という本を手に取った。
元々角田光代さんは大好きな作家さんのひとりということもあったし、春に浮かれた私は「三月」というタイトルに惹きつけられて大して内容を確認することのないまま何となく購入した。

「三月の招待状」のあらすじはこんな感じ。

8歳年下の彼氏と暮らす充留は、ある日、大学時代からの友人夫婦の「離婚式」に招かれる。昔の仲間が集まるそのパーティで、充留は好きだった男と再会するが、彼は人妻になった麻美とつきあいはじめ…。出会って15年、10代から30代へと年齢を重ねた仲間たち。友情、憧れ、叶わなかった想い――再会をきっかけによみがえるあの頃の記憶と、現在の狭間で揺れる姿を描く、大人の青春小説。

集英社ホームページより

読み始めると痛々しくて馬鹿馬鹿しくて心がざわついた。何というタイミングで出会ってしまったのだろう。登場人物たちとまさに最近の自分とがシンクロする。

物語の中心は大学時代に知り合った5人の男女たち。知り合ってから早くも15年ほどたち今は34歳だという。
彼らはそれぞれに結婚したり、離婚したり、同棲したりしている。それなりの仕事をしている人もいる。
しかし相変わらず幼稚でわちゃわちゃしている。
時は確実に流れているが本人たちはどこか出会った頃の"界隈"であーだこーだとやっているのだ。
そういう意味では「大人の青春小説」というよりも「大人になりきれない大人の青春小説」といった感じか。

この物語に20代の頃に出会っていたら何も思わなかった、というか呆れて途中で読むのを止めたかもしれない。
でもいくつになっても大人になりきれないということを自分自身が知ってしまった今、登場人物たちをバカにする権利は自分には無く、ただただ彼らの痛々しさに、あるいは馬鹿馬鹿しさに泣きそうになるのだ。

物語では5人の周辺であれやこれやと事件が起きる。もちろん世界を揺るがすような事件ではなく、あくまでも"5人の世界"を揺るがす事件なわけだが。
事件を経て彼らは成長できるのだろうか?そして彼らの世界に変化は起きるのだろうか?ぜひ皆さんの目で確かめてみてほしい。

きっとこの作品を最後まで読んでも何かを得ることはないし、何かが変わることもない。
しかし、こういう解がないというか目的地がない物語を最初から最後まで真摯に紡ぎ、物語の随所で誰もが抱えているであろう心のモヤモヤ、ざわつきをを作品の随所でビシッと言語化してくれるところが角田光代さんという小説家の素晴らしいところだと思う。

角田さんの手によって見事に息を吹き込まれた登場人物たちは今日もどこかでわちゃわちゃと生きているにちがいない。


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