見出し画像

1秒ごとに慣れてしまうということ

この前、おそらく5年ぶりに東京タワーに行った。

特に理由はなかった。

なんとなく、展望フロアにあるカフェで
作業でもしようかなという気分で、とにかく行ってみたのだ。

久々の東京タワー。

僕はスカイツリーより東京タワーの方が好きだった。

お店の種類とか充実度といった観点ではなく、
響きと、存在感が好きだった。

あとは好きな作家が
東京タワーという本を書いていることもあり。


タクシーに乗る。

東京タワーまでと告げる。


20分後、東京タワーを前に、
僕は懐かしい気持ちでいっぱいになった。


いつだったか忘れたが、
前に来たときは、
展望フロアから見える景色にだいぶテンションが上がった。

東京の全てが見えると思った。

これだけ高い場所にいつか住めるようになりたい、と。


チケットを買い、エレベーターに乗る。

あっという間に展望フロアに着く。

学校の行事なのか、子供たちがたくさんいた。


ガラスの前に移動し、景色を見下ろす。

その瞬間、頭の中に疑問が浮かんだ。

「あれ?こんなに低かったっけ?」

昔の感動がそこにはなかった。

もっとテンションを上げて
ドキドキする予定だったのに、
肩透かしを食らったような気分。


不思議だった。

たった数年で、感動度合いが激減していた自分に気づいた。


僕は田舎出身なので東京タワーは憧れだった。

近くを通るたびにテンションが上がっていた。

ずっとそんな感じだった。

ふと少し前の景色が脳裏に浮かぶ。

東京タワーよりも高いところに部屋があるホテル。

そこで深夜、見た夜景。

東京タワーとスカイツリーの両方が見えるホテルだ。


ほか、とあるマンションにいた時に見た景色。

そこで見たものの方が、東京タワーよりも壮大だった。

東京タワーは唯一無二である。

それでも、何かと比べてしまったり、
過去の現象と比べてしまう。

いつの間にか、
感動度合いがグッと下がっていたことに気づいた。

そのままぼーっと景色を眺めがら、
実家に置いてある車のことを思い出した。


大学生の頃、短期集中で免許を取得した。

車に早く乗りたかった。

どこまでも行きたかった。

そして免許を取得し、
初めて車に乗ったとき、
僕は運転しながら奇声をあげていた。

嬉しさのあまりに。


そのとき、具体的にどんな声で、どんな表情だったか、
初めて助手席に乗った人は誰だったか、
などの細部は覚えていないが、
一度あったことは忘れないものである。思い出せないだけで


徒歩でもなく自転車でもなく電車でもなく、車。

今まで自転車で20分かかっていた道でも、
車ならたった5分で行ける。

これは革命だと思った。

あの頃、どこまでもどこまでも行けると信じていた。


今は、もう、運転に対する感動はほぼない。

むしろ自分が運転するならタクシーに乗りたい。

いつからこの価値観にシフトしたのかは分からない。

なんとも不思議な感覚に包まれている。


ほか、収入面でもそうだ。

昔は、時給780円で満足していた。

コンビニで夜までバイトして、
帰り際、からあげと三ツ矢サイダーを買って、
外の喫煙所で一服する。


あの瞬間、すごく幸せだった。

なんにも持っていなかったけど、たしかに幸せではあった。

いまでは、時給780円なんて信じられないし、
計算すると分給780円の時がザラにある。

昔とは何もかもが違う。

まるでパラレルワールドに移行してしまったようで。

…これらの経験から思うのは、
僕らは、1秒ごとにこの世界に慣れていき、
そして、一番最初の感動を忘れてしまうということだ。


いや正確には輪郭は覚えているし
全ては忘れていないのだが、
その輪郭より先を、思い出せない。

忘れてはいないのだが、思い出せない。

あの時の詳細な感覚を、声を、感情を、隣にいた人の表情を。


「慣れてしまう」というのは、
ある意味、尊い機能だとも思う。

つらいこと、しんどいことも、
時間が経つごとに緩やかに慣れていく。

だんだんと忘れていく。

「忘れていく」というのは、
「忘れていく状態に慣れていく」ことでもあると思う。


いま自分が感動してることも、
いつかは必ず慣れてしまう。

慣れてしまうのが分かっているから、
その瞬間の温度感で保存したくて、
僕はこうやって文章や音声で残しているのかもしれない。

慣れてしまうのはいいこともであるが、
寂しいことでもある。

好きな作家がこう言っていた。

「私にある傷も、いつか癒えてしまう。
無かったことにしたくないし、
ずっと残り続けてくれればいいのに」

その時どんな表情だったかは思い出せない。

たぶん、寂しそうな顔だったとは思う。

1秒ごとにどんどん慣れていくこの世界で、
何を見て、何に心を震わせ、何を保存していこうか。

本当はずっと感動していたい。


結局慣れてしまうとしても、

必死に思い出したり(輪郭しか思い出せないとしても)、
必死に何かを掴もうとしたりして、

この「慣れ」への反抗を、
密かに、密かにおこなっていきたい。



−ブログやメルマガに書くまでもない話
(by 20代起業家)

運営メディア一覧はこちら

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?