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考えていること集~背伸びと超高速社会と空気が読めない人〜

はじめに

自分の抱えている色んなモヤモヤ。特に最近感じた事象。
それをたくさんまとめて吐き出してみただけの何か。

1・自身を年寄りと認識する若者

近年、○○おじさんなる単語、もしくは呼称が様々な場所で見られるようになったと思う。
あるいはそれを自称する人。
なんとなく見ているだけなら、そういうムーブメントなのかなぁで終わるけれど。
引っ掛かるのは、これを自称する人に、若者が相当数いることだ。

だっておかしくない?10代や20代がおじさんって名乗るの、シンプルにおかしいでしょ。
それだけでなく、性別なども問わない。若い女性ですらも自分をおじさんと思っているらしい。
普通に見ていれば年齢や世代ってわかっちゃうよね。それなのに頑なにおじさんと自称する感情はどこから出てくるのだろうか。

「おじさん」だけではない。とにかく、自身を年季の入った大人だとする単語や立ち振る舞いだろうか。
最近流行の「インターネット老人会」などが典型例かな。
そこで語られる内容の多くは当時経験していないであろうはずなのに、あたかもそこを体験した「おじさん」であるかのような振る舞いをする若者が見受けられる。それに加え、全体で見れば全然新しい方である自分たちの世代の文化をさも古くておじさんじみた文化であるかのように表現し適応しようと試みたりもする。
他にも単純に、バイクや酒、タバコなどといったおじさん趣味と呼ばれるようなものを嗜んで、おじさんっぽい威圧感のある口調で発言を繰り返したりする。全然若いのにねw

今どきの若者は不良が少なく、健全だなどと言われることがあると思う。
でも、決してそんなことない。
リスクを下げ、予防線を張り、自分のやれる範囲で背伸びをしてみる。
自分を大人だと持ち上げてくれるようなものには、躊躇わず飛びつく。
不良と呼ばれる若者のイキりは、こういう形に変わって現在も続いてるんじゃないかな、と自分は思う。

2・必要なものしか目に入らない現代

現代はコンテンツに溢れすぎていると思う。
漫画やアニメにゲームにスキャンダル、それを語るコミュニティであるニュースサイトにブログに掲示板にSNS。自分の語彙では軽くしか言えないが、数えきれないほど存在していて移り変わりも激しい。
その上で、様々なものを取捨選択する必要にかられるのは仕方ないのかもしれない。
それにしても。
それへ対するユーザー側の受け取り方も、あまりにも適合して進化しすぎていないだろうか

情報だけ得られれば良いから、長い作品も文章も見る必要がない。まとめだけ見れば良い。
好きなものも嫌いなものも無数にあるから、好きなものだけを見れば良い。

コンテンツだけに対してならまだ良い方だ。今の社会では、このような論理が人間関係にすら用いられていると思う。

楽しいことを高速で話し、そうじゃない会話は無駄。
価値を感じないなら最初から関わらない。
関係が悪化し飽きたと思えばすぐ捨てて次に行く。
リセット症候群などと言われている現象も、この流れの一端に他ならない。
だが、それは最早あるあるな現象として市民権を得ている。
とても効率の良い、コスパがいい人間関係だ。
そこには、日頃消化されゆく数多のコンテンツと大差ない認識しかないのだろう。

人間さえも消費されるコンテンツと成り果てた現代。
そこに適合できない人間は置いていかれる。
そのあまりの速度と攻撃性に、恐怖せずにはいられないな。

3.「空気が読めない人」からコミュニティを守る

さて、この超高速社会において適合できない、その中でも空気を読めないということは致命的だ。
暗黙の了解と呼ばれるルールの上で言葉を発し、間違いのない立ち回りを正確に、かつ超高速でしなければいけない。
一見楽しく自由に見える状況でも、常にそれは存在している。

そこに出現したのが、ルールに乗っ取らなければいけないのに、それに従えない存在というわけだ。
当然、社会に適合した「正しい」人間からしたらこれは価値のない、害悪な存在とみなされる。
そんなの見たくないよね。追い出したいよね。
みんながそう思うことで起きるのは、徹底した無視だ。
見たくないから見ない、反応しない、逃げる。
一人一人は小さな力かもしれない。でもこれが大多数になることで、口には出さずとも空気が読めない者は足場を失って行き、助けを求める場所もなくなり、やがて居場所を失う。これにてコミュニティの平穏は保たれた。

空気が読めない邪魔者を意図せずとも追い詰めていき追い出す。そして居着かせない自動迎撃システム。
これを自分も皆もこう呼んでいると思う。
「自浄作用」と。
これによって平和になっているコミュニティを、自浄作用があって安全だという意見を発する人が数多くいる。
だから、これはきっと正しいことなのだろう。

もしあなたが属しているコミュニティを安全に保ちたいと思うならば、そのままその通りにしていれば良い。
興味のない不快なものを無視しているだけで、自浄作用というシステムが平和を保ってくれることだろう。罪悪感もないし、簡単だね。
そしてそれによって完成されるのは、みんなが語る愛や平和や平等という理想とは程遠い、みんながいつも忌み嫌っているディストピアそのものだろう。

4.思い出商法とそれに乗せられる若者

近年「あの名作が再び!」みたいなもの、とても多いよね。
作品自体の復刻や続編、それそのもの以外にもその名作のグッズを出したり。
それが好きだった人にとっては嬉しかったり、懐かしい気持ちになれたりもすると思う。

さて、その対象となるコンテンツはどのようなものだろうか?
このムーブメントはある程度前からあると記憶していて、初めの方はずっと昔のコンテンツが対象になることが多かったと思う。
しかし、ある時からそうじゃなくなった。今からそう昔でもない10年前後のものですら対象に、むしろ多数派になってきている。

そしてそのコンテンツを「懐かしい」「思い出」と感じるのはどういう層だろうか。
10数年前のものを小さい頃に楽しんでいた層。つまりは20代近辺。れっきとした若者だ。
この若者が懐かしいと思うものを展開する、これが近年におけるムーブメントではないか。
自分はこれを「思い出商法」と呼ぶ。

この思い出商法、SNS等のネット上でとても話題になる。
懐かしい、嬉しい、それだけでない重さも持つユーザーの声によってそれは拡散されてゆく。
1でも挙げたが、まだ若いのに年寄りぶりたい若者たち。そこにこの思い出商法はピタリとはまってしまったのだ。

懐かしの名作というフレーズはそれ自体が、昔のものであり価値がありそれを知っている者は大人であり知らないと子供であると、そういう箔をつけてくれる単語だと思う。
そして、その自身は大人というお墨付きを若者たちは欲しがっている。たった一つのフレーズだけで、簡単に動かされてしまう。

売る側も、その機会を逃す手は無い。
高額なグッズに追いつけないような展開。しかしそれすらも若者たちは乗りこなしてしまえるし、その分お金も落としてくれる。
思い出商法へ対する批判や疲れだってないことはないだろう。でも、自分を大人にしてくれるお墨付きという武器を手に入れた多数の若者たちの声は、それを飲み込んでいくだけの力と大きさにまで成長してしまったと感じる。

それを利用すれば簡単に金儲けをできるというムーブメント。
耳障りの良い単語に利用される存在へと成り下がり、大人と思い続ける若者たち。
そして、消費されてはまた生まれ、それもまた捨てられて次のコンテンツがやって来る。
この光の速度の循環に、終わりはあるのだろうか。

5.おわりに

色々書いてみて結構楽しかった。
自分の普段感じているモヤモヤも、元を辿るとこれらの要素に行き着くことが多いような気がして、それをまとめることに自分で意味を見出したい。
今の若者は長文読まないし嫌うみたいだけど、誰かしら読み込んでくれる人がいると嬉しいな。

以上、クソガキのイキりでした。


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