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「気付いてることしかない」を思考で確認しようとしてます?もしかして。

探求してる人が
「楽になりたい」と認めるのって
けっこう勇気がいることなんだと
最近思うんですよね。

そこここで
「個人が楽になる話じゃない」
って言われるし、
(この個人っていうのもどーかとは思ってますが…)

そうすると、表向き、
「楽になりたいわけじゃないんです、
本当のことが知りたいんです」
と言うことが起こったり
「特に悩みなどはないけど、純粋に本当のことが知りたいだけです」
となったりする。

だけどね、
お話を聞いているうちに
おやおや?
そりは、楽になりたいのではないですか?
私、楽になりたいの!
ではないですか?
と思うことがポロポロ出て来るんですねー。


この話って
「今気付いてることしかない、それ以外ない」
と言ってるだけで、他に特別なことなーんにも
言ってない。

だから、ほんとーに純粋に
「本当のことが知りたい」だけだったら、

「今気付いてることしかない」はスッと入る
と思ってます、ぶっちゃけ。


しかーーし!!


そうはいかないのだよ!

え!?そうはいかないのはなぜ?
おしえて、おじいさん!



それは…

お察しの通り
「私が楽になりたい」
からなんですよねー。


私の、私のための、私が利用できる
ものでなくっちゃあダメなんですよ。


だって、私が楽になりたいから。

あとね、ワタクシもそうでしたが
「癒しをさんざんやって来たけどキリがない。
だからやっぱり、真実を知ることが必要だ」
というのね。
これも、
その「真実」とやらを知れば
「癒される、私の人生良くなる」つまり
「楽になる」
と、実は思ってることが、まあまあある。

もちろん、
別にそれが悪いわけじゃない。
良いわけでもないけど。

でもまず
ああ、楽になりたかったんだなー
って、探求してる本当の目的を認めないと
進まないなあと、思ったりしてます(進まないけど…)。


でね、その時
「ああ、楽になりたかったんだなー」
しかなかったでしょう?
ということなんですよ。

「ああ、楽になりたかったんだなー」
の様子に、
五感も思考も入ってしまってるんですよ。

いちいちそれを確認しに行こうとしたって
「ああ、楽になりたかったんだなー」
の様子は、もう終わってますよー、なんですね。

本や、スピーカーのメッセージの言葉を
追いかけてしまうと、途端に今の様子から
遠ざかります。
(方便ですよ笑。
遠ざかったり近づいたりしないですよ。
いつも今の様子しかないでつよっ笑)

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪


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