安部元首相(白い世界の橋渡し)の死を追悼して
最初に、奈良での選挙演説中に銃撃され、橿原の地で逝去された安倍元首相に、心からのご冥福をお祈り申し上げます。そして、昭恵夫人やご家族の皆様に心からのお悔やみを申し上げます。
日本を大きく揺るがす日となった7/8の朝、『13の月の暦』で宇宙の月12日、KIN51(12・猿)だったその日が、古代マヤ暦(遺跡の情報に整合するもの)だと「6キミ(KIN6に相当)」になると確認した私は、ある事に気づいた。
2020年2月29日以降『13の月の暦』のツォルキンと古代マヤ暦のツォルキンのズレは45キンとなっているのだが、自分のカレンダーラウンド(52歳)の年にシンクロして放映が始まった『鎌倉殿の13人』『平家物語(TVアニメ)』のどちらにも登場された第81代安徳天皇から第126代天皇徳仁陛下までの間にも、45代分の時間が横たわっている事に気づいたのだ。
私が安徳天皇に注目するようになったのは、2011年11月15日(KIN66)に安倍昭恵さん(KIN223)とお会いしてからのこと。そのきっかけについては『マヤのリズム』の「太陽の世界の橋渡し(369と三輪山)」(P170〜)に、その前後のやりとりについては『霊性のアート』の「安部首相の復活と剣山」(P134〜)に記してある。
昭恵さんは、その後もLの書の個展にお花を贈って下さったり、誕生日にプレゼントした金文Tシャツ(蘭禅作)を着て下さっていたり、折々にメッセージのやりとりをしたりの淡い交流が続き、お会いしてぴったり10年後の2021年11月15日(KIN76)に私達が剣山に登ったことをお伝えしたら、その数ヶ月前に昭恵さんも10年ぶりに剣山に行かれた事を教えて下さったりしていた。
2022年の正月に松陰神社や下関(壇ノ浦)を通じて起こったシンクロについては【壇ノ浦から鎌倉殿への魔術飛行】にもまとめてあるが、そうした流れの中で起こった安部元首相暗殺という衝撃。加えて、その12日前の水晶の月28日(6/26)に二子玉川に街頭演説に来られ、記念撮影もした青山繁晴議員と安部元首相との縁にも色々と感じるところがあり、この事件の多次元的な背景について思いを巡らせずにはいられなかった。
その日の遊説の予定を変更された青山さんが、ブログやFBを通じて記されていた事は、その日のうちに収録された「【緊急追悼番組】人間安倍晋三さん」という動画の中でより詳細に述べられているが、印象に残った部分を抜粋して記しておきたい(表現は不正確なので是非動画をご覧頂ければと思う)。
参院選17日目に当たっていた7/8、青山繁晴さんは伊丹空港行きANA17便で同じ関西方面に応援演説に向かう安部元首相と乗り合わせ、短いながらも会話を交わされたという。凶弾に倒れるわずか1時間半前のことだ。
宝塚での演説中に惨事を知らされた青山さんは「安倍さんはきっと戻ってくると信じます」と聴衆に向かって話しながらも、その時、安部元首相の気配がすぐ背後に現れ、次の瞬間、気配は右横に回り、その朝に機内で見た笑顔そのままに微笑んで、凄まじい速さで斜め上に飛び去って行かれたのを感じたと言う。
青山さんはご自分のこうした感覚を「思い違いかもしれない」と見る客観性を失っておらず、このような事を書く事で誹謗中傷を浴びる可能性が高くなる事も了解しながら、「それでも安部さんが何かを伝えようとされたのかも知れないと考え、主権者・国民のみなさんのために記した」と書かれていた。
私は青山さんのお人柄について、それほど詳しく知っている訳ではないが、文章や映像情報だけでなく直接お会いし握手もした経験から言えるのは、欲にまみれた現代においてはその存在自体が奇跡のような「真の国士」としての気高さと、人としての温かさを持ち合わせた実に稀有な方だということ。もちろん、意見が異なるところもあるが、少なくも今日本にいる政治家の中では、最も信頼できる人物の一人だと思える。
参院選17日目にANA17便で安部元首相と青山さんが乗り合わせたのはKIN51(=17×3)という日であったが、実はその日、天真書法塾無鑑査師範クラスに参加していたLは、今年の天真書法塾発表会に青木天外塾長が出品される作品「聖徳太子 十七条憲法」を目にしていた。
聖徳太子が活躍された地は奈良で、十七条憲法はマヤでパカル王の誕生した翌年に当たる604年(推古12年)に作られ、施行された日本初の憲法だ。安部元首相はその日、長野で演説する予定だったが、前夜に急きょ奈良に変更されたという。しかも、今、確認して驚いたが、書法塾発表会の開催期間はG8/5~7で、最終日はKIN81である。昭恵さんが剣山に初登頂された日付だ。
安部元首相は1954年9月21日生まれのKIN6(6・世界の橋渡し)。冒頭に書いた通り、他界された日は古代マヤ暦で6キミ(KIN6相当)であった。『図説 マヤ文字事典』には「儀式暦の第6日は「死」を意味するキミという名称を与えられている」と書かれているが、これは『13の月の暦』の「白い世界の橋渡し」でも同じで、そのキーワードは「死/等しくする/機会」である。運命の道筋はKIN21(8・竜)で67歳と1銀河スピン(260)+30キンで旅立たれた事になる。
一方、青山繁晴議員は、1952年7月25日生まれのKIN258(11・鏡)で、69歳現在の道筋はKIN223(2・夜)で、何と4次元的には昭恵さんとシンクロ状態であった。先ほど当選確実を知り、日本の未来に対する希望が少し膨らんで来たが、「時間をはずした日」に70歳を迎えられ、KIN68(3・星)の道筋へと入ることを考えると、KIN223の道筋で安部元首相と最後の挨拶を交わしたことにも、間も無く巡って来る『13の月の暦』の元旦がKIN69であることにも、深い意味を感じる。
非常に個人的なことではあるが、青山さんと同じKIN258生まれの私の祖母が「きみ」という名前であった事もメモしておきたい。そして、来週行われる天真書法塾シャンバラ教室発表会は、「パカルの特別な13日」の密度が最も高い調波15(KIN57、58、59、60)が会期で、会場の世田谷美術館にはパカル王の石棺拓本が収蔵されている(常設展示ではない)。
そして、今年は何とそこに、安部元首相の地元・下関から、シャンバラ教室出身の玉里瀑彩師範率いる「たまり庵教室」の生徒さんの作品も出品されるのだ(奈良からも通信クラス生が出品する)。ここに記された様々な出来事は、それぞれ別な理由とタイミングで起こったものだが、ある次元では深く繋がっているのである。昭恵さんの太陽暦誕生日が水晶の月12日(G6/10)で、そのサイ時間KIN231がLの誕生キンでもあるのもその一つだ。
気づいてしまったのでもう少し書いておくと、昭恵さん(KIN223)の現在の道筋はKIN23で、奈良が地元の高市早苗議員の誕生キンとシンクロしている。高市さんは1961年3月7日生まれ(KIN23)で、現在の道筋はKIN188(6・星)=令和という時代の始まりにシンクロしている(令和はKIN188からスタートした)。更に、古代マヤ暦では何と2アクバル(KIN223相当)生まれということも判明。
今上天皇陛下(KIN166=10・世界の橋渡し)も安部元首相(6・世界の橋渡し)も、『13の月の暦(ドリームスペル)』の惑星ホロンで見ると、その誕生キンはまさに日本のエリアに対応している。「戦後の歴史から日本という国を日本国民の手に取り戻す」という安部さんの志には、見える世界のことだけでなく、見えない次元でのエネルギーバランスのことも含まれていたのかもしれない(無意識的に)。
その志は、青山繁晴さんのような方にだけ託すべきものではなく、それぞれの持ち場を生きる私達自身が、自分なりに考え、できることから取り組んで行くしかない。真に自立した国を成り立たせるには、国民一人一人がまず自分でよく見聞きし、多面的に検討を加え、判断し、行動する自立した個人である必要がある。
『13の月の暦』はまさに、それを無意識レベルから実現するのに役立つツールであり、本来の目的に沿ったシンプルな使い方を実践して行けば、長いものには巻かれろ的な発想や洗脳装置としてのメディアに踊らされることなどは自ずと無くなり、互いに建設的な発信をし合あえるような方向へと進んで行けるのである。まさに「和を以て貴しと為す」に回帰するのだ。(D)
宇宙の月14日 1・空歩く者(KIN53)
《13の月の暦ワークショップ》
・7/23(土)ZOOM「白い世界の橋渡し」日本の銀河的ミッション
・7/24(日)二子玉川 「時間をはずした日」と新年の迎え方
・7/31(日)横浜 13の月の暦レクチャー
《天真体道瞑想クラス》
・7/14(木)21:00~21:45 ZOOM 満月
・7/25(月) 10:00~11:00 二子玉川 時間をはずした日スペシャル
《note限定お宝資料》
・ドリームスペル(13の月の暦)で見る日本と皇室
・「パカルの特別な13日」の由来と真の意味
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