石棺の蓋が開くKIN123という時空回路
チベット暦サカダワ満月翌日の6月5日は、『13の月の暦』で水晶の月7日、KIN123(6・夜)だった。パレンケ遺跡「碑銘(碑文)の神殿」の地下墓室で、パカル王の石棺の蓋が開封された1952年11月27日(KIN123)から「13の月の暦」ツォルキン(260日暦)が99回巡った日で、同時に、令和4年元旦(2022年1月1日=KIN123)からは520日というタイミングに当たっていた。
KIN123について書いたブログがあったはずだとクリカのサイト内で検索をかけると、令和4年元旦から260日後、つまり水晶の月7日(G6/5)から260日前のKIN123に書いた【失敗が導く発見〜時空間の枠を変える意味〜】という記事がヒットした。
自分で書いたのを忘れ、一読者として面白がって読んでしまったが、私はその体験を通じてチベットに伝わる埋蔵経典(テルマ)の事を思い起こしていた。きっと、一人一人の人生にも、然るべき時に掘り起こされるべく眠っている埋蔵経典的な体験があるのだろうと。しかし、それは記録しておかない限り、発見されることも無いのである。
さて、『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでパカル王の石棺開封日にシンクロするKIN123(6・夜)だったG6/5は、古代マヤのツォルキンで調べると13エツナブ(KIN78相当)という日付に当たっていた。「78」は『テレクトノン』に登場するパカルの特別な数字(石棺周囲に13ある日付の数字部の合計数)という260キン唯一の特別な数でもある。
そんな日だったからか、その日、私は驚くべきニュースを目にした。《吉野ケ里遺跡 石棺墓の石蓋開く「謎のエリア」1800年ぶり》というタイトルのものを最初に目にし、その後《蓋石の裏に「✖」印、魂封じ込めか 吉野ケ里遺跡の石棺開口》という、もう少し詳しい記事も読んだ。この出来事には、何段階かの驚きのレベルがある。
第1に、パカル王の石棺の蓋が開封されたのと全く同じKIN123(6・夜)に、邪馬台国の時代に相当するものと考えられる石棺の蓋が吉野ケ里遺跡で開封されたという事実。
第2に、間もなく東京国立博物館で始まる「特別展 古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」の目玉がパレンケ13号神殿から発見された「赤の女王」の石仮面などの装飾品であること。そして、「赤の女王」の石棺と同じように、吉野ヶ里の石棺でも赤色顔料の一部も確認され、埋葬当初は石棺の蓋石の裏側が赤く塗られていた可能性が高いとされている事。
第3に、現在執筆中の本の中で、私は「古事記(日本神話)と銀河マヤの共鳴」についても触れており、それとシンクロするかのように「特別展古代メキシコ」は東京、九州、大阪と巡る事になっている。その状況下で九州、吉野ヶ里でのこのシンクロ!
そして、ここまで書いた事で、急に私の脳裏に浮上して来た記憶があるので、どうしても書き添えておかねばならない。私の16歳の誕生日(1985年8月12日)当日に、東京から大阪に向かったJAL123便が高天原山に墜落し、520名もの方の尊い命が失われたのであった(生存者は4名)。
令和4年元旦から520日のKIN123に石棺の蓋が開いた事、東京、九州、大阪が関わっている事など含め、時空間のつながりに何か深いものがあるように思えてならない。その証拠に、翌日G6/6(水晶の月8日=12/8)にもまた強烈なるサインがあった。
執筆中の本の打ち合わせで出版社に向かうと、入り口前の通りに「60-99」ナンバーの車が停車していたのである。パカル王の石棺に刻まれた王の誕生の日付は8アハウで、これを「13の月の暦」的に通し番号を付けるとKIN60(8・太陽)に相当する。
繰り返しになるが、石棺の蓋が開封されたのは1952.11.27(KIN123)で、吉野ヶ里での石棺開封はそこから260日暦が99回巡ったタイミング。この数字の符号を偶然と思える人はそれで全然構わないのだが、石棺の開封について「260日が99回巡った日」という発見をした私がこの数字を見れば、偶然とは思えなくなる。そんな計算をした人間が、吉野ヶ里の石棺ニュースを見た人の中に一体どれだけ居るというのだろうか?
打ち合わせ直後、先方が私の次に約束していた方は、何と私と旧知の人物で、それどころか波動でも『13の月の暦』でも縁の深い方だった事が判明。私は昨年、10年ぶり以上で再会したのだが、その出版社に訪れたのも数年来のことだとか。ここに「まつり」というキーワードが関わっている事もメモしておこう。
そして、何とかこのブログメモを終えた今日6/7は、プリンス(KIN60)の生誕65(13×5)周年当日で、伊勢の神宮125社の祭主である黒田清子さんの誕生キン(KIN125)当日でもある事も、最後に書き添えておこう。
水晶の月9日 8・蛇(KIN125)
*本文と関係ないがこの期間に知ったブルース・リーの誕生日は、1940年11月27日(KIN163)で、パカル王の石棺の蓋が開封されるぴったり12年前であった。
★スペシャル暦セット「白い倍音の魔法使いの年」絶賛受付中!
★定期購読マガジン「時のからだ」研究ノート(初月無料)
《note限定お宝情報》
・「パカルの特別な13日」の由来と真の意味
・ドリームスペル(13の月の暦)で見る日本と皇室
サポートに感謝いたします! 提唱者のホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が伝えた「平和の暦」としての本来の『13の月の暦』の普及活動と、NPOクリカとして行っているチベット・サポート活動に活用させていただきます。