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金融ブラックのわたしが4年で年収+400万円になり、クレジットカードを持てた理由

暗い沼の底にいた私は光を求め、自己啓発セミナーや占星術を受けたり、学んだり、浪費を繰り返していました。あっというまにクレジットカードのキャッシング枠まで使い果たし、消費者金融からも借りました。

その後、雪だるま式に借金がふくれあがった私は都内某所の雑居ビルで、聞いたこともない消費者金融にお金を借りに行きました。対応された方が「今の借り入れ状況ではお金は貸せません。今ならまだ抜けだせるから、うちの顧問の行政書士を紹介します。そこに行って相談しなさい。」と言いました。そして、電車賃もなかった私に、そっと500円玉を握らせてくれました。

こうしてわたしは債務整理をしました。いわゆる金融ブラックです。この記事ではお金と心がいかにつながっているか、わたしの経験から説明します。


1.とことん自分とむきあった

占いや自己啓発にのめりこんでいた理由は自分の心とむきあうことから逃げていたのだと思います。お金もなくなり、とうとう人に頼れなくなったわたしはネットでEFT(Emotional Freedom Techniques:感情解放)というセラピーに出会いました。身体の特定のツボを指でトントンとたたきながら、感情を解放していくセラピーです。黒くて、へどろのような、身体に溜まっていた何かがどんどん解放されていきました。形容しがたいですが、あえて表現すると、胸のまんなかからお化けのような形のないカタマリがどろっと抜けていくのです。一緒に出てくる感情は悲しみのときもあれば怒りや恐怖のときもあります。たいてい号泣していました。

そして、EFTをくりかえしているうちに、少しだけ自分のハートとつながれるようになり、自分が何をしたいか浮彫りになりました。

「経済的に自立したい」「自由になりたい」

社会人枠で大学へ入りなおしたものの、就職もせず教授たちのところでアルバイトをしながらフラフラしていたため、収入は少なく父の家にころがりこんでいました。自分の心に気づいてすぐに、アルバイト先の博物館で正規雇用試験の話が出て、猛烈に勉強して国家公務員となりました(3年で辞めますが)。35歳でした。

2.逃げたくなったら、逃げていい

逃げたいときは逃げたほうがいいです。逃げるが勝ち。逃げたもん勝ち。自分がつぶれてしまっては元も子もありません。一回たてなおしてから、再トライ。何度も何度もどん底に落ちてきたわたしが何度も這い上がれているのですから、大丈夫です。

すこし過去のことを書かせてください。わたしは物心ついてから19歳までカルト宗教の中で生きていました。(宗教のことは別のブログに書いているので、興味ある方は読んでみてください。)思春期に色々あって、母をカルト宗教に残したまま、19歳で飛び出しました。カルトを出たあの日から、安心できる場所を探し続けていました。とにかくまずは、すべてから逃げたのです。

そして、わたしは21歳で授かり婚をし、慣れ親しんだ街から300㎞離れた街に移住しました。自分を呪う言葉が鳴り響いていました「お前は神に背いたのだ」。その声をふりほどくように、すべてから逃げ続けていました。

逃げた移住先で腕のなかにいる我が子の育て方がわからず悩んだ挙句、自分を取り戻そうと思い、心理カウンセリングを受け始めました。あの頃のことはあまり記憶がありません。整理できたらまた書きたいと思います。

その後、夫婦関係が悪化し離婚が決まりました。元夫と相談し子供の環境が変わらないことを優先する、そして育児にかかわる人間の数が多いほうがいいこと、という結論になりわたしが一人で家を出ました。それが25歳のときでした。またすべてから逃げだしました。逃げつづける自分を罵倒しました。逃げたせいで傷つけた存在が多すぎたから。そして、自分も傷だらけでした。

その後、元夫が再婚したり、わたしが社会人枠で大学に行ったり、環境は目まぐるしく変化しました。あいかわらず恋愛はうまくいかないし、お金はないし、泥の底に沈んでいくような日々でした。とにかく毎日浴びるように酒を飲んでいました。

それでも、あのとき逃げてよかったと思います。

3.洗脳と抑圧の解除

さて、公務員になった35歳のときに話を戻します。定職に就いたわたしは安定した収入を得たため、久しぶりにカウンセラーのもとを訪ね、EFTをベースにした心理療法を受けました。何年か続けた結果、ずいぶん楽に生きられるようになりました。しかし現実は厳しいこともまだまだありました。パワハラとか。まぁ、でも、そんなもんだろう、と自分に言い聞かせていました。

2021年夏に実力あるカウンセラーと出会いました。とうとう大きな許しを感じることができたのです。それは『抑圧しなければ生きていけなかった自分』を許せたのです。頑張ったね、と自分をいたわることができました。明らかに自分のエネルギーが変化しました。それ以上の癒やしは感じたことがないくらいの出来事でした。その後、平和な日々を過ごしています。

いまのわたしは任意整理をしたときと比べ自身の年収が400万円アップし、あらゆることが好転しました。

4.AMEXに育てられたわたし

最後に、金融ブラックのわたしがクレジットカードを持てた理由をお伝えしたいと思います。

失敗を許さない国、にっぽん

金融ブラックとは信用が無い、ということです。わたしが金融ブラックになったのは2014年でした。自己破産ではなく任意整理だったので、ありがたいことに携帯電話含め財産は没収されませんでした。クレジットカードは任意整理完了後、5年は作れないとネット界隈で言われていました。

任意整理の支払いは2020年に終了しました。その1年前、2019年に公務員を辞め出張の多い民間企業に転職をしたため、クレジットカードがどうしても必要になってしまいました。ダメ元で「ブラックに優しい」と言われるAMEXに申込をしました。まだ完済前にもかかわらず、上限が厳しく設定されたものの、無事に審査が通りました。感謝の気持ちがこみあげ涙がでました。大事に使わせていただいています。

現状についてすこし書きます。任意整理、完済して2年経過しましたが、日系クレジットカードはほぼ100%審査通りません。AMEXも提携カードは審査が通りません。それは自分が金融ブラックになったので、当たり前のことだと思っています。

AMEXはカードを発行してくれましたが、2年間は上限月20万円でした。それでも、出張代の立替には十分でした。AMEXの支払いに遅延したことは一度もなくこれました。3年目のある日、上限20万ではなくなった旨、連絡がありました。

AMEXの与信ポリシーは存じ上げませんが、私のように這い上がった金融ブラックにとって本当にありがたい存在です。

もちろん金融ブラックにならないことが一番いい、そんなことはあたりまえです。しかし、なんらかの理由で沼の底に落ちた人が、這い上がってきたときに並走してくれる存在というのが、いかにありがたいか骨身に染みています。

失敗とは、なんだろう?そもそも失敗なんて、ない気がします。逃げグセ?逃げられるうちは、逃げたらいいんです。逃げられないことからは、嫌でも逃げられませんから。

自分と世界を信じて生きていきたい、そう思っています。

ここまで読んでくださいまして、ありがとうございます。

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