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退職エントリ(公務員辞めます!)

R6.3.31付で7年間勤めた職場を退職します。(実際には3/8に最終出勤を終え3週間ほど自由人をしてました。)
地方公務員になりたいとの想いと不思議な巡り合わせで東京に来てから7年。公私共にたくさんの出会いと活動の場があり、世界が広がる7年間を過ごすことができました。そして4月からは京都に住み、大阪で働きます。

人間関係で仕事してきた職場

顔広いと言われてきたくっしーさん。生活保護CWをしていた最初の職場が大規模職場だったこと、少しだけどオリパラのプロジェクトチームにいたこと、コロナ関係業務でも沢山出会いがあったこと、現職の選挙業務が社内多くの人を巻き込む業務が長かったこと、社内のクラブでバドミントンをしてたこと、趣味のマラソンでも繋がりがあったこと、飲み会は割とイエスマンで出席してたこと。これだけかどうかはわからないですが、何かをするたびに知り合いが増え何かの機会に頼って頼られる関係が作れていたことで、仕事をやりやすくしていたのかなと思います。ずっと東京にいるなら居心地の良くて働きやすい環境は作れていたのかなと思います。(おかげで退職が決まってから、挨拶回り、飲み会でバタバタだったのは言うまでもない)

ほんとにたくさんの人に支えられた7年間でした。

京都に居場所を作って戻ってくる

これ、大学時代活動していた『PaKT』の卒業式で話した言葉なんです。上京した時はいつか京都に自分のやりたいこととか、やれることを見つけて帰ってきたいと思ってました。京都を離れたからこそ気付くことがあればいいなあと思ってました。
結果その観点で気付けたことはなかったかもしれません。京都でも適度に便利なところに住み、東京でも程よく便利な住宅地に住んでいたので、変わらない感覚で過ごせて順応が早かったように思います。東京の満員電車は異常だとか京都は観光客が多すぎるとか誰でもわかるようなことにしか意識を留めないくらいわたしにとっては生活しやすいまちでした。
だからこそ今の旦那と結婚してなければ、このタイミングで京都へ帰ろうとアクションをすることはおそらくなかったし、思うところは有りながらも現状維持だったなと。

やりたいことなんてない

新卒で就職してから、仕事の中でやりたいことを我が社のベクトル以外で考えることが無くなってました。福祉業務で学生の進路について考える機会があり、どうしてあげるのが良いのだろうと頭を悩ませることはあっても数年したらまた別の業務にあたるから、1から学び直しだなと思ったり、大学時代選挙について少し学んでてそれを活かした仕事をしたいと思ってたなか、選管に配属され法律にガチガチに縛られた現状をみたり。今の会社にいるならば、次こんなことしたいは何となくあったのだけど、会社の外の世界について考えることがなかったので、いざ会社の外に出る?ということを現実のものとして考えた時にはじめはどうするか中々考えられなかったのです。

漠然としたものを具体化する

何をしたいかがはっきりとせず、何が出来るかということを考えた時に、我が社でタフに仕事をすることは覚えたけどこれがスキルとしてどう活かされるかをイメージ出来ず、チカラをつけたいとかどんな環境でも結果を出せる人になりたいと考えるようになりました。大学生の時は教育の場にいたから教育に関する課題が目につき、その分野に興味を持つようなったけど、今は生活保護CWの経験や転職に悩む状況も重なり、就労に関する課題を解決したいと考えていました。ただ公務員を離れるからこそ、営利企業できちんと利益を作れる人になりたいという思いはありました。なので、無形商材の営業職で人材とか教育の分野というのは1番最初の入り口でした。

未経験転職の壁

公務員からの転職はどこに転職するにしても未経験。だからエージェントに相談して、求人を紹介してもらっても違うなと思うものが多かったり、いいなと思ってもハードルが高いものが多くありました。その度に当時は自分で選んで地方公務員になったはずなのに、その選択を恨んだこともありました。その中で自治体での経験も活かせそうで、元々携わりたかった教育関係の営業職の紹介。エージェントに紹介されなかったらおそらく出会わなかった会社、求人にあった部署とは違うのだけど、この分野も興味あります!からご縁があり決まりました。

この選択を良いものにするかは自分次第

『やりたいことをやってるくっしーでいてほしい』これって良く悪くも魔法の言葉なんですよね。京都に帰りたい旦那の想いを汲み始めた転職活動。結婚して1年ちょっと、東京での生活に持続性がないとは思っていたのでどこかで決断したほうがよい、だったら早い方がいいでこのタイミングで動きはじめました。
納得いかない転職をしたり、帰ることを優先して先に戻ってきて仕事が見つからないとかなると、現職が嫌だとかないからこそ一生旦那を恨みそうだからあくまで自分が納得して、自分で決めたと言える転職をしたいと考えてました。
途中から関西戻るために転職しなければならないと思う節もあって、嫌だったらとりあえず今のままでよいと誰よりも関西に帰りたいと願ってるはずなのに選択を委ねる旦那に腹たったことも。もっと応援してほしいというか、環境が不安で不安でしょうがないからちょっと肩を押して欲しかったのだと思います。
ひたすら話を聞いてもらって、納得して選択したから、あとはこの選択を良いものに出来るかは自分次第です。

▼これはもう1年半前、結婚直前の悩んででももう近いうちに京都に帰るんだと決断していた時のnote。何を考えて就職活動してたのか、どんな思いを持ってるかを定期的に書き残すのは大切だなと改めて。そしてこのnoteが何年か後の自分を支えてますように。


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