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昔の自分に手紙を書いてみる


背景


手紙を書く前にちょっと背景を書く。

車通勤をするようになった。
昔母が持っていたCDがでてきた。ためしに入れて聞いてみた。
アンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓十五の君へ~』がでてきた。

そのこともあってかこの内容の記事を書いてみる。
本当はもっと前から書いてみることは考えていたが、書いてなかった。ようやく手につけてみる。

当時の私は最低の精神状態におかれてた。
祖父の病気のせいで引っ越した。父親を福岡にのこして。なので、母、祖母、祖父、私、妹で暮らすことになった。

しかし、引っ越して一か月で祖父は死んだ。母も祖母も看病に疲れてかなりやつれていた。そして女四人で地獄の生活がはじまった。お金には全く困っていない。ただ、皆おのおの精神状態がおかしくなった。
家はギスギス。

私は中学一年の四月に引っ越してきたので、新しい環境に投げ込まれた。
学校生活はうまくいかなかった。いじめられた。ただ、直接的なターゲットにされていたわけではない。ただ、変な生き物がいる、というような立ち位置。誰の仲間にも入れてもらえず、陰口をたたかれ、笑い者にされた。人が何で笑顔になるかにその人の品性が出るのだと身を持って体験した。友達も中学三年間でひとりもできなかった。それでもかまわなかった。ただ、母親にも理解されなかったことが一番辛かった。私が胃が溶けるくらい胃がおかしくなって(実際、レントゲンかなんかでみたら溶けていた)も学校へ蹴り出した。「なぜ、そんなに悲しい気持ちになるのかわからない。甘えんな」と言われた。なので、今でも母のことが好きではない。憎らしくは思わないが、一生私が落ち着いていられる相性の人間ではない。

行き場を無くした私は、ぼんやりしながら校内をさまよったこともあった。特に何も考えていない。不良を気取った男の子たちに遭遇する。ガン見される。私は群れてないとなんもできない馬鹿だと見下していたので、堂々と道もあけず、素通りしてやった(私も今考えるとガキだなあ)。でもそれで良かったのだと今でも思う。

とにかく、日々がぼんやりし始め、生きる気力が本当になくなっていった。その状態が大学院に入るまで続くことになる。軽いうつ病だったのだろう。しかし、「甘えんな」の一言で押さえつけられた私は、特に、そんなこと薄々気づいてはいたが、甘えなかった。(なので、私は大したこともないのにすぐ甘える女が大嫌いである。しかし、これは私がその時作り出した、思い込みと偏見が混じっているのは自覚している。今度本格的に甘えることは悪い事なのか、自分で乗り越える強さについて考えてみたいと思う)

私は、精神を病む前に、ぼんやり「どうしてこうなのか」を考えた。どうして私がいるのか。私である必要はなかった。この世界は夢でないといえるか、現実味がない、とかいろいろなことが頭をよぎった。結局この時期に私は大学に入って、何の学科を専攻するのか決めていた。この時期に出会った本の著者がきっかけでもある。私が心の底から私が知りたい、と思ったことに忠実になったことの結果が今後を決めた。私の中学時代は悪い事しかないが、その時植え付けたバイアスが私の今後の人生を悪い方向へ進めたこともあるだろうが、良い方向へ進めたこともあるのだと思っている。もしくは、ある出来事の一側面をどう見るか、という観点を決めたのだろう。これは無意識に。

さて、本編

手紙

中学生の時の自分へ。
こんにちは。今どんな生活をしていますか。
なんて、出だしで書き始めたら、「知ってるだろ」って思いますよね。
それとも、「なんだ、生きていたのか」って思いますか。
そう、結局生きています。

まず、結局生きているわけです。そして私は二十五歳です。だから、ほぼ、あなたが死にたい、無気力で何もやる気がおきないと言いながら、十年は生きているわけです。この無気力状態はあなたをそこから先、長いこと支配し続けます。「なら今死んだ方がまし」だと言うと思います。

なので、この無気力で何もしない無為な時間をつくらず、自分の心が何かに縛られない事に希望を見出せるようにこの手紙を書くことにします。
この手紙を受け取ったあなたは、どうするか自分次第です。でもあなたはこの手紙を受け取った世界にいます。私は受け取らない世界でこの歳まで生きてきました。
まず、私の世界線での私の中学卒業後の経歴を書いていきます。
希望の高校に合格します。おめでとう。でも、ここでもあなたの無気力は続きます。あなたの学びたかった学科に合格します。でもそれは第一志望の学校ではありません。しかし、そのことが良い方向へ転びます。あなたがその学科を専攻するきっかけになった先生に近い先生のゼミに入ることができます。そして、きっかけの先生の塾にも通えます。しかし塾に通ったのは、一、二回です。ゼミで発表の場がもうけられますが、観点を上手に発表できず、あなたの大きな劣等感をさらに大きくしますが、あなたは、自分の関心をノートにきちんと書き留め続けます。それが、認められなくても。ゼミの中で先生の教え子である先生、また、そのご友人たちとの飲み会でノートを公開します。少しだけ関心を持ってもらいます。あなたは、社会と自分の折り合いをつけられないので、大学院まで行きます。でも、英語の授業はきちんとこなせます。訳すのはへたくそでも、他の大勢の院生が参加しない英語の授業に毎回出ます。そして、皆の前で訳します。そして、修論を書きます。約三万字です。テーマは『人に自由を認めることができるか』私は私を選べるか、この世界はなぜこうであるか、を述べます。学部生の頃は論文の形にもなっていないようなひどい、自分の関心ばかり述べた論でしたが、修論は、まあまあ、形式を整え、述べたいことを簡潔に述べられたと思います。
そして、ついに就活です。あなたが就活している時、ちょうど世界は未知のウイルスが広まり、企業が学生をあまり採用しなくなっています。そんな中、あなたは沢山の企業を訪問します。ここでも、無気力と劣等感、好きなもの、やりたいことから自分が理解されないことの怖さから、遠回りな就活をします。しかし、もともと素質はあったのか、大学の頃から三年続けた塾の先生という経験を活かして、塾の講師の採用はあまり、自分の中でもつっかかりを感じず、面接に臨めます。でも結局あなたは、教育系の職業を選びません。私が今なんの仕事をしているかは秘密です。
さて、恋愛事情についてですが…気になりますか?
私はあまり書きたくないです。ただ、一言だけいうならば、どんなに賢そうな男でも、案外あなたより馬鹿だということです。学問のセンスはあります。でも、あなたが、それより劣っていると思って引け目を感じる必要はありません。もっと自由でいいのです。傷ついても、傷つくであろうと予測して、真実から目をそむけるのはよくないです。ただ、時間を無駄にするだけです。寂しさ、嘘つき、見栄っ張り、承認欲求というワードを心の内に秘めている男には寄ってはいけません。寄り付かれても、心の中で存在を消去してください。クズです。
しかし、あなたは人と心の底からつながることを諦めません。なので、沢山本を読み、自分の意見を書いてきたあなたは、単なる自己啓発本ではない、きちんとした本を読み、研究します。今のあなたは、難しい本は読めないはずです。随筆を読み、学問的な考え方ができたと思い込んでいるのです。随筆を学問書だと勘違いしています。もっと難しいけれど、優れた本は沢山あります。私もいまだに本に対して思い込みを持っているところはあるでしょうが、昔よりは読めます。

書いていて思ったのですが、私はけっこう、無気力ではないですね。しかも、あんなにひねくれた母を持ちながら、いじめられながらもひきこもりにはなりませんでした。あなたの強さと賢明さ、少し弱いところを包み込んで大切にしてくれる男を探してください。……今の私ですか?さあ、どうだか。もう、私が私の王子様ですよ。

軽い経歴はここまでにして、どうすれば自由に、自分の心を何かに縛られずに、時間を有意義に使えるか、少し考えてみたいと思います。

まず、この手紙が届かなかった世界線の私は、あなたより無気力に晒されますし、目的から遠回りした人生を歩みます。しかし、右往左往しながらも活動はしたわけです。よって今この結果を寄せています。なのでこうした手紙も書くことができるわけです。まず、活動してください

本が読めない?勉強ができない?学校が嫌だ?劣等感が辛い?心を馬鹿にされる?大人たちはだれも理解してくれない?
それは、そうです。ただその感情を何かに書いて、そこに自分の関心を見つけたら、その本を読んでみるのもいいと思います。すでにあなたにはその兆候が見られます。ただ、いきなり難しいのも気が引けますし、だからといって、適当な啓発本に手を出すのもあまり良いものではないです。なので、テーマをさっくり書いて、それに沿った本を手にとってみます。難しそうでも、きちんとした本に挑戦しましょう。この「きちんとした」というのを見分けるのも最初は難しいでしょうが、やり続けるうちに、感度がよくなります。つまり、良い本に巡り合える感度が高まります。そして内容や自分の考え方との相違を書き留めておくのがいいです。それは今は立派な書き方でなくてもよく、ただ、自分固有の味がそこに必ずでるものです。自分のテーマを持つ限りは。なので、ノートに関心事を書くのが良いです。後は、読み方などは、固有に工夫しつつ、人のを取り入れつつ、なんとかなります。

こうすることで、自分の関心事に時間をさけるので、無為な時間がなくなり、かつ、自分の考えを見たり、俯瞰できるので、少しは何かから自由になれるのではないかと思います。
しかし、あなたの思考は、ずっと何か他のものに汚染されているので、なかなかそれに集中できないかもしれません。そんなあなたに言いたいのは、まず、その書いたものを文書に直してみて、どこかきちんと名前つき(自分のものだと証明するため)で発表してみてはどうでしょうか。考え方を馬鹿にされるのは常ですが、あなたの気迫で書いた文章に寄せられる人間もいるのではないかと思います。無理に実行しろとは言いません。ただ、傷つくことを恐れて自分の意見が言えない、を避ける練習です。自分の心をないがしろにしてはいけません。好きなものから見放されるのではなく、その好きなものがあなたを見るセンスが無いか、まだ、その好きなものがそのセンスをジャンルに入れていないだけだというのも考えられます。もしくは、あなたが、何かを勘違いしているか、です。

ちなにみに今の私の関心事は、『どうしたら人と深くつながれるか』です。人間嫌いの私が不思議なものでしょう?

好きな服を着て、メイクして、今の目標を決めて、その折り合いの中で交際、もしくは、人付き合いすればいい。自由。(ここでいう自由というのは私の修論の自由とは概念が違うから勘違いしないでください)

あなたはずっと周囲より、ずっと美しく、賢く成長しました。
顔のアドバンテージはいいのだから、そのオイリー肌は直してきちんとケアした方がいいですよ。

今の私の希望はね、もっとここではないどこかで、愛を知って、生きたいな
私を抱きしめてくれる男を探して。

あとがき

あとがきを書くつもりはなかったのですが、中学生で私と似た境遇にある人がこの記事を読むかもしれないと思ったので書きます。

私のこの昔の自分に対するアドバイスであって、他の人には通用しないというのは当たり前です。

自分で考えるのやめちゃいけないな、とは思います。

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