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春休みの長さが異常

 この春休みはとても長かった。春休みが始まった2月1日から50日くらい経っているのだが、夏休みと違って目標としたのは旅行しつつ、本を5冊は読もうと目標を決めたことだ。

 はっきりと覚えている。

 私の友人から『テスカトリポカ』を薦められたのだ。あれは昨年の8月22日に神保町に行った日である。ざっくりとその友人に「何か小説を読みたいんだけど、いいの知ってる?」と尋ねたところ「『テスカトリポカ』がおすすめ」と言われたのだった。なかなか本屋に行く機会がなかったため、買ってはいなかったのだが、その8月22日は複数の友人(その友人も含む)と小旅行的に神保町に行き、偶然入った本屋で偶然平積みされており、運命だと思って『テスカトリポカ』を買ったのだ。

 まさしく運命であった。その本を読み始めてから小説に対する印象ががらっと変わったのだ。小説とはこんなにも面白かったのか。あの特殊な世界に惹きつける文章や構成、本物の小説を読んだ気分になって小説を読みたくなるいい機会になった。
今までは評論文やビジネス書といった類のものを読むことが好きであったが、今は専ら小説を読むことに耽っている。

 ターム4と5を過ごす間にゆる言語学ラジオというYouTubeチャンネルはまり、そのチャンネルでは読書好きな2人がかなり面白く本を紹介する箇所もありその影響もあってか、小説を春休みに読もうという気分にさらになった。

 じゃあ春休み一発目、何を読んだかというと『銃・病原菌・鉄』である。ガチガチの人類の発展の考察に対する名著であるが、これは以前より気になっていた。大学図書館にあるとのことなので、さっそく借りて読んでいるのだが、徹底的に調べてあり考察もきちんとしてあるので、読むのにとても時間がかかっている。春休み中に読み切りたい一冊である。

 その他小説では『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『そして、バトンは渡された』『博士の愛した数式』を読んだらしい。感想は長くなるので書かないが、素敵な文に出会えたと実感できた、とても良い本であった。

 さて、自分にとって読書とはもう少し堅苦しく、時間をとって読み知識として蓄えておかなくてはならないものだと思ってきた。ビジネス書とか評論文のような本はもちろん、小説であっても吾輩は猫であるや雪国のような有名な文章から読むべきで、知識や土台として拵えておくものだと勝手に思っていた。知識を入れるために行う行為が好きなので、読書も含め旅行をしたりYouTubeで少し賢めの動画を見るのをよく行う。特に読書は名著を読みたいと思って色々な本を買った。

 しかし、どれも読む気は起きなかった。
 こんなインプットを目的とした読書など楽しくなかったのだ。

 小説はもっと世に溢れている。それなのに名著と呼ばれるものだけを拾い、読み耽ることなんぞ自分には苦手であったのだ。

 「『テスカトリポカ』、おすすめですよ」
 そんなときに彼は薦めてくれた。井の中の蛙であった私の視界が鮮明になった。むしろ今までの義務感のような選択肢を取っ払ってくれた。そこには数多の小説が、所狭しと読んでほしそうにこちらを見ている。タイトルで取るか、作者で取るか。はたまた、裏表紙の「あらすじ」を読んで手に取るか。なんと楽しいことか。あの1000円にも満たない文庫本であっても、その中にはそれぞれの作者の世界が描かれている。色の違うカラフルな世界がそこにあり、どんな世界にも行けるドアみたいに選び放題である。自分と引き合い、徐に手に取った一冊が新しい世界に連れて行ってくれる切符のようで、旅行の前日のような、どういうところなんだろう、というわくわくは静かなれど熱く、その高揚ゆえになぜか気づけば会計を済ませていた。

 本当にテスカトリポカはそんな風にして買った。テスカトリポカは文庫ではなくハードカバーだったので1000円以上ではあったが、読み切った時の興奮は今までの小説では味わったことがなかった。

 小説とはこういうものであったな、そう感じた。中学校の頃、朝の15分間読書時間が設けられていた。漫画や雑誌以外なら本を読んでいいという時間であったが、母親が読書好きであったから割と読む本には困らなかった。あの時読んだ本ははっきりとは覚えていないが、あの時の読書体験が今の読書に耽りたいという感情の源泉になっているのだと思う。

 そういえば、国語の教科書にもいろいろ書いてあった。高校に入って友人が教科書の後ろの方に載っていた、安部公房の『鞄』を薦めてくれて、授業中にこっそりと読んだあの感情は今でもなぜか覚えている。短い小説ではあったが、答えのないむず痒い終わり方に、まだ自分の知らない小説があるのか、教科書に載るくらいなのに自分が知らない作家がまだいるのか、そういう感じにいたたまれなくなった。だから、夏目漱石や太宰治といった明治や大正期の文豪の本を読もうとしたのだった。なんかそんな気がする。

 今はそういうしがらみもない。この春に読んだ小説は○○賞受賞作とか△△さんがおすすめしていた、とかそういう選び方をしている。太鼓判が押されている安心感もあって、なおさら素敵な読書ができていると感じる。気が向いたら文豪の本でも読もう。気負うものが減った分、読書の幅も広がったし、読書の楽しみも増えた。専ら電車の中では文庫本を開いて自分の世界に浸っている。自宅で勉強できなかった質であるから、外に出ないとなかなか読書もできない。ただ、幸いなことに春休みは外出も多く、読書はとても捗った。他にやりたいこともあったが、ここまで多く本を読めると思っていなかったのでたまには100点くらいつけてやってm……。(Twitterやりすぎた……)
春休みは80点くらいだろうな。大学生としての勉強もせねばならない。しかし、読書は絶やしてはならないとつくづく感じているし、この春休みでさらに強固になったことだ。

次はどんな本を読もうか。本が満ちた世界、新たな本に出会いを求めて。

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