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086 つながる本棚

シリーズ① 河村尚紀

名前に敬称がついていないのは、彼が5歳からの友人だからです。しかも、ボクより10ヵ月も後に生まれてきたのに、先日、ボクを遺して先に逝ってしまいました。
もうすぐダイヤモンド婚を祝ってどこかに旅行に行こうかと思っていたのに。妻は「伊勢にいるもう一人の妻」みたいと友人のことを称していました。それだけ君のことを大切に思っているんだと言ったかどうかは忘れましたが、ボクには海や空と同じで、この世界にあって当然の存在でした。

この「つながる本棚」プロジェクトを始めようと思いたった時、まず最初に撮影に行きたいと思ったのが、彼の本棚でした。

本棚に並べられた一冊一冊には無数の本の中から選ばれた固有のストーリーがあり、その並べ方にもこだわりがあります。
しかも、同じ本を持っている人がこの広い世界のどこかにいると発見できたら、鳥肌が立つほど感動しませんか。自分がとっても大切にしてきた本を、同じように愛蔵している人がどこかにいるなんて。
そんな奇跡を目の当たりにしたくて、ボクは「つながる本棚」というプロジェクトを立ち上げることにしました。

紙の本や、まちの本屋が消えていこうとしている時代に。

本棚って極めてプライベートなものです。その人の好みや思想までわかってしまう、、、ボクなら誰にも見せないかも。
それを取材して写真に撮らせてくれっていうのだから、相当な信頼関係がないと無理なお願いかもしれません。しかも、相当心の広い人でないと受けてくれないですよね。

そんな難問を前に、最初の一人になってくれると言ったら彼しか思いつきませんでした。それに、あれだけ長く付き合ってきたのに彼の本棚を覗いたことがなかったから、個人的な興味もありました。

でも、まさかこんな急に悪くなっていくとは。。。
7年もの闘病生活の間、彼の調子のいい時を見つけては帰郷し、年に3度ほど彼の運転であちこち走り回り、今度はあそこにも行こうと、今は果たせぬ約束だけが残りました。

本好きであることは知っていました。それも、ボクがまるで読んだことのない哲学書を読んでいたことも。
思い返すとほとんどの期間、ボクが一方通行で喋っていた60年近くでしたが、カントがこんなことを書いている、プラトンはこう言っていると、時々ボクの上ずった考えに水を差してくれようとしていたのかもしれません。

今どき、大学で研究しているのでもない限り「カント全集」を持っている人はいないのでは。哲学書を生涯かけて読み続ける市井人なんて、もはや絶滅危惧種かもしれません。(市井人、という言葉自体もその存在を危惧されますが)

それに「論語註釈集」まで。
一体、それらのどこが面白いのか。どちらかというと陽明学に惹かれてきたボクには到底理解できませんが、今回、初めて彼の本棚を前にして、東西を問わない読書の幅の広さに感嘆してしまいました。

彼に、今どんな本を読んでいるのかと時々尋ねたものです。たいていはボクの知らない書名でしたが、こうして本棚や段ボールに仕舞われた膨大な蔵書を見ていると、時々懐かしい書名を発見して嬉しくなります。

中島敦。

おそらく、ボクがあんな田舎で生まれ育ったのにも関わらず、自分の異質性や孤独に呑み込まれることなく思春期の彷徨を潜り抜けられたのは、彼にめぐり逢えたからだと思います。
『山月記』の主人公のように孤独と過大な矜持に自らを持ち崩すことなくこれたのは、彼なくしてはありえなかったかもしれません。

そういう意味では、彼のお母さんにいくら感謝しても感謝しきれません。ボクのために彼を生んでくれてありがとうと。
それに今回、快く彼の本棚の写真を撮ることを許してくれたユミちゃんにも。彼女は我々の小学校の6年後輩で、ボクがとっくに結婚して子どももできた後、彼と一緒になってくれ、どんなにボクが嬉しかったことか。

トム・クランシーなど小説や文庫本が少ないのは、読み終わるとマンションの1階にある本棚に寄贈するスペースがあって、そこに出していたからだそうです。

彼が亡くなる直前に会いに行った際、枕元には『教養としての「地政学」入門』が置いてありました。九条Tokyoで毎月開催しているイベント「誤配だらけの読書会」のメンバーに勧められ、ちょうどボクが読もうとしていた本です。

彼の亡骸を焼く際、ユミちゃんが一緒に棺に入れたのは『人新世の資本論』で、難しくてなかなか読み進められないと言っていたそうです。毎晩、怖ろしい痛みと闘いながら。痛み止めを入れると本が読めなくなると、最後のほうまで拒否していたそうです。

ボクもその話を聞く直前に、つまり彼が亡くなる前にその本を読み終えたばかりでした。ボクとはまるで違う蔵書の数々を前にしながら、最後に同じ本を読もうとしていたことを知り、不思議な感覚にとらわれました。長い間、遠い場所に住んでいたのに、心は近くに越してきたような。

彼の棺にはたくさんの花とその本、それにボクがお見舞いに持っていった「るみ子の酒珈琲リキュール」が入っていて、そのまま焼かれていきました。

ボクが九条Tokyoを始める前、地元・三重の食材もいくつか揃えたいと、大台町の有機和紅茶や二見町の海の塩とともに、伊賀市の酒蔵るみ子の酒などを訪れた際、彼は全行程の道先案内人を務めてくれました。いつものとおり、運転手として。
ボクの運転技術はともかく、道を過ちがちな性格を知っていて、生涯、一度も運転はまかせてくれませんでした。

珈琲といえば中学3年生の時、親が寝静まった頃を見計らってお互いの部屋をチャリで訪ねあい、珈琲を飲みながらビートルズや深夜放送を一緒に聴いていたものです。
落合恵子の「走れ歌謡曲」を聴いてから自分の家に帰ることがよくありました。朝の5時過ぎでした。

彼の本棚を見ていて意外に思ったのは、ビジネス書が多かったことです。生涯、公務員として学校事務の仕事を務めていた彼に、どういう目的があったのか。。。

そうか、九条Tokyoを始める前に、田舎で国産有機小麦のパン屋をやろうと持ち掛けたことがあります。元気な高齢者が独居高齢者宅に焼き立てパンとスープを届けるサービスがメインの、国産有機食材だけを使ったパン屋という構想でした。ボクが店に立つから、君は配達する元気な高齢者の管理・運営をしてくれといって。

このアイデアは案外順調に進みそうに思えたのですが、当てにしていた絶好の場所が借りられないことになって、事業計画自体が頓挫してしまいました。
彼はあの時、それまで興味のなかったビジネス書を読み始めたのでしょうか。今となってはその真相を尋ねることはできませんが、本棚は実に多くのことを語りかけてくれますね。同時に、新しい発見も。

もっと驚いたのは、本のあちこちに書き込みがあること。
以前はメモ帳をたくさん買ってきてメモをしていたそうですが、病床から出られなくなって以来、本に直接書き込むようになったのかもしれません。
最後のほうは字が崩れていて読み取れませんが、記入した日時とともに、一言何か書かれています。

なかには痛みについて書いてあるものがあり、それを見つけて以来、ユミちゃんは本を整理できなくなったと言います。ボクが写真を撮りに来るから整理して、本棚に並べようと思っていたのにと。

コロナ禍もあり、病院に入院させるとなかなか会えなくなるからと、最後まで家で看取った何か月かの間、痛さに耐えかねて叫ぶことが度々あったそうです。温厚で穏やかな声で喋る彼しか知らないボクには、そんな姿は想像もできませんが。

ボクが知らなかったことは他にもあります。
自分が気に入った本は、メモ書きをしてしまっているからと新たに買い足して、「これ読むといいよ」と配っていたそうです。

池谷裕二氏の脳科学の本が何冊かあったのはうれしかったなぁ。ボクも大好きだからです。もしかして、ボクがすすめて、気に入ったのならうれしいなぁ。

いや、何も言っていないのに、偶然、同じ本を何冊も読んでいたほうがもっとうれしいか。ささやかだけど、慰めになる気がします。

それに、漫画『三丁目の夕日』が好きだったというのもうれしい。本棚が語りかけてくれることって、なんと多彩で慈悲深いことか。信仰を持たないボクにも、読書という救済が、本棚のおかげでカタチとなって残されたということでしょうか。
これを写真に撮って、永久に保存しないなんてもったいないと思いませんか。もうお墓の時代じゃないでしょう。

あっ、お墓は遺族のためにあるものですから、それをつくるつくらないに是非はないんですよ。

『亡くなった人と話しませんか』というタイトルを見つけて、ドキッとしました。その日のことを考えていたのでしょうか。どうして、もっと早く彼のもとに通わなかったのか。何もできなくても、彼の退屈な時間を埋めることくらいはできたのに。
病が重くなってから、誰にも知らせるなと言っていたそうです。その気持ちはわかりますね。でも、もっと早く行くべきでした。何回も。

性格はまるで違っていた気がしますが、同じ時代、同じ道を歩いていたんだと、彼の本棚や蔵書を見て、つくづく思いました。ボクという存在を受け止めてくれるためではないとしても、彼が自分の志向で選んだ蔵書を一つひとつ手にして、改めてそんなことを思いました。

ボクたちは同じ時代、同じ場所で出会うべくして生まれ、生きてきたんだと。
そう思うと、一冊一冊が書き込みや埃まで愛おしくなってきます。

やっぱ、本は手触りのある紙の本がいいわぁ。。。


<小島ゆかり>
幸はひそかに近く在るものとわが知りしときすでに失くしつ
みんな夢よき人はまた亡き人となりて遠のく日車の花
その人は近くて遠く在るゆゑにわれを歩ます天の青さへ
       

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