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必要なものごとは必要なときにやってくる

後悔の思いや自責の念が
頭をぐるぐるして苦しいとき
どうすればいいのか。

考えたってどうしようもない
過去のことにとらわれて、
あのときああすればよかったと
自分を責める。

頭から離れない。

非生産的で、後ろ向きで、
こんなこと考えたくないし、
忘れたいし、気持ちを切り替えたいのに、
気づけばぐるぐる同じことを思考していてつらい。

考えないようにしようとすればするほど、
そのことを考えてしまう。

結果に執着しているからだと
手放したいのにやめられないのが
人間の性なのか。

すばらしい内装の4階のお部屋と出逢った。
でも、母が2階までにしときや
と言った言葉にとらわれたり、
頭であれこれ考えて、
決めようとしたときに
こわい感覚があって迷った。
迷っているうちに、
別の人が入居を決めてしまった。

それから、後悔のおもいが
ぐるぐるぐるぐるして苦しかった。

すばらしい場所のお部屋に引っ越した。
でも、どうしても迷った別のお部屋と
比べてしまう。

今のお部屋が、最善最適なんだと思いたい。
起きることはすべて
自分にとって一番いいものなんだ。

必要なことは
必要なときに
必要なタイミングでやってくる

だからなんの問題もないのに、
問題だと思っているのは自分だと
そういわれても、
頭でわかろうとしても
感情がなかなかおさまらなかった。

とにもかくにも引っ越しをした。

引っ越し業者さんに、
照明の取り付けをお願いしたら、
僕たちではできないと言われて、
困ったなと思った。
電動ドライバーが必要なのに
私は持っていなかった。

引っ越しやさんが帰ったあと、
床の上に、電動ドライバーが置かれていた。
そうだ、運ぶ前に解体した机を
組み立ててくれたときに使っていた。

しかも、その机を解体したのは、
荷出ししたときの引っ越し業者さんだが、
そもそもその机は組み立てられた状態で届いたもので、
解体するのはやりすぎだった。

解体する必要あるんですか?
と尋ねたら、
「そのまま運びましょう」とリーダーが言うのも遅く
解体を始めた人が、
「もうここまでバラバラにしてしまったから」と
結局解体されて運ばれてきた。

その状態をみて、荷入れしてくれた引っ越し業者さんも
「解体しなくていいものを解体したね」
と言っていた。

一見、失敗の選択。

でも、これが、私にとって好都合だった。
そのおかげで、忘れものとして置かれていた。

それを使って照明の取り付けできるかな
と思っていたところ、電話がかかってきて、
「ドライバーを忘れたので、30分後に取りに行きます」
とのことだった。

30分では取り付けは無理だな、と諦めた。
しばらくすると、もう一度電話がかかってきて、
「作業が入ってしまって、30分どころか夜遅くなってしまうので、
玄関の外に置いておいていただければ、
勝手に引き取ります」
とのことだった。

チャンスだと思った。
それから、説明書を一生懸命読んで、
照明の取り付けを汗をかきかき一人でして、
なんとか取り付け終わった。

電動ドライバーを忘れてくれて、
しかも作業が入ってすぐに取りにいけないというのは
わざとなのかと思うほど
私に必要なタイミングで必要なものと
必要な時間を与えてくれた。

そして、それを有り難く受け取った。

神さまってすごいと感動した。

私に必要なものを与えるために、
解体しなくてもいい机を解体するということまで
してくれたとしか思えない。

その流れがないと
ドライバーは置きっぱなしにならなかった。

一見失敗のように思えるものごとも
必要なことのために起きている。

失敗したと後悔しなくていいということ。

いまここの目の前の現実は、
すべて完璧なんだ。

失敗したと思うようなことがおきても
これからどう展開していこうかと
楽しむことが、前に進んでいくということ。

母に後悔して苦しいと吐露した。
ごめんなさいね、いらないこと言ったせいで
と言ってくれたけど、
決して母のせいじゃない。
迷ったのは私。

母に後悔することある?
と聞いたら、ないと返事された。
迷わなくてすぐ決める?
と聞いたら、すぐ決めるという。

早く行動してしまって失敗するけど、と。

でも、後悔しないなら
すぐ行動するのがいいなと思った。

お母さんを見習って、考える前に行動する
と言うと、お母さんみたいにしなくていいと。

「あんたの考えで動きや」

すぐ行動するのは見習って、
どう動くかは私のしたいようにする。

幸せに生きるのは、
自分の心の赴くままに動く
それがすべてなのかもしれない。



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