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嫌われていると思っていた〜意外だった本当の思い

「おばあさんは、いつもお母さんのことを褒めてはった」

え? 誰のこと? 
と思った。

母方の祖母は、いつも私の前で
父方の祖母のことを褒めていた。
「おばあさん偉いなあ」と。
そのことを思い出していた。

お盆休みの帰省で、
小学校のころからお世話になった
いけばなの先生に会いにきた。
先生の言うおばあさんというのは、父の母だ。

私と一緒に住んでいた大正元年生まれの祖母と母が
2人で話しているのを、私は見たことがなかった。

いわゆる嫁姑の関係は悪いのだと思っていた。
話さないから決して仲良さそうには見えなかった。
だから、とても驚いた。
自分の耳を疑って、何度も聞き返した。

子の育て方が悪かったから嫁さんに迷惑をかけていると
話していたそうだ。

え??
どういうことですか?

まったく理解できなかった。
うちのおばあさんが、自分の息子(私の父)のしつけができてへんから
と話していたなんて、青天の霹靂だった。

「ほんとですか?
でも、おばあちゃん、父が母に怒鳴ったり怒っても
全然止めたりなだめたりしたことなかったし
いつも黙ってみてはりましたよ」
と言うと、
それは、言うと火に油を注ぐから何も言えへんかったそうだ。

どこかで聞いたことがある話だ。
私も、夫から理不尽に怒鳴られても、何も言い返せなかった。
言い返したら、10倍にも100倍にもなって返ってくる。
説教がますます長くなって眠る時間がなくなるだけだ。
だから、私は死んだように黙っていた。

反論しなかったのは
夫の言うことに納得したからではない。
全然納得できず腹にすえかねても、
自分の身を護るために何も言わなかった。

森先生が仰った。
おばあさんもつらい思いしてはったんやで。
自分のお腹から産まれたからといって、
お腹に戻すわけにもいかへんしなあ
と話していたそうだ。

びっくりした。
おばあさんが黙って何も言わないのは、
父のすることを肯定しているのだと思っていた。
私と一緒で、火に油をそそがないようにするために
黙っていたのだ。

父は、よそでは朗らかでおもしろい人だった。
家では、私も毎日顔色をうかがっていた。

という話をしたら、
「あなたの反抗期がきつかったから、
お父さんがあなたの顔色うかがっていたと
お母さんゆうてはったよ」と言われた。

私自身、自分では反抗期の自覚はないけれど、
そうだったのか。

父は完全に私を避けていたという。
へー、こわいお父さんが私をこわがるの??
不思議。

「それにしても、お母さんは
いつもニコニコして、芯はしっかり持ってはって、
朴訥な話し方やけど
わきまえてはるし、
なかなか思慮深いと思う。
サバサバしていて
はっきりと言うてくれはるのがいいわ。

おじいさんも、いい人やったわ。
よそから来た私に気つこて
よう声をかけてくれはった」

父が17歳のときに亡くなった
逢ったことのない私のおじいさん。

「おばあさんは、よう私にしゃべりに来てくれはった。
お姑さんいはるか?」
と聞いて、いないときに
しゃべりに来てくれはった。
そういう気を遣える人やった。
(お姑さんがいはるときにしゃべってたりすると
嫁である先生がいろいろ言われてしまうから)

そういえば、私がいけばなを始めたのも
祖母から勧められてのことだった。
そろばんを1級までとったから、
次はお花なろたらいいわと言われて
私はいけばなを習い始めた。

私といけばなを出逢わせてくれたのは
祖母だった。

家に帰って、母に祖母の言葉を伝えると
案の定、母もびっくりしていた。

私も母も、祖母は父のことがかわいくて
母のことを気に入らないんだと思っていた。

全然違った。
祖母はむしろ罪悪感で、自責の念があったのだろう。
自分の息子が嫁に乱暴な態度をとるのを見て
いい気持ちがするはずがない。

それは、私のかつての姑を想起させた。
なぜなら、姑も同じことを話していた。
子育てのとき、
父のいないあの子に甘やかしたところがあって
厳しく言えなかったと。

そんなどこかで聞いたような関係が
ぐるぐる私のまわりをまわっている。

父と元夫がやはり似ていたということか。
母に比べたら私はましだと思って、
夫の暴言暴力を甘受していた。

母は、お父さんは
他の旦那さんと比べたらまだましやと思うと言った。
母も私も同じことを思っている。

先生は、私が結婚したと聞いて、
合わないのちゃうかなと思ったと。
会ったこともなく話を聞いたわけでもないのに
なんとなくそう思っていたと。
先生の勘は鋭い。
姓が元に戻ったのを見て、
よかったと思ったという。

祖母は、そんな先生に
私を指導してもらいたかったのだと思った。
あれから35年以上の間に
いけばなの師は代わっていったけれど、
私にとっていけばなは
生き方を学ぶツールだ。

その最初のきかっけが、
のびやかに自由に
個性を尊重して教えてくださった森先生で
本当によかったと
心から感謝している。

去年、母におばあちゃんがどんな人やったかと聞くと
「ほんまに家思いの人やった」
と言っていた。

家というより、
嫁である母を含めた家族のことを
とても思ってくれていたんだと思った。

先生から聞いた祖母の胸の内は
まさかと思うような予想外のことだったけれど、
母も私もあたたかな気持ちになれた。

もっとおばあちゃんと
話しておけばよかったなあと思う。

それはきっと、
今生きている母と私が
話したらいいよという
メッセージなのだろう。

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