見出し画像

小生の事の学

「小生の事の学」を実践していこう。熊楠はこの世界の複雑な「事」のまじわりあいのなかで、それらが幾重にもかさなるところを「翠点」と呼ぶ。「事」を生み出す因果の線が、かさなりあえばかさなりあうほど、そこにはより大きな力が働く。この世界の「不思議」は、この「翠点」を起点にすることで紐解くことができるのだという。僕の話に置き換えた場合、自分自身をディグる「坑道という行動」のまじわる点が「翠点」だ。僕の坑道という行動は止まらない。でも、その坑道はどれだけ掘り進めたとしても何かを掘りあてることはないし、どこか別の場所へつながっていることもない。ただ坑道のみが無数に伸び、複雑にまじわりあっているだけ。出口も入口もない。「翠点」は坑道という行動の交差点だ。交差点には力が生まれる。ロバート・ジョンソンがクロスロードで悪魔と取り引きしたように、僕は坑道という行動のクロスロードで、神の魂にアクセスする。

僕は僕自身のなかにある複雑な坑道の地図を描きたい。そのために、まずは自分の中に無数に存在している「翠点」を見つけなければならない。そうすることにより、おぼろげにでも複雑な坑道の全貌が見えてくるはずだ。それはつまり、僕自身という人間が見えてくるという「事」。そして不思議にアクセスするという「事」。
これが「小生の事の学」であり、僕の次元におけるシャーマニズムだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?