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知識武装したい話

私は学ぶことが好きである。しかし最近、仕事に忙殺されて自分がなぜ学びたいのかを忘れてきてしまったので、言語化しておこうと思い書いている。

私が学びをする理由を2つほど列挙し、経緯と理由を述べていこうと思う。

①学ぶことが好きだから

好きだから学ぶ。当たり前の動機だが、私はこの動機をとても大切にしている。なぜなら強制の入った学びは自分に悪い負荷をかけるからだ。例えばやりたくもない興味もない分野の勉強。あれは学びではなく勉強だった。学生時代、勉強は苦痛だった。学校教育には様々な分野の基礎に触れるという役割があるためその必要性は今は理解している。その分野の最低限の知識がなければ自分が何に興味があるかもわからず学びの入り口にさえ立てないから、先に基礎の基礎の基礎だけ半強制的に教えてしまおうということなのだろう。しかし、当時はそんなことはわからなかった。勉強の仕方、知識を入れる順番、内容に至るまでを決められて学ぶことの意義も考えずにひたすら試験に臨む。一定の知識が得られたため感謝はしているが苦痛だった。大学に入り、自分の興味のある分野の勉強を自分で選んでできるようになってから息が吸いやすくなった。勉強ではなく学びがしたいと思うようになり、また学びの興味対象の分野が一気に広がった。

私の場合、学びの対象は少々偏りがあるものの基本的に自分の生活と人生に関わる様々なことである。最近は化粧品業界の商品原価事情から自爪を美しく保つための栄養素の知識、国際経済事情、好きな衣服ブランドの企業分析、米国S&P500の今後の動向まで広がっている。広がりすぎていて正直収集がつかないこともあるが、下調べして本を読み、時には自分で経験し、そこから考える過程がとても楽しい。

元々好きだったのは哲学なのだが、哲学だけを学んでいると議論が空に浮いてしまうと感じたため、実学と平行して二つを行ったり来たりしながら少しずつ学んでいる。哲学はものの捉え方、考え方、人間の性質などをすこぶる頭の良い先人たちが考え抜いた結論を学べる、生きていく上でめちゃくちゃお得な分野だ。先に述べておくが私は研究者でもなんでもない人間である。あくまで哲学を自分の人生に活かせたらと思い、使わせていただいている。具体的には悩み事がある時などに本を開いてセルフ人生相談をしている。人に聞いてもどうしようもない時、人に言えないような悩みは特に参考になる。人間の持つ悩みの根本は1000年経っても変わらないのだということがよくわかる。

話が逸れたが、とにかく興味の幅を広げて学びの定義を広くしたら、自分の生活と人生に関わるあらゆることが学びの対象に見えるようになった。例えば、最近始めたひとり暮らし。料理(醤油とみりんと酒の美味しい配合比は決まっているのか?気になる)、掃除(重曹とセスキ炭酸ソーダの万能性に驚きその仕組み(=化学)を学びたくなった)、インテリアのコーディネート(自分が心地よいと感じる空間づくりに燃えている)、お皿(陶器の美しさに興味が出たためコロナが収まり次第岐阜のギャルリ百草に行ってみたい)等、驚くほど学びたい分野が増えた。

つくづく、好きでやる学びは娯楽である思う。仕事に押し潰されてしまわないよう、自分の『知りたい』という欲を守っていきたい。


②生きていく上で知識を武器にしたいから

学びで得た知識や自分の頭で考えたことは生きる上での武器になる。

私は社会の毒気や刺激に弱い人間であり、自分で経験するには負荷がかかりすぎる出来事や環境が人より多いということが最近分かってきた。例えば、夜の街歌舞伎町や新宿ゴールデン街。人が多く(視覚的な情報量が多く)、色々な音がして(聴覚の情報量も多い)、治安的な意味でも女一人で行くにはハードルの高い場所である。人生経験としても行ってみたい気持ちがあったため、お昼のゴールデン街に試しに出向いてみたが楽しさよりしんどさが優ってしまいそれ以上は断念した。しかし、それらの世界の構造には興味があった。どういう歴史があり、どういう人がそこを居場所とするのか、どのように経済が回っているのかを知りたかった。また、夜の世界に対して無知からくる批判や嫌悪をしたくもなかった。(夜の世界という一言でまとめたのはよろしくなかった。そこに色んな層が存在することは承知している)文字情報ならストレスなく学べることに気づき、少しずつ学んでいる。学ぶことにより、今回のコロナ禍でのクラスター問題や補償問題に対する解像度が少し上がった。例えばドイツやオランダでは売買春が合法とされており、国が性風俗産業として大々的に認めて施設を管理していたりするので逆に言えばコロナ禍による規制も可能だった。日本のように国が産業として認めず、きちんと労働者が所得税を納めるような仕組みになっていないと労働環境の保証や休業補償のところで問題が起きるのだろう。要は税金ちゃんと納めてない人が多いのに補償なんてだせるか!と国が怒り、店側も補償でないなら営業しますよとなったのだ。事実はより複雑なんだろうが、その手の情報というだけで回避してしまいがちだった過去の自分からすると、学んだことによりほんの一部を先入観なく捉えることができるようになったのは小さな進歩だったように思う。

その場を体験しなくても、学ぶことで今何が起きているのか、どのような事が問題視されているのかが少しずつ見えてくる。学ぶこと、先に知識を仕入れておくことは生きる上でかなり役に立つように思う。私のような、現実世界に過敏な人間は特に。

今何が起きているのか、より正確な事実を知るためにどの情報源を信用すれば良いのか、などのスキルやリスク管理能力を培うことも、生きていくには重要であるように思う。特にコロナ禍において、コロナそのものの情報、ワクチンの情報が多々飛びかっている昨今、自分の生き残る力を試されているように感じた。コロナとはなんなのか、8時までの営業自粛に意味はあるのか、不織布マスク以外のマスクではどの程度感染リスクが上がるのか、満員電車に通勤で乗っていても感染しないのか、情報収集能力と判断力がこれほど全人類に同時に試された出来事もそうないだろう。私は自分の判断にあまり自信がなかったため、とりあえずより感染リスクを低くするであろう行動をとっていた。情報は国内や海外の研究施設や機関から発信されるデータや研究を積極的に見に行くようにし、また諸外国の政策と数ヶ月後のコロナ感染者数、重症者数などのニュースを重視して見ていた。まずは誰かの解釈がなるべく入っていない、色のついていない事実を頭に入れたかった。事実を念頭に入れて、考察やその他マスメディアの報道を遠目で見るようにしていた。情報はまず事実と解釈を分けたほうがよい、というのはストレスマネジメントの本で学んだことだ。コロナに限らず、仕事でもプライベートでもこの知恵はとても役に立っている。また、事実を先に頭に入れることにより、より自分の頭で考えることが増えたように感じる。現実世界をサバイブしている感覚が増した。


長くなってしまった。まとめると、私は学ぶことが好きであり、学ぶことで己を武装していきたいのだ。こうした頭の中で考えていることは目の前で起こっている現実の前では簡単に吹き飛んで無意識に生活してしまうので、この決意をこうして書くことで今後の自分に言い聞かせていきたい。

学ぶこと、知識武装することは、それ自体が自分を守り助けるための大事なライフハックなのだ。

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