ギリシア語で『ソクラテスの弁明』を読む (第一〇章)

この記事ではプラトン『ソクラテスの弁明』を古典ギリシア語で読むための手助けとして、初歩的な復習も含めて一文ごと、一語一句すべての単語に細かく文法の説明をしていきます (不変化詞の繰りかえしは除いて)。今回は第一〇章 (ステファヌス版の 23c–24b) を扱います。

使用した本文や参考文献については第一章の記事の冒頭に掲げてあるのでそちらをご覧ください。

第一〇章 (23c–24b)

Πρὸς δὲ τούτοις οἱ νέοι μοι ἐπακολουθοῦντες—οἷς μάλιστα σχολή ἐστιν, οἱ τῶν πλουσιωτάτων—αὐτόματοι, χαίρουσιν ἀκούοντες ἐξεταζομένων τῶν ἀνθρώπων, καὶ αὐτοὶ πολλάκις ἐμὲ μιμοῦνται, εἶτα ἐπιχειροῦσιν ἄλλους ἐξετάζειν· κἄπειτα οἶμαι εὑρίσκουσι πολλὴν ἀφθονίαν οἰομένων μὲν εἰδέναι τι ἀνθρώπων, εἰδότων δὲ ὀλίγα ἢ οὐδέν. ἐντεῦθεν οὖν οἱ ὑπ᾽ αὐτῶν ἐξεταζόμενοι ἐμοὶ ὀργίζονται, οὐχ αὑτοῖς, | καὶ λέγουσιν ὡς Σωκράτης τίς ἐστι μιαρώτατος καὶ διαφθείρει τοὺς νέους· καὶ ἐπειδάν τις αὐτοὺς ἐρωτᾷ ὅτι ποιῶν καὶ ὅτι διδάσκων, ἔχουσι μὲν οὐδὲν εἰπεῖν ἀλλ᾽ ἀγνοοῦσιν, ἵνα δὲ μὴ δοκῶσιν ἀπορεῖν, τὰ κατὰ πάντων τῶν φιλοσοφούντων πρόχειρα ταῦτα λέγουσιν, ὅτι “τὰ μετέωρα καὶ τὰ ὑπὸ γῆς” καὶ “θεοὺς μὴ νομίζειν” καὶ “τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν.” τὰ γὰρ ἀληθῆ οἴομαι οὐκ ἂν ἐθέλοιεν λέγειν, ὅτι κατάδηλοι γίγνονται προσποιούμενοι μὲν εἰδέναι, εἰδότες δὲ οὐδέν. ἅτε οὖν οἶμαι φιλότιμοι | ὄντες καὶ σφοδροὶ καὶ πολλοί, καὶ συντεταμένως καὶ πιθανῶς λέγοντες περὶ ἐμοῦ, ἐμπεπλήκασιν ὑμῶν τὰ ὦτα καὶ πάλαι καὶ σφοδρῶς διαβάλλοντες. ἐκ τούτων καὶ Μέλητός μοι ἐπέθετο καὶ Ἄνυτος καὶ Λύκων, Μέλητος μὲν ὑπὲρ τῶν ποιητῶν ἀχθόμενος, Ἄνυτος δὲ ὑπὲρ τῶν δημιουργῶν καὶ || τῶν πολιτικῶν, Λύκων δὲ ὑπὲρ τῶν ῥητόρων· ὥστε, ὅπερ ἀρχόμενος ἐγὼ ἔλεγον, θαυμάζοιμ᾽ ἂν εἰ οἷός τ᾽ εἴην ἐγὼ ὑμῶν ταύτην τὴν διαβολὴν ἐξελέσθαι ἐν οὕτως ὀλίγῳ χρόνῳ οὕτω πολλὴν γεγονυῖαν. ταῦτ᾽ ἔστιν ὑμῖν, ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι, τἀληθῆ, καὶ ὑμᾶς οὔτε μέγα οὔτε μικρὸν ἀποκρυψάμενος ἐγὼ λέγω οὐδ᾽ ὑποστειλάμενος. καίτοι οἶδα σχεδὸν ὅτι αὐτοῖς τούτοις ἀπεχθάνομαι, ὃ καὶ τεκμήριον ὅτι ἀληθῆ λέγω καὶ ὅτι αὕτη ἐστὶν ἡ διαβολὴ ἡ ἐμὴ καὶ τὰ αἴτια | ταῦτά ἐστιν. καὶ ἐάντε νῦν ἐάντε αὖθις ζητήσητε ταῦτα, οὕτως εὑρήσετε.

(1.1) Πρὸς δὲ τούτοις οἱ νέοι μοι ἐπακολουθοῦντες—οἷς μάλιστα σχολή ἐστιν, οἱ τῶν πλουσιωτάτων—αὐτόματοι, χαίρουσιν ἀκούοντες ἐξεταζομένων τῶν ἀνθρώπων, καὶ αὐτοὶ πολλάκις ἐμὲ μιμοῦνται, εἶτα ἐπιχειροῦσιν ἄλλους ἐξετάζειν·

(直訳) またそれらに加えて、若者たち——彼らには非常に暇があったのだ、きわめて裕福な人々の息子たちだったから——が私に自発的についてきて、人々が吟味されるのを聞いて喜び、そして自分たちでもしばしば私を真似て、その後にほかの人たちを吟味することを試みている。

πρὸς … τούτοις: 男複与。この πρός+与格は追加を表す意味:「それらに加えて」(チエシュコ 10§16.2.4)。
οἱ νέοι: 男複主。
μοι: 1 単与。
ἐπακολουθοῦντες: 現能分・男複主 < ἐπ-ακολουθέω「与格の人に付き従う」。ἐπι-複合動詞なので与格をとる (高津 §233)。
οἷς: 男複与。所有の与格。
σχολή: 女単主「暇、余暇」。
ἐστιν: 現能直 3 単。ここでは存在の意味で、「与格の人にある=与格の人がもっている」。
οἱ τῶν πλουσιωτάτων: 男複主+最上級・男複属 < πλούσιος「豊かな、裕福な」。所有の属格によって「誰々の息子・娘」の意味を表しており、これに男性複数冠詞がついているので「息子たち」の意。
αὐτόματοι: 男複主 < αὐτόματος「自発的な、自分の意志による」。οἱ νέοι に述語的同格なので、副詞的に訳せる:「自発的に」。なお、この語は明らかにダッシュの前の分詞 ἐπακολουθοῦντες の動作を修飾しているのであるが、長い挿入句によって分断されてしまっている。dS&S によればこれはプラトンの文体というか一般に古典期の文体にとってはきわめて考えがたいことであって、いちど書き落とされたあと間違った場所に加えられたのではないかと推測されている。
χαίρουσιν: 現能直 3 複 < χαίρω「喜ぶ;挨拶する」。喜びの理由は原因の与格で表されるが、ここにはない。
ἀκούοντες: 現能分・男複主 < ἀκούω。主語は若者たち。
ἐξεταζομένων: 現受分・男複属 < ἐξετάζω「吟味する、精査する」。独立属格句の動詞。
τῶν ἀνθρώπων: 男複属。独立属格句の主語。
αὐτοὶ: 男複主。これも若者たちに述語的同格。
ἐμὲ: 1 単対。
μιμοῦνται: 現中直 3 複 < μιμέομαι「真似する」。
εἶτα: 副「それから、次に」。
ἐπιχειροῦσιν: 現能直 3 複 < ἐπι-χειρέω「試みる」。
ἄλλους: 男複対。ἐξετάζειν の目的語。
ἐξετάζειν: 現能不 < ἐξετάζω。

(1.2) κἄπειτα οἶμαι εὑρίσκουσι πολλὴν ἀφθονίαν οἰομένων μὲν εἰδέναι τι ἀνθρώπων, εἰδότων δὲ ὀλίγα ἢ οὐδέν.

(直訳) そしてその結果彼らは、なにかを知っていると思っているが (実際には) ほとんど知らないかまったく知らない人々の、多数溢れていることを見いだすのだと思う。

κἄπειτα: καὶ ἔπειτα の融音。
οἶμαι: 現中直 1 単。οἴομαι の別形。ここでは挿入句的 (ほとんど間投詞的) に働いており、間接話法を従えるのではなく定形の直接話法の文に挟まっている。
εὑρίσκουσι: 現能直 3 複 < εὑρίσκω。
πολλὴν ἀφθονίαν: 女単対 < ἀφθονία「充溢、豊富さ」。
οἰομένων: 現中分・男複属 < οἴομαι。μέν …, δέ … の対比に注意すると、これと後の εἰδότων が並列されており、ともに ἀνθρώπων に一致してその人々の行いを描いている分詞。独立属格ではない。
εἰδέναι: 完能不 < οἶδα。οἰομένων の従える不定法。
τι: 中単対。εἰδέναι の目的語。
ἀνθρώπων: 男複属。部分の属格で、πολλὴν ἀφθονίαν にかかる。
εἰδότων: 完能分・男複属 < οἶδα。
ὀλίγα ἢ οὐδέν: 中複対+中単対。εἰδότων の目的語。

(2.1) ἐντεῦθεν οὖν οἱ ὑπ᾽ αὐτῶν ἐξεταζόμενοι ἐμοὶ ὀργίζονται, οὐχ αὑτοῖς, καὶ λέγουσιν ὡς Σωκράτης τίς ἐστι μιαρώτατος καὶ διαφθείρει τοὺς νέους·

(直訳) それでそこから、彼らによって吟味された人々は私に怒るのだ、自分たち自身にではなく。そして言う、ソクラテスとかいう者はまったくけしからん、若者たちを堕落させている、と。

ἐντεῦθεν: 副「そこから」。
οἱ … ἐξεταζόμενοι: 現受分・男複主 < ἐξετάζω。名詞用法。
ὑπ᾽ αὐτῶν: 男複属。若者たちを指す。
ἐμοὶ: 1 単与。原因の与格。
ὀργίζονται: 現中直 3 複 < ὀργίζω「怒らせる」。中動態なので「自分を怒らせる=怒る」。
οὐχ αὑτοῖς: 男複与。再帰代名詞。気息記号の向きに注意、ただし否定辞の χ によってもわかる。気息記号がない時代にもこれによって οὐκ αὐτοῖς と区別できたわけである。
λέγουσιν: 現能直 3 複。
Σωκράτης τίς: 男単主。
ἐστι: 現能直 3 単。
μιαρώτατος: 最上級・男単主 < μιαρός「汚れた、不浄な;不届きな」。
διαφθείρει: 現能直 3 単 < διαφθείρω「腐敗させる、台無しにする」。
τοὺς νέους: 男複対。

(2.2) καὶ ἐπειδάν τις αὐτοὺς ἐρωτᾷ ὅτι ποιῶν καὶ ὅτι διδάσκων, ἔχουσι μὲν οὐδὲν εἰπεῖν ἀλλ᾽ ἀγνοοῦσιν, ἵνα δὲ μὴ δοκῶσιν ἀπορεῖν, τὰ κατὰ πάντων τῶν φιλοσοφούντων πρόχειρα ταῦτα λέγουσιν,

(直訳) そして誰かが彼らに、(ソクラテスは) なにをしてなにを教えているのかと尋ねたとしても、彼らはなにも言うことができないで、なにも知らないのだが、(自分が) 当惑しているようには見えないようにと、以下のような、あらゆる哲学者たちに対するありふれたことを言っているのだ。

ἐπειδάν: ἐπειδὴ ἄν のつづまったもの。
τις: 男単主。
αὐτοὺς: 男複対。
ἐρωτᾷ: 現能直 3 単 < ἐρωτάω「尋ねる」。
ὅτι: 中単対。これは不定関係代名詞 ὅ,τι のことで、間接疑問を導入している。ποιῶν の目的語。
ποιῶν: 現能分・男単主 < ποιέω。
ὅτι: 中単対。同前、διδάσκων の目的語。
διδάσκων: 現能分・男単主 < διδάσκω。
ἔχουσι: 現能直 3 複。ここでは不定詞を伴って「〜できる」の意。
οὐδὲν: 中単対。εἰπεῖν の目的語。
εἰπεῖν: アオ能不 < λέγω。
ἀγνοοῦσιν: 現能直 3 複 < ἀγνοέω「知らない、無知である」。
μὴ δοκῶσιν: 現能接 3 複 < δοκέω。
ἀπορεῖν: 現能不 < ἀπορέω「悩む、途方に暮れる」。
τὰ … πρόχειρα ταῦτα: 中複対 < πρόχειρος「手近にある、ありふれた」。名詞用法。「ありふれたこと」だけでは少し言葉足らずなので、ここでは哲学者に対して「よく言われていること、常套句」と理解すればよい。ταῦτα は後ろにあるが指示詞としてふつうの外側の位置での修飾である。
κατὰ πάντων τῶν φιλοσοφούντων: 現能分・男複属 < φιλοσοφέω「知恵を愛求する、哲学する」。
λέγουσιν: 現能直 3 複。

(2.3) ὅτι “τὰ μετέωρα καὶ τὰ ὑπὸ γῆς” καὶ “θεοὺς μὴ νομίζειν” καὶ “τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν.”

(直訳) すなわち「天上のことや地下のこと」だの「神々を信じないこと」だの「弱い議論を強くすること」だのといったことである。

ὅτι: 第六章 (6)、第九章 (3.2) と同様、引用符に相当し訳す必要のない接続詞。以後断らない。
τὰ μετέωρα: 中複対 < μετέωρος「引きあげられた;空中の」。
τὰ ὑπὸ γῆς: 中複対+女単属 < γῆ「大地、地面」。
θεοὺς: 男複対 < θεός。
μὴ νομίζειν: 現能不 < νομίζω「考える、みなす;信じる、認める」。
τὸν ἥττω λόγον: 比較級・男単対 < ἥττων。
κρείττω: 比較級・男単対 < κρείττων。
ποιεῖν: 現能不 < ποιέω。このあたりは部分的に第三章 (2.2) の繰りかえし。

(3) τὰ γὰρ ἀληθῆ οἴομαι οὐκ ἂν ἐθέλοιεν λέγειν, ὅτι κατάδηλοι γίγνονται προσποιούμενοι μὲν εἰδέναι, εἰδότες δὲ οὐδέν.

(直訳) 思うに彼らは真実を言うことを欲しようもないのだ。というのは、彼らは知ったふりをしているがなにも知っていない、ということが明らかになってしまうからである。

τὰ … ἀληθῆ: 中複対 < ἀληθής。
οἴομαι: 現中直 1 単。(1.2) と同じく挿入的なので、次の ἐθέλοιεν は主文における希求法。
οὐκ ἂν ἐθέλοιεν: 現能希 3 複 < ἐθέλω「欲する」。可能性の希求法。
λέγειν: 現能不。
κατάδηλοι: 男複主 < κατάδηλος「明々白々な」。この κατα- はただ単純語を強めるだけの意味:δῆλος「明らかな、目に見える」。γίγνονται の述語。
γίγνονται: 現中直 3 複 < γίγνομαι。
προσποιούμενοι: 現中分・男複主 < προσ-ποιέομαι「〜のふりをする」。
εἰδέναι: 完能不 < οἶδα。
εἰδότες: 完能分・男複主 < οἶδα。
οὐδέν: 中単対。

(4) ἅτε οὖν οἶμαι φιλότιμοι ὄντες καὶ σφοδροὶ καὶ πολλοί, καὶ συντεταμένως καὶ πιθανῶς λέγοντες περὶ ἐμοῦ, ἐμπεπλήκασιν ὑμῶν τὰ ὦτα καὶ πάλαι καὶ σφοδρῶς διαβάλλοντες.

(直訳) そこで思うに彼らは名誉欲が強く熱烈で多勢なるがゆえに、はりきって説得力をももって私について語りつづけ、昔からかつ熱烈に中傷を続けて諸君らの耳を満たしている。

ἅτε: 接「〜なるがゆえに」。分詞を伴う。この接続詞は話者すなわちソクラテスがその理由を正しいと考えていることを含意し、その点で ὡς とは異なるので置きかえることはできない (cf. チエシュコ 8§31.1.b)。
οἶμαι: 現中直 1 単。
φιλότιμοι: 男複主 < φιλότιμος「名誉欲の強い」。
ὄντες: 現能分・男複主 < εἰμί。
σφοδροὶ: 男複主 < σφοδρός「衝動的な、熱烈な」。
πολλοί: 男複主 < πολύς。
συντεταμένως: 副「熱心に、精力的に」。συν-τείνω「張りつめる、限度まで伸ばす」の完了中・受動分詞から作られた副詞形。ただし田中訳「組織的」や納富訳「隊列を組んで」という訳も見受けられるのは、συντεταγμένως < συν-τάττω「まとめて並べる、配置につかせる」と読んでいるわけである。完了中・受動形では γ が 1 字あるかないかだけの違いであって、プラトンではよく交代するらしい。田中註解の言うことには、後者 (田中の読み) は写本証拠によるかぎり相当有力であるがほかに用例がないという難点があるに対して、前者 (バーネットの読み) は類例が複数ありもっともらしくはあるがこの文脈では類義語が重なっており必要性に欠ける、という一長一短がそれぞれにある。私がバーネットに従い前者をとったのは、たしかに σφοδροί, σφοδρῶς と類義語が並んではいるものの、ここで συντείνω という原義に近づけて「はりきって」と訳したように語感や字面はだいぶ異なると思われるから、田中の挙げた否定材料はあまり有効でないと考えたためである。
πιθανῶς: 副「説得的に、もっともらしく」。
λέγοντες: 現能分・男複主 < λέγω。
περὶ ἐμοῦ: 1 単属。
ἐμπεπλήκασιν: 完能直 3 複 < ἐμ-πίπλημι「中を満たす」。
ὑμῶν: 2 複属。
τὰ ὦτα: 中複対 < οὖς「耳」。
πάλαι: 副「昔」。
σφοδρῶς: 副「熱烈に、猛烈に」。
διαβάλλοντες: 現能分・男複主 < διαβάλλω「中傷する」。

(5.1) ἐκ τούτων καὶ Μέλητός μοι ἐπέθετο καὶ Ἄνυτος καὶ Λύκων, Μέλητος μὲν ὑπὲρ τῶν ποιητῶν ἀχθόμενος, Ἄνυτος δὲ ὑπὲρ τῶν δημιουργῶν καὶ τῶν πολιτικῶν, Λύκων δὲ ὑπὲρ τῶν ῥητόρων·

(直訳) そのことからメレトスも私を攻撃したのだ、それにアニュトスもリュコンも。メレトスは詩人たちを代表して (私に) 憤慨しており、またアニュトスは職人たちと政治家たちを代表して、またリュコンは弁論家たちを代表して。

ἐκ τούτων: 中複属。前段の内容を指す。
καὶ Μέλητός … καὶ Ἄνυτος καὶ Λύκων: 男単主。
μοι: 1 単与。ἐπέθετο の与格目的語。
ἐπέθετο: アオ中直 3 単 < ἐπι-τίθημι「上に置く;(中動態で) 与格の人を攻撃する」。まずは Μέλητος だけを主語として言ったので 3 人称単数で、それから残りの 2 人を言い足している形。
Μέλητος: 男単主。
ὑπὲρ τῶν ποιητῶν: 男複属 < ποιητής「作者、詩人」。
ἀχθόμενος: 現中分・男単主 < ἄχθομαι「悩まされる;腹を立てる」。その感情の原因は与格に置かれる。
Ἄνυτος: 男単主。
ὑπὲρ τῶν δημιουργῶν καὶ τῶν πολιτικῶν: 男複属 < δημιουργός「職人」、πολιτικός「市民」。
Λύκων: 男単主。
ὑπὲρ τῶν ῥητόρων: 男複属 < ῥήτωρ「弁論家」。

(5.2) ὥστε, ὅπερ ἀρχόμενος ἐγὼ ἔλεγον, θαυμάζοιμ᾽ ἂν εἰ οἷός τ᾽ εἴην ἐγὼ ὑμῶν ταύτην τὴν διαβολὴν ἐξελέσθαι ἐν οὕτως ὀλίγῳ χρόνῳ οὕτω πολλὴν γεγονυῖαν.

(直訳) その結果、まさしく最初に私が言っていたことだが、もし私が諸君から、かくも大きくなっているこの中傷を、かくも短い時間のうちに取り除くことができたとしたら驚くであろう。

ὅπερ: 中単対。先行詞なしというか、強いて言うならこの文の残りの部分全体がそれである。「これほどの中傷をこれほど短い時間に取り除く……」というこの話は第二章 (8) で言っていた内容であり、「最初に言っていた」と称するのもそれゆえである。
ἀρχόμενος: 現中分・男単主 < ἄρχω「治める、支配する;始める」。主語に対する述語的同格で、「私が始めるさいに、始めるにあたって」ということで結局副詞のように「はじめに、最初に」と訳せる。
ἐγὼ: 1 単主。
ἔλεγον: 未完能直 1 単 < λέγω。
θαυμάζοιμ᾽ ἂν: 現能希 1 単 < θαυμάζω「驚く、驚嘆する」。実現の可能性の小さい未来の仮定の後文。
οἷός τ᾽ εἴην: 男単主+現能希 3 単 < εἰμί。実現の可能性の小さい未来の仮定の前文。οἷός τ᾽ εἰμί「できる」の希求法版で、不定法 ἐξελέσθαι を従えている。
ἐγὼ: 1 単主。
ὑμῶν: 2 複属。分離の属格。
ταύτην τὴν διαβολὴν: 女単対。
ἐξελέσθαι: アオ中不 < ἐξ-αιρέω「取り出す、つまみ出す」。
ἐν … ὀλίγῳ χρόνῳ: 男単与。
πολλὴν: 女単対。γεγονυῖαν の述語で、主語は διαβολήν なのでそれに一致した性数格。
γεγονυῖαν: 完能分・女単対 < γίγνομαι。διαβολήν に一致している。

(6) ταῦτ᾽ ἔστιν ὑμῖν, ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι, τἀληθῆ, καὶ ὑμᾶς οὔτε μέγα οὔτε μικρὸν ἀποκρυψάμενος ἐγὼ λέγω οὐδ᾽ ὑποστειλάμενος.

(直訳) このとおり諸君のもとにはあるのだ、アテナイの人々よ、その真実が。そして私は (それを) 諸君に対して大にも小にも隠さずに、そしてためらいもせず語っている。

ταῦτ᾽, … τἀληθῆ: 中複主。次項に述べるとおり、指示形容詞として修飾していると見るべき。ただし同格の代名詞としてまず ταῦτα と言いおいたあと τἀληθῆ と説明を追加したとも考えうる。いずれにせよ、be 動詞で結ばれた主語と述語の関係ではありえない。
ἔστιν: 現能直 3 単。省音を受けた ταῦτ᾽ の直後の ἐστί はふつうなら ταῦτ᾽ ἐστί というアクセントになるはずだから (水谷 §52.3; 高津 §11.5.c.ε; Smyth §187.d)、この語頭アクセントを認めるかぎりは存在の意味と解すほかない (cf. 水谷 §52.4; Smyth §187.b)。そこで ταῦτ᾽ は単独で主語となる指示代名詞ではなくて、離れているが ταῦτ᾽ … τἀληθῆ とかかる形容詞と見ることになる。にもかかわらず、手もとの邦訳が 7 種とも「以上のことが……真実である」といったように主語・述語のごとく訳しているのは解せない。dS&S の ‘here you have the truth’ のようなのがもっとも構文上正確であろう。
ὑμῖν: 2 複与。所有の与格、あるいは感情の与格。
ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι: 男複呼。
ὑμᾶς: 2 複対。
οὔτε μέγα οὔτε μικρὸν: 中単対=副。
ἀποκρυψάμενος: アオ中分・男単主 < ἀπο-κρύπτω「隠す」。隠す対象の物と隠す相手との二重対格をとるが、ここでは相手 ὑμᾶς だけが言われており、隠す物は καί の前の τἀληθῆ なので繰りかえしは省かれている。あるいは複数の τἀληθῆ をひとつひとつに分解して言い立てるならば、μέγα と μικρόν を中性単数対格の目的語名詞ともとる余地があるか。「自分の利益のために隠す」という中動態。
ἐγὼ: 1 単主。
λέγω: 現能直 1 単。
ὑποστειλάμενος: アオ中分・男単主 < ὑπο-στέλλω「引っ込める、控える」。中動態では「自分を引っ込める=後込みする」または「隠す、しらを切る」。

(7) καίτοι οἶδα σχεδὸν ὅτι αὐτοῖς τούτοις ἀπεχθάνομαι, ὃ καὶ τεκμήριον ὅτι ἀληθῆ λέγω καὶ ὅτι αὕτη ἐστὶν ἡ διαβολὴ ἡ ἐμὴ καὶ τὰ αἴτια ταῦτά ἐστιν.

(直訳) それでも私はよく承知している、当のそれらのことによって自分が憎まれるのだということを。そしてこのこと (=憎まれること) が証拠でもあるのだ、前述のものが私への中傷であり、かつ原因もそういうものであるということを、私が真正に言っているということの。

οἶδα: 完能直 1 単。
σχεδὸν: 副「ほとんど;非常に」。
αὐτοῖς τούτοις: 中複与。指示対象は明瞭でないが、1 つの可能性としてはここまでに話した内容で、原因の与格:「それらのことによって」。あるいは男複与として「それらの人々によって」という感情の主体の与格とも解せる。
ἀπεχθάνομαι: 現中直 1 単「嫌われる、憎まれる」。
: 中単主。先行詞は前の ὅτι 節全体。省略されている動詞 ἐστίν の主語。
τεκμήριον: 中単主「表徴、証拠」。省略されている ἐστίν の述語。なんの証拠かということは続く ὅτι 以下。
ἀληθῆ: 中複対。続く ὅτι 節の 2 つの内容に対する同格で、それらのことを「真実のこととして」言っている。
λέγω: 現能直 1 単。
αὕτη: 女単主。中称の指示詞 οὗτος は、それ以前に言ってある内容「前述のこと」を指示するのに対して、近称の指示詞 ὅδε はこれから言う「以下のこと」を指す用法がある。近称は「1 人称の」指示詞であるから「私の」頭のなかにのみある「まだ話していない」内容を指し、他方中称は「2 人称の」指示詞ということから「すでに話してあり」「あなた」の手もとにもある事柄を言うのだ、と考えれば腑に落ちやすい。この ἅυτη と次の ταῦτα はこれで、「これまで語ってきてあなたがたも知っているような」という感じだから、そのとおり訳してもよい:田中訳を引けば「わたしに対する中傷が、いまお話ししたようなものであり、その原因も以上のごときものだということ」。
ἐστὶν: 現能直 3 単。
ἡ διαβολὴ ἡ ἐμὴ: 女単主。田中註解の言うとおり、αὕτη とこの ἡ διαβολὴ ἡ ἐμή はどちらが主語でどちらが述語ともとれる (冠詞がついているのは特定物のためで、述語たることを妨げない)。
τὰ αἴτια: 中複主 < αἴτιον「原因」。上と同じく、この τὰ αἴτια と ταῦτα は主述どちらにも読める。
ταῦτά: 中複主。
ἐστιν: 現能直 3 単。

(8) καὶ ἐάντε νῦν ἐάντε αὖθις ζητήσητε ταῦτα, οὕτως εὑρήσετε.

(直訳) いまであろうと後であろうと諸君がそれを調べれば、このとおり (=私がいま言ったとおり) に見いだすであろう。

ἐάντε … ἐάντε: οὔτε Α οὔτε Β と同様で、τε をつけて並列しただけ。
αὖθις: 副「ふたたび、もう一度;またあとで」。
ζητήσητε: アオ能接 2 複 < ζητέω「探す」。実現可能な未来の仮定の前文。
ταῦτα: 中複対。
εὑρήσετε: 未能直 2 複 < εὑρίσκω「見つける」。実現可能な未来の仮定の後文。


〔以上で第一〇章は終わりです。〕

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