出逢いは珈琲色
珈琲色の本の街 神保町。
なんて、感動的に、擽ったい見出しだろう。
アールグレイ・ショコラを飲み、喫茶店に置かれたその本を手に取る。
宇宙一居心地のいい高円寺の読書館にいながら、僕は、彼女と出逢ったあの日を思い出す。
今日神保町行ってき、「て」と彼女が言い終わらないうちに、カレー好きな僕は、ああ神保町ってカレーが美味しいよね、なんてトンチンカンな言葉を返した。
彼女は0.5秒くらい戸惑ったに違いなかったけれど、軌道修正し、本を買った、と続けながら古い哲学書を五冊ほど机に置いて見せた。オシャレさを追求した無駄に最新式の華奢な講義机は、重さに慄いてドンっと大きな声を上げた。ベルクソンだとかデュルケームだとか、僕の聞いたことない哲学者の名前が見えた。
それが初対面、というより正確には二回目の出逢いだった。
一回目はサークルの後期新歓での帰り道、僅か五分ほど言葉を交わした、ちょうど一年前のことだった。晩秋なのに、歌舞伎町の熱っぽさが纏わり付いていた。
僕は後期新歓を経てそのサークルに入会したけれど、彼女はその日を最後にサークルを辞めたらしかった。だから入れ違いになり、広いキャンパス内ですれ違うことは思い出せる限り一度もなかった。
たった五分の会話で、別れて電車に乗った後も、なぜだか居心地の良さが残っていた。素敵な残り香みたいに。
そのとき交換したLINEで、帰宅後に在り来たりな自己紹介をし合った。僕は古いやり取りは消していくのが常なのに、彼女とのそんな些細な会話は消さないでいた。一年もの間、その履歴はLINEの下の方で眠っていた。
真夏に地面に落としたカキ氷が真冬には完全に記憶に残らないのと同じように僕が彼女のことなど忘れていた頃、哲学科でちょっとした騒ぎが起きた。
ある教授が同性愛と性同一性障害の区別がつかず、セクシュアリティに関してとても侮辱的な発言をしたのだ。普段大人しい哲学科の学生もこのときばかりは我慢ならなかった。僕は最初に挙手して問いただした。
あの人、というのは一年前新歓で知り合った彼女の名字だった。(本当はジェンダーの話に突っ込んでいったのは僕だったけれど。)
僕は友人のTweetするその名字と、一年前に新歓で出逢ったあの人のあだ名がすぐに結びつかなった。けれど、あの人綺麗な顔してるよなあ、という友人の次なるTweetを見て、記憶が蘇った。
そうだ、この名字。そして確かに、整った顔をしていたはずだ。
なぜ学部の違う彼女が哲学科のお世辞にも面白いとは言えない授業に潜り込んでいるのか謎だったけれど、きっとあの人に違いない、と僕の心がアクロバットした。
じゃあ次回講義で見かけたら話しかけたいなあと僕が友人に言い、それでその話は終わりになった。翌週は学祭の準備で講義が潰れるので、彼女に会えるとしても二週も待たなくてはならないはずだった。
ところが、僕が運命論者になったところで何も不思議ではない巡り合わせが起きた。友人と会話した翌日、金曜5限。疲れ切った学生がバラバラと席に散らばって、ヒトラー並みに熱狂した演説を繰り広げる教授の言葉を聞いていた。
僕は教壇のある斜め前から目を逸らし、腑抜けた様で、前の前に座る人を見た。首の後ろでリボンが結ばれている、柔らかなセーターを着た女子学生の姿が視界にある。
そのとき雷が突如落ちたように、僕の神経がフル回転した。この佇まい、偶に教壇へ向かう横顔の美しさ。
あの人だ。間違いない、髪の色が変わっていたけれど、一年前に新歓で五分会話し、ずっとLINEの履歴を消せずにいた、昨日友人との会話で名前が挙がった、まさにあの人だ。
熱狂した教授の話が時間によって断たれるのを粘り強く待ち、終わりの合図がかかると、息を整えて彼女に話しかけた。僕の中から躊躇いが消えた。
もちろん新歓で出逢っただけの僕を彼女が覚えているはずはないだろうから、最初は学部を尋ねるくらいで、哲学科の授業に潜っていますよね、とか初対面の人間がするには怪し過ぎる質問を、努めて自然にした。
そして彼女は、昼間に神保町で買ったという分厚い哲学書を見せてくれた。僕には彼女がとにかく頭がいいのだということ以外何も分からなかったけれど、間違いなくあの人なのだ、一年間心の奥で探していた人とようやく会えた、という浮かれた喜びを味わった。
次の時間もゼミがあるという彼女と、道が分かれるまで言葉を交わした。二回目ではあるけれどほとんど初対面でしかない者同士なのだから当然緊張したけれど、やっぱり今度の五分の会話も、なぜだか別れた後心地良さが残った。
その晩LINEして、先ほどは突然すみません、と自己紹介し直した。最終履歴は一年と少し前だった。
すると彼女から、思い出した、とサークルの新歓での話で返ってきた。奇妙な再会に、僕は体温が上がった気がする。
それから飲みに行く約束をした。一年越しの、早過ぎる接近だった。
彼女が愛読書とする神保町の古本屋に眠っているような哲学書は、確かにこのような色と心地良い香りなのだろう、と喫茶店にて思う。
ここは高円寺の読書館。哲学書というよりは絵本や詩集をゆっくり捲りたい気分になる場所だが、コーヒーを飲んで彼女を思い出すには充分過ぎる天国だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?