『友達の詩』
中山中さんの『友達の詩』を聴いて。
尊敬するしかない。涙を見せずに歌い切るだけでも、それまで幾度の涙をのんだか、私は何度聴いても今でも、初めて耳にした二年前からずっと、自分の中の糸が切れたように枕を濡らすはめになるから。理性も勉学も生活も知らない。好きな人には届かない。もどかしい心と体。性同一性障害だとカミングアウトすることで、この恋愛の歌詞が押し殺した生命の叫びに思える。
性同一性障害といわずトランスジェンダーというのが表向き正しい言い方かもしれないが、私にとってはそれは大きな「障害」に思える。障害という他ない。阻む壁は人の心を持たず平気で苦しめてくるのだ。
あれは同性愛だったか、性同一性障害の苦しみだったか、いやその両方を兼ねた。もはやどうでもいい、世間はどうであれ今は自分の中で折り合いをつけ、幸福を掴んだ。そうだ、そうなのに。
過去が生々しくフラッシュバックする。もがれる。
「手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい」
それすら望むことの叶わなかったあの頃
「それすら危ういから 大切な人が見えていれば上出来」
一度はそうだった。私は去った。耐え切れず一言だけ残してしまったけれど。もう関わらない覚悟で最後に。
「大切な人は友達くらいでいい」
また別の人へ心身を焦がしたときは。友達くらいでいい、何度も、言い聞かせたのに。結局自分は壊してしまった。「今更、無理だときづく」
二度と戻らない。かつての友達。いいえ。好きでどうしようもなかった人。
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