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カミングアウトしなければ語れない凡庸さ

時計の針が十二時を回りトイレチェックを済ませると、私の立場はバーテンダーからお客に変わる。終電までの二十分かそこら、先程まで注文を受けていた当のカウンター席に座り、その日客から注文されたカクテルの中で気になったものを自分で頼む。呪文並みに脈絡がなく種類が豊富なカクテルは、実際に飲んで覚えるのが一番手っ取り早いのだ。それに私は、日本の繊細さが遺憾なく発揮された藝術的なカクテルの色が好きだ。五、六時間立ちっぱなしで髪の毛を弄ることも許されない気取ったバーテンダー役を演じるのはやはり私にはまだ早く、疲れる。だからバイト後は、普段単純に客としてバーを訪れて飲むときより、やや強めのカクテルを欲する。

その日はB52を頼んだ。その名は爆撃機に由来する。カルーア、ベイリーズ、グランマルニエの三種類を一層ずつ重ねた色鮮やかなシューターカクテルだ。
綺麗な三色に別れているが、ちゃんと混ぜて飲むんだよと一回り上のバーテンダーから優しい注意を受けた通り、残念に思いつつも三層のリキュールを混ぜて単色にした。

隣の席、最もバーテンダーに近く会話も会計もしやすい特等席だが、そこにはいつもと変わらず常連のYさんが座っている。彼は常連さん随一の常連で、先月は〝欠勤〟が四日しかない。今月はもう月の半ばになるが、驚くべきことにこのバーにフル出勤している。毎日午後六時頃来店し、私が帰るのと同じ頃までずっと居る。つまり毎日六時間程度居るし、ドリンクもフードもそれ相当に頼むので毎日数千円この店に支払い続けているのだ。キューバリブレのグランデサイズが彼のお気に入りであることは、バイトを始めてまだ五日も勤務していない私ですら知っている。

この時点で敏感な人間であれば何か察するのだろう。仕事はどうしているのか、金はどこからどれだけ稼いでいるのかと。
私は別段気にしていなかった。何か事情があるようだが、Yさんが店にとって有難い客であることには変わりないし、彼自身に興味を抱いているわけでもなかったから。

一般客が全員帰り、伝票を貼るスペースに特別に名前が表示されているほどの常連客しかいなくなったそのとき、Yさんを揶揄うノリで他の常連客が話を振ってきた。

「Yさん、もう一杯いっちゃいなよ。俺らの税金持ってんだからぁ」

「それは人聞き悪いな。俺だって三十まではちゃんと仕事してたんだぞ」

生真面目なYさんは普段の態度のままそう切り返した。彼は普段の口調が不機嫌そうだが、実際に怒ることはない穏便な人だ。
YさんはB52を半分飲み干した私に向かって、説明を始めた。不思議に思っただろう、つまりこういうことだ、と解説しなければ、常連客も店員も知っていながら、一方で何も知らない新人の私の居場所が確保されないと、気を回したらしい。それに、事実そんな状況だったことは否めない。私が説明を求めていないにしても。

「俺、障害者手帳持ってるんよ」

年の割に髪の毛が薄めであることの他、いたって健康で何も特筆することがないように見えるYさんが、シャツを捲り、腕を差し出してきた。
「ほらここ、触ってみ。振動してるでしょ、ずっと」
差し出された左腕は、止まることなく振動していた。長距離走を短距離走のペースで無茶苦茶に走りまくった後の、異常な心臓の鼓動に似ている。生きるために、こうでもしなければ呼吸ができないと、体が掠れた声で叫んでいるみたいに。
本当だ、と私は呟いた。単純な驚きだったが、これでスッキリした。見た目では判らないが、この振動が常時あるのなら細かい作業は何一つ出来そうもない。ふっと、時限爆弾を思い出した。命尽きるまで時を刻み続ける装置。あるいは、爆撃機だろうか。

だから普段から仕事はしていないし、税金で生活しているそうだ。旅好きな私のようにあちこち夜行バスや飛行機に乗って遠出することも出来ないのだろう。そのため毎日、通い慣れたこのバーで、一人で目の前に並ぶ瓶やグラスあるいは宙を見つめるか、他の常連さんや手の空いたバーテンダーと談笑しているのだ。

B52を飲み終えた私は、終電に乗って帰ることにした。Yさんは電車に乗らずに帰れるほど家が近いので、まだ特等席に居座っている。

疲れ切った大人たちが脚を広げてだらしなくイスに座る終電の中で、私は考えていた。Yさんが障害者であるという事実は、私や他の人に告げられるべきだったのだろうか。
確かに、大の大人が毎日六時間もバーに居座るのは奇妙だ。仕事終わりの他の常連客だってさすがに毎日は来ない。来店するにしても九時や十時は過ぎてからだ。なるほど、彼の日常を語るには、障害者であるという事実を説明しなければ不思議がられるに違いない。


そして、私。
もはや切っては語れなくなったセクシュアリティーについて。私の話したり書いたりする内容は、異性愛前提社会では通用しない部分がある。
カミングアウトしなければ私の「普通」が語れない。

FtX、バイセクシャル(ポリセクシャル、パンセクシャルの可能性あり)、デミセクシャル、リスセクシャル、ポリアモリー…というかジェンダーフリューイド。
http://kotomonashi.isapon.net/?eid=899

……なんていう呪文を唱えなければ、そしてその状況を知っている相手でなければ、
普段興味を持っている話、好きな人、好きな芸能人、オススメしたい本や映画、通っている店、その他諸々が語れない。
自分の「普通」をごく自然に伝えるためには、大掛かりに思えてもカミングアウトが求められている。

『カミングアウト・レターズ』という本に、こんな言葉があった。

カミングアウトは、たんなる告白ではありません。された側とした側が、そこからさらに新しい関係を築くことが、最終的な目的だと思うのです。たがいの存在そのものが響きあうことなのです。


一方で、カミングアウトを積極的にしようという段階にないのも事実だ。目を背けてはならない。
私は、映画『MILK』にちっとも心が動かなかった。この映画は同性愛者であることを公表して公職に就いたアメリカ初の政治家ハーヴェイ・ミルクの伝記ドラマだ。
同性愛者たちが周囲にカミングアウトするべき!という運動が、日本の現状とはかけ離れ過ぎて単にお伽話に見えてしまったからだと思う。
信頼をつくるには、それができるような土俵が必要なのだ。ただ言って終わり、ではないのだから。

人間の関係性とは違い、電車は終着駅に着いた。
私はこれからも変わらずYさんと乾杯できることを、楽しみにしている。明日も明後日も。

#論文 #短編 #エッセイ #セクシュアリティー

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