『春の嵐』

自分がこの世界から去るときには、ヘッセの『春の嵐』を遺書として差し出したい、と友人に伝えた。もっと自分の言葉で語れたら、と思うことは重々あるけれど、そうするには人生は足りず、言葉はすり潰されてものにならない気がする。

以下、高橋健二訳。新潮社。




外的な運命は、避けがたく神意のままに、私の上をすべての人の上と同様に通り過ぎて行ったとしても、私の内的な運命は私自身の作ったものであり、その甘さにがさは私の分にふさわしいものであり、それに対しては私ひとりで責任を負おうと思うのである。

私は自分独自の世界と隠れ場と天国とを持った。これを私から奪ったり、縮めたりすることはなんびとにもできなかった。それをほかの人とわかつことも私は欲しなかった。

最初のうちは私は孤独を冷たい水薬のように味わった。だれひとり私を見送るものはなく、私に対し好奇心や同情を示すものもいなかった。私は高い所にいる鳥のように自由でひとりだった。

私はもはや快楽と憂苦とを区別しなかった。それはたがいにひとしく、どちらもが私に苦痛をあたえ、どちらもが甘美であった。

私は神に呼びかけ、なぜ神は私をこういうふうに造ったのか、なぜ神は私を不具にしたのか、どんなに貧しい人でも持っている幸福のかわりに、音をかきまわし、実体のない音の空想の中に、手に入れる望みのないものを繰り返し欲望の前に描き出すという残酷な慰めしか与えなかったのか、とたずねた。

人生は生きがたいものだということを、これまでもおりにふれてばくぜんと感じたことはあった。いま私は瞑想すべき新たな原因にぶつかった。あの認識の中に根ざしている矛盾の感情は、今日までけっして消えたことがなかった。なぜなら私の生活は、貧しくほねのおれるものではあったが、他の人々には、そしてときには私自身にも、豊かで輝かしく見えるのだから。私には人間の生活というものは深い悲しい夜のように思われる。それは、ときおりいなびかりでもきらめくのでなかったら、耐えられないものであろう。いなびかりの瞬間的な明るさは非常にすばらしく慰めを与えてくれるので、その幾秒かは幾年ものやみをぬぐい去り償うことができるのである。

運命は親切でなく、人生はむら気で、むごく、自然には親切も理性も存在しなかった。しかし、偶然にもてあそばれるわれわれ人間の中には、親切と理性が存在するのである。私たちは、たとえ短いあいだだけであるにせよ、自然や運命より強くありうるのだ。私たちは必要なときには、たがいに近より、たがいに理解する目を見あい、たがいに愛しあい、たがいに慰めあって生きることができるのである。


#エッセイ #小説 #読書 #遺書

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