『それから』

共感は簡単に起こり得るものではないと思っていた。

夏目漱石『それから』に、なんで今更、泣かされるのだろう。後半以降、他に無関心に見えた高等遊民の代助が、友人の妻への愛を明確に表してから、ページを捲る手が止まらない。共感が、止まらないのだ。

代助は、親の金で生活し、世間から見れば優雅な学問・芸術中心の精神生活を営んでいる。自分が乱されること、金に困ること、労働に苦しむことなど無いと思っている。

父は盛んに結婚を勧めてくる。妻などいらない、とのらりくらりと代助は交わしてきた。けれども、結婚できない理由があったのだ。友人の妻を、愛しているから。

それを自覚し、親、友人、社会と断絶し、敵対し、愛する人ただ一人を手にするために、代助は覚悟を決める。それは今まで自らが信仰していた価値観や思考そのものを、裏切ることでもあった。

けれども、それまでの自分、家族、友、関係するものすべてを断ち切り、親から頂いていた金も地位も捨て、新たに焔の中に飛び込んで、未だ適応したことのない社会や職に向き合うことにするのだ。自分と愛する人のために。

他者との決闘の覚悟もさることながら、最も強く残ったのは代助自身の葛藤だった。

学問や哲学や芸術は尊い。けれどもそれで食っていけるわけではない。半ば軽蔑していた生活に根付いた人間に、代助自身がならなければ、これから先、愛する人を守って生きていくことのできない現実が、目の前に迫っている。

友人の妻を奪うなんて、当時の風習を念頭に入れれば今よりもっと、許されないことだ。しかも、友人にその人を勧め、二人の結婚を斡旋したのは代助その人なのだ。

彼女を愛していたから。愛していたから、自分なんかよりも、もっと安定して生活の望みの持てそうな友人と結びつけたのだ。

馬鹿だった。当時はそうするしかなかった。後になって奪うなんて、最も悪いことだというのに。それでももう、燃え上がる想いは止められない。

代助は友人の妻、結婚してしまう以前から本当に愛していた人、に告げる。あまりに遅すぎたけれど。

「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ」

まるで自分のことのように読めてしまうのだから夏目先生は凄い。

代助は闘った。これからも、愛する人と生きるために闘うのだ。

自分は、どうなんだ。

文学、哲学、芸術、旅。間接的に精神を磨くものたち。私にあるのはなけなしのそればかり。そうするにも、親の金だ。自分で稼いだ金といっても、そうするためには親が支払っている家賃や学費や保険があってのことだ。それらを全部自分で工面しなければならない。それが生活することなのだ。

そう振り切るにも、愛する人の存在があるからだ。本当にそれだけで。そうでなければ、親の言う通りにほどよく従い、適当にはぐらかし、どうにかこうにか生存は可能だったはずだ。代助ならば、父と不仲になることもなく、素直に申し込まれた結婚を受けていれば円満だったのだ。

飼い殺せない熱情が、心の奥にある。ずっと以前から、それはあった。他に飛び火するか否か、そのタイミングがいつであるか、不定なのはそれだけだった。


一緒に住みたい人がいるんです

親にそれだけ伝えた。その相手の情報はひとつも伝えないまま。

これからどうなるだろう。
私はどうなってしまうだろう。
話は進むだろうか。
職は手に入るだろうか。
その人の恋人はどう思うか。掠奪ともいえる。両親はどう捉えるか。その方の考えを一掃しなければならない可能性もある。
社会体制、法律、大衆の視線に、殺されない覚悟を持ち続けられるか。
自分の性質から考えて、それなりに定住生活を送ることが果たして可能だろうか。

まず、この提案、すなわち私の覚悟を、好きな人に伝えたい。本当は一刻も早く告白したい。留学先へ遥々その人が来てくれたら、直接伝えたい。どうか、私にも春が来ますように。

きっと愛し合っている。その確信があってさえ、代助と妻の向かい合う場面は緊張した。本当に死ぬ気でついてきてくれるだろうか、この愛する人は。

体の問題もある。なぜだろう。お互い、好きでもない男とセックスするのに、本当に好きな人の前ではその神聖さに涙を流すばかりだ。これも互いに性欲や触れたい本能が抑えられない限り、放って置けない問題だ。好きな人が私以外の誰かの腕で眠るために出かける背中を、見守る寛容さはいつまでも持てない。触れたい、知りたい、滅茶苦茶にしたい。

それから、自分の親と相手の親を納得させなければならない。友だちとシェアハウス、と言ってしまえば聞こえは身軽である。けれども本質は違う。少なくとも私はそう思っている。もっと本気だ。

日本では同性婚はできない。二人の遺伝子で出産も叶わない。親が想定していたであろうルートに乗ることができない。それどころか激しい嫌悪を湧き起こすかもしれない。どんな危険があるかわからない。

世間の目。気にしていた時代を通り越して、今やどうでもいいものと思えていた。その濁流に、またもや否応無く呑まれるだろうか。そこでも好きな人に寄り添って守れるだろうか。そうできるだけのしたたかな自分でいなければ話にならない。

今は愛し合えているその人が、そうした空気に疲弊したらどうすればいいだろう。離れていってしまうはずは、ないと信じて、それでもいつも不安で。

怖い。周りに取り囲むもの、漂うもの。自分の中に渦巻く変化。どこまで突き進んでも怖い。
共感は簡単に起こり得るものではないと知っているから。

#エッセイ #読書 #性 #生

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