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自己価値 22
己の存在に自惚れていたことを知ってしまったことは、自己破壊の一つなのかもしれない。哀しいほどに、私は、私であるという事実以上の価値を持ち得ていない。
新型のウイルスが流行る。時は待たないから、就職活動の歳になる。一番、仲の良い友人は最終面接に落ちたと泣いて、一番、負けず嫌いで努力家だった10年来の友人があっさりと学生結婚をする。けれど私は、きっとどうだったって「そう」だった。
どのような偶然か、一般職につく大人が周囲にいない子ども時代も影響をあたえているのかもしれない。同級の友人たちの孕む空気の熱が、自然と緩やかになったとき、私には何もなかった。
ただ、少しのアルバイトと、好きな学業をしていただけの自身に、どうして漠然と、確固たる価値を見いだしていたのか。
ちょうせんをさけていたからだよ、と動悸が隙間なく伝えてくる。
価値を見いだしていた。私という存在が、私であるということに。気がつきもしなかった。私は、私の含む様々な要素に、愛しさと同じくらいの嫌悪を抱いていたから。
アルバイトのサイトに自身の客観的事実を履歴として載せたとき、愕然とした。はじめて、大人という客観に主観がピントを合わせた。
私には、なにも、ない。資格どころか、違和を感じずに伝えられる興味関心すら、なにも。
プライドばかり守ろうとする人が嫌いだ。それは自分がそうだからだと、言葉にすることで、免罪符を与えていた。そんな見えない紙切れで、己を安心させているという事実に、真に気がつかないよう瞳を潤ませ、マスカラを塗り重ねていた日々だったのだ。心臓の枠が急激に測量され始める。
物欲がないだなんて、事実を内包した言い訳に身を委ねていた。そうすれば、羊水の中で眠り続けられると思っていたんだ。赤子が清潔な布以上の装飾を必要としないように。
生きることは常に明瞭で、そして私は生まれることを拒否していたのだった。魂はビー玉のように傷つくことを恐れていると、あまりにも大切に守りすぎていた。
胎内に、空洞だけを残したまま、木霊するふるえは、私を無形のままに砕いてゆく。
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