傷付きやすさは繊細さ、か





ある知り合いについて。彼女は母の友人の娘だった。私より一つ年下の女の子。
大学進学で、私の地元に越してくるといった。
初対面の彼女は、私が話しかけても、すべて母親の方を向きながら答えた。母親がその答えを整えるように、私を見て返事をし、時には娘の答える前に返答をした。
彼女の家は複雑で、割愛して結論を出すと、その子と母親の共依存が凄かった。私はそんな二人を見ながら、あぁ、と思った。日本人は他国に行くほどに自国を愛す、という直近に目にした思想の如く、彼女たちは離れれば離れるほどお互いの心への共依存を増していくようだった。


彼女はいつも必要以上に遠慮する姿をとっていた。加えて、自身から他人へ距離を縮めようとしなかった。それが相手のためではなく彼女のプライドを傷付けないためであることに、私はわたしを通して気がついたようで、そっと目を伏せて素知らぬふりをした。



「出掛けませんか」と某日連絡をもらった。そんなことは普段、母の知り合いの娘、という事実以上に踏み込めない彼女には、大冒険なのだろうと感じた。彼女の母には、会うたびに「娘をよろしくね」と伝えられていた。娘が心配なのはよくわかっていた。彼女たちの依存を助長させる家庭環境の大枠にも。

「もちろん、」誘ってくれて嬉しい、と私はひとつの陰りの隙もないように、返答をした。「じゃあ、三月一日、美術館前で」


彼女がこれから一人暮らしで、加えてあまり裕福でないことは母から聞かされていた。何かしら、お昼ご飯でもご馳走できたらな、と考えていた。ご馳走、というには、おこがましいものだけれど。私なりに、彼女に入学祝のような気持ちを伝えたかった。どうしたら、ナチュラルに、気負いせずに、それをあなたに渡せるだろう、と。


予定当日。私は遅刻した。目的地を見間違えていた。なんだか嫌な予感がして、道中に確認をしなおしたところ、反対方向の美術館に向かっていた。蒼白になり、激しめのターン、必死に自転車を飛ばし、10分遅れ。息を切らしながら謝ったわたしに、いいよ、と彼女は気にせず一言。
私は汗を滴ながら、しかしすこし喜んでいた。自然と奢る口実ができた。


日差しが強く、肌が焼けそうだった。そうか、あれは夏だったのだ。
汗をぬぐいながら、入場の列に並ぶ。彼女に訪ねる。「お昼ご飯、どーしよっか」彼女の眉は少し潜まる。

「うーん、お昼は……やめとこっかな」
「朝ごはん何食べたの」
「えぇと、なにも食べてない」
「じゃあお腹すいたでしょ」
「でもなぁ、食べに行くのは、お金がなぁ」

あ、いいよ、私奢るよ、遅刻したお詫びに



これ以上ないタイミングだった。遠慮がちな彼女のことだから一度、断るかと思った。しかし答えに、詰まりはなかった。「え、そう?うーん、じゃあなに食べよっかな」

なんだ、一言も断らないの。それ以上に、乗り気なの。トーンのあがった声音の予想外の返答に、自身が遅刻したことを棚上げして、私の心は薄く翳った。与える側の傲慢な期待。エゴイスティックな、謙虚さへの盲信的美意識の例。



連れだった店で、彼女は一番高いプレートを注文した。デザートでも食べる?と私は聞いた。かけるような行為だった。そうなんだよね、何にしよっかな~と彼女は嬉々と注文を追加した。

私は、試すような自分の心に辟易しながら、クリームと共に不満を飲み込んだ。人のお金とわかった途端に平気で注文をする彼女にも。与えることのエゴを割りきれていない自分にも。




私、今貯金一万円しかないもん。

数ヵ月後、彼女の母親が此方に来ると連絡があり、私たち母娘と彼女たち、四人で晩御飯に行った。話の流れ、私が自身の貯金額にケラケラ笑うと、一瞬、空気の色が変わった。彼女の母親が娘を小突きながら言った。
「ほらぁ、良ちゃんだってそんくらいしかお金持ってないって」


私はその響きが嫌だった。まるで、彼女たちが、私が親から湯水のようにお金をもらっていると思っていたかのような、口振りだった。
私の家はたしかに人より少し裕福だ。彼女たちはそれを知っていた。しかし、私の家は厳格で、そんな余分な贅沢を少しだって子どもに与えなかった。

そんなこと、母の友人ならば。節約家で、ブランド志向の欠片もない、飾り気のない母を知っているあなたなら。そんなこと言わなくともわかると、考えもしないと思っていた。


数ヵ月前を思い出す。私が彼女にランチを奢ったこと。彼女が躊躇も遠慮もなく返答をし、好きなだけ食べたいものを注文したこと。それは私がなにも困らないほど小遣いを貰っていると思っていたからなのだろうか。
人にご飯を奢ることをなんの躊躇いもないほど、お金に甘やかされていると考えていたから、なんだろうか。


胡麻豆腐を口に運びながら、勝手に失望して、萎れていく己の心を感じていた。


例え、私がお金に甘やかされていたとして。たとえそうだとして、どうして平気で奢られるというんだろう。
連絡一つ寄越すのに、母親に何度もけしかけられなければ出来ない距離を保たせている相手に対して。


それは、気持ちを図る、ものさしになるの?


あなたは会話のうちに何度もいう。「でも、相手に嫌だと思われてるかもしれない」
何度も何度も口に出して怯えているのに、どうして自分から相手を喜ばせようとも、微笑みを向けようとも、会話に入ろうともせず、黙って携帯をいじりはじめるのだろう。
どうして、私の提案に、ひとかけでも。そうした配慮をしてくれなかったんだろう。私が貴方よりも裕福だろうから?溢れるほどにお金をもらっていると思ったから?

どうして。
それは問いかけでなくて、呟くたびに増す、確信。




でも、だからって、あなたみたいに無神経な人、私はきらい





彼女が新しい環境に馴染めず、振り込まれた生活費を使いきって突如実家に舞い戻り、布団から出なくなったという話を聞いた。


しらけた気持ちになった。そんな自分が一番嫌だった。








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