見出し画像

何を言っても無駄だと知った日、私はカメラを手に取った。


お久しぶりです、くぐみやです。

前回の投稿から約半年。
長かったような短かったような、
冬籠りと言えばその通りなのですが、
いえ、言葉通り、冬眠をしておりました。
それはもうぐっすりとです。

少々体調を崩しての冬眠でしたが、
気付けばもう桜も散り際だそうで、
なんとか巣穴からもぞもぞ出て来ました。
お腹が空いた熊さんのよう。

しかし今空腹を感じているのは心の方で。
今日は少し短めですが、そんなお話と、
これからのお話。



おぼろげな世界で 泡沫のように 消えるとき【Schole Records】


冬の間、よくこの曲を聞いておりました。

冬の巣籠もり期間は心の静養を主として
生活習慣や食生活全般を見直す時間に
しておりましたが、心の習慣だけは
イマイチ改善された手応えがありません。

本を読んでも、映画を見ても、
どうにも伽藍とした空虚な心。
何か足りないような、栄養が足りていないような
なにを摂取すれば満たされるのかも分からない
ぼんやりとした雲り空が続いておりました。

けれど、
そんな中でも一時のぬくもりを下さったのが
音楽、楽曲、特にご紹介するこの曲でした。
映像も素敵で、こんな風に心を写した写真を
自分にも表現できたら、と思うきっかけと
なりました。

その気持ちに至る経緯は次のお話で。



何を言っても無駄だと知った日、私はカメラを手に取った。

直前の投稿から半年。
あれからも私は「誰かに対して何かを伝える」
ということに必死になっていました。
あれこれ手を変え品を変え、なんとか
少しでも、この空気を変えられないかと足掻く
日々を過ごすうち、結局は少し疲れてしまって。

人のことは変えられない。
変えられるのは自分の心だけ。

よく聞いた言葉です。
本当に仰る通りです。
そもそも相手に聞くつもりがないものは、
こちらがいくら必死になっても届かない事など
分かりきった事実なのです。

でも。
それでも。
やりたくなかったんです。
誰かに対して「諦める」という感情を持つ事を。

もうこの人には何を言っても無駄だ、と
そんな心持ちになってしまう、そんな
自分自身もたまらなく恥ずかしくて。
何様だ、と思ってしまうのです。

何様だ、お前は。
人様をあれこれ言える立場か。
結局は自分の思い通りにならずに
泣くだけの子どもじゃないか。
ヘソ曲げたって現実は何も変わらない。
お前の表現が悪いから。
お前の態度がおかしいから。
お前が、お前が、

そう、心から聞こえて来ました。
これが心の声であるなら、
流れる涙は誰のものなのでしょう。
これが心の声であるなら、
息苦しさはどこから来たものなのでしょう。

ふといつもの帰り道。
海辺に立って、無感情に潮風に吹かれ、
生きたくもなければ、死にたくもない、
ただただ空虚な時間が流れる中で、
ふと思ったのは、
「音楽をやりたい」という事でした。

ピアノは弾けないけれど、今から習っても
いいものかしら。先生にご迷惑でなければ、
いや今はYouTubeなどでも初心者の練習動画
とか、あったような。なかったような。
電子ピアノ、今から買ってしまおうかしら。
言葉に出来ない感情を表現できたら、
掻き鳴らせたら、静かな旋律にできたら、
それはそれは素晴らしい事でしょう。

そして次は「絵を書きたい」とも思いました。
絵心もまったく皆無の私ですが、好きなように
絵筆を走らせ、塗料を混ぜて、ぐちゃぐちゃに
画用紙を塗りたくってみれば、それはそれで
きっと楽しい趣味になるのでしょう。

そうした思考の先に、
辿り着いたのは「写真」でした。

普段から散歩も好きな私です。
今の心模様を映し出した、抉り出したような
1枚を、撮ることができたら、少しは心も
落ち着くことができるかしら。
今の心を映し出すような景色を延々探し歩いて、
まだ見知らぬ土地に心の風景を探して、
知らない駅で降りてみたり、
知らない山に登ってみたり、
そんな旅も、今の私には悪くないかもしれない。
そう思いました。

ただ。
個人的に、少し思うところもあり、
それは【写真は時に暴力的である】と
そう感じる瞬間があった為です。
暴力的にもできる、と言うべきでしょうか。
過去、撮ることも撮られることも苦手であった
時期が私にはありました。
記録として、その一瞬を切り取る事に
多少なり後ろめたさや罪悪感を持っていたのです。
持っていた、と言うか、持ってほしいと思った
相手がいた、と言うべきか。

写真とは、その何気ない一瞬を切り取り、
誰のものでもない空気を、言わば勝手に、
その人だけの「所有物」にしてしまう。
誰のものでもあって欲しくなかった一瞬も、
本当は誰かのものであったその笑顔も、
根こそぎ「その人」の持ち物になってしまう。
あの人にだけは渡したくなかった思い出も、
私だけに向けてくれた特別な眼差しも、
かの人は、見せびらかすように「良い絵が撮れた」
などと言って、自慢気にひけらかして。
その一瞬の行為、1枚の重みが、
深く深く、人を傷付けることもある。


その経験は、私にとってトラウマのひとつでした。

そうして悩むこと、半年。
最初に触れた音楽と出会い、その映像に
触れることで「もういいか」と、少しだけ
自分を諦める瞬間が訪れました。
諦める、と言うか向き合い方を変えようと
思い始めるようになりました。

「何を言っても無駄」と言うのは、
職場やコミュニティの方々だけではなく、
それは自分自身の暗い部分に対しての言葉です。

私も、少し、私を諦めて、
好きに自分だけの景色を探しに行って、みたい。
自分が過去、傷付いたことのある写真だけれど、
SNSでふと見かけた画像に感動した事もある。
「写真を撮る」という行為、そのものが
すべて悪い訳で無いことは分かっています。

私も、トラウマと言いくるめて、
その全部に暗い影を感じる性格を改めて、
良い部分も、探して、みたい。

それが例え胸が締め付けられるような風景でも、
これが今の私の心だと言えるような1枚を、
私が私である一瞬を、生きてみたい。

線引きを心の内にしっかり持って、
誰かを傷付ける写真ではなく、
誰かの心を救うような写真を撮れる人になろう。
息を飲むような1枚を撮りたい。
もう上手く言葉には出来ないから。
言葉は心の中で大事にしたいと、今は思うから。

そんな風に、思いました。


少し暗い話が続きましたが、ここからは
多少前向きなお話を。

私が購入したカメラはOLYMPUSの
「PEN E-P7」というカメラです。

OLYMPUS PEN E-P7

かわいい。
電気屋さんにあれこれ伺って、色々なアレンジや
フィルターを使った1枚を撮れる器用な子で、
クラシカルな見た目にも惹かれました。

操作や専門用語などもこれから覚えていく
赤子も赤子の私ですが、せっかくの機会です、
色々勉強をしながら、たくさんの景色に
出会えたらと、少しワクワクしています。

今度は三日坊主にならないよう、
撮った写真を毎日1枚、投稿することを目標に
また思索の旅を続けてみようかと思います。

[ 幾何と円、いつか見た夢の途中 ]

(画像として別途投稿しますが、この1枚は最近一番のお気に入りの写真です。構図や色味も甚だ素人ですが、温かく見守って下さい。)



おしまいに

追記として、カメラを手にした今でも、
シャッターを押す瞬間は、まだ心が少し
ざわざわしますが、少しずつ、克服して
いけたらいいなと今は素直に思います。
しばらくは誰のものでもない風景の写真を
あちこち撮りに歩いてみようかな。

4月も中旬に入り、桜もすっかり葉桜の季節と
なりました。以前投稿した「映画を見る」という
決意もまた忘れておりません。まだ全然整備
できていないNOTEですが、これから写真や
映画、小説のマガジンなども始めていけたら、
いいなぁ…できるかな……ゆっくりやれたら
いいなぁ……などと思っております。

長々とお付き合い下さりありがとうございます。

こんな私ですが、たまに遊びに来ていただけたら
とても嬉しいです。
もし写真が趣味の方がいらっしゃいましたら、
ぜひ色々教えて下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?