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春春春春

 春が去り、春が巡ってくる。
 その街の季節は、文字通り春だけしかない。初春から始まってやがて晩春を過ぎると、再び初春が訪れるのだ。

 春の街が造られた理由は実に単純でくだらない。観光客誘致の為である。

 季節の安全な制御方法が確立されると、ほとんどの国が慎重を期す中、外貨に換えられる資源の乏しかったある国が真っ先に飛びついたのだった。
 どの季節を選ぶべきか国民投票までして、結局、花々が美しく、陽気の穏やかな春が選ばれたらしい。 

 そんな街に僕が足を踏み入れたのは、『春病』の原因を究明する為だった。
 目的の研究室がある大学病院まではシャトルバスだ。暇つぶしにタブレット端末で春病について検索を掛けてみた。

『春病』――原因不明の難病。何の前触れもなく意識障害を呈する。発症後は外部からの刺激に対し、反射を除いて自発的な行動を催さなくなる。回復例はないものの生命活動は維持され、発症時、また発症以降も呼吸困難や転倒、その他の急変を伴うことはない。
 既存の薬剤による症状改善例も皆無。
 報告例が春の街にのみ有意であるため、春病と呼ばれる。
 故に季節制御による弊害を疑う声も一部で上がっているが、発症頻度が百万人に一人程度(現在)であることから論拠に乏しいと目されている。
 その他、ウイルス説、化学物質説、遺伝症説、心因説、集団ヒステリー説などが挙げられているが、決定的な発症原因は未だ不明のままである。

 ネット検索で出てくる概要は大体どれも同じようなもので、目新しい記述は見当たらない。神経科学者である自分に言わせても、付け加えるべき点はほとんど無い。とにかく原因不明で治療法なし、春の街にだけみられる奇病だ。

 強いて付け加える情報を挙げるとすれば、最近になって報告例がわずかに増加傾向にある点だろうか。
 一部の神経科学者の間で問題視されはじめていたところに恩師から共同研究の誘いがあり、僕はすぐさま飛びついたのだった。

 正直を言えば、功を焦っている。
 臨床に進んだ同窓の何人かは開業へのステップを踏み出していたり、そうでなくても順当にキャリアを積んでいる。自分と同じく研究医となった者でも、やはり優秀だった者はボチボチと存在感を示し始めているのだ。


 案内された研究室の真ん中には春病患者と思われる男性が座っていた。
 ネット状の包帯みたいな脳波計を頭に被せられ、まるで時間が止まったみたいに宙空の一点を見つめたままじっとしている。
 時折するまばたきは、もちろん反射による生理反応だろう。

「生けるシカバネ」

 患者と向き合った僕の後ろで、女が嘲った気がした。
 それは三日前、自宅で症例の動画を見ていた僕に、後ろから掛けられた言葉だった。
 女、というより元カノと言ったほうが適当か。その日まではすっかり婚約者のつもりでいたのだが。

「どうぞ人類のために、シカバネ同士で仲良くやってください。私はごめんこうむりますんで」

 彼女はあっけらかんとプロポーズを断って、パンパンに私物の詰まった赤いキャリーバッグを上から何度も体重を掛けてなんとか閉じると、フローリングに傷跡を残しながら颯爽と玄関を出ていった。
「クヨクヨすんなよ」と風のような一言を残して。

 彼女からすれば、僕も屍に見えるのだろう。よく三年も一緒にいてくれたものだ。思えばずっと、僕が臨床に鞍替えするのを期待していたのかもしれない。
 お互い見切りをつける節目だった。春を控えた時期なんてそんなものだろう。そうして気持ちを切り替えてきたつもりだったが、そう簡単にはいかないようだ。

 それにしても、目の前の春病患者は不思議と屍のようには見えない。資料映像で見たよりもずっと目に活力を感じる。意識が無いのであれば、もっと虚ろな目をしていそうなものだが。

 どう思う? と後ろから教授が質問を投げかけた。僕は振り向いて首をすくめてみせる。

 ウイルスや遺伝性疾患など、考えられそうな器質的要因はとうに検証され尽くされている。となれば心因性の疾患という事になるのだが、どの患者の発症状況にも目立って共通するような要素は見受けられない。

 この街に住んでいるから。と言い切るのもまた難しい。
 一年を通じて過ごしやすい陽気が続くこの街は、観光客も含めて多くの人々で賑わっている。仮に春が続くことが要因なのだとすれば、大半の人々が発症しないことの説明がつかない。

 本人から発症に至った経緯を聞きたいところだが、なにせこの有様だ。

「この街に有意な症状ですし、街中に何かヒントはないんですかね?」
「あちこち回ってはみたんだけどね。異常な化学物質が見つかるわけでもなし、特殊な電磁波が検出されるわけでもなし。お手上げだよ」

 教授は白髪交じりの太い眉をハの字にしながら、おどけるように両手を小さく挙げた。

「とはいえ、僕はここに住んで永いから。見落としてしまってることがあるかもしれない。ともかく、よろしく頼むよ」

 そうですね、と差し出された手に握手で応じると、初日はひとまずここまでとなった。


 後日、研究チームのささやかな決起会を終えて店を出ると、辺りはすっかり闇に包まれていた。
 耐えられないほどではないにせよ肌寒い夜気が、アルコールで上気した頬に心地よい。大学病院の近くに借りたアパートへは充分に徒歩圏内だったので、僕は少し辺りを散策しながら帰ることにした。
 家探しやら荷物の搬入やら手続きやら、こまごまとやることが尽きず、肝心かなめの街の状況を知る時間がまるで取れずにいたのだ。

 春の街と呼ばれるだけあって、高低の街路樹は言わずもがな、道すがらの家々や空き地まで色とりどりの花をつけている。注意深く見ていくと、色違いでチューリップだけを飾っている家や一本だけ立派な桜の木を生やしている家など、それぞれに個性があるようだった。

 ふと、街道を進む途中で行き当たった河川に沿って、藤棚が伸びているのが目に付いた。宵闇に薄紫の帯が浮かんでいる。
 まるで異界を流れる川のようで思わず立ち止まって見とれていたのだが、道を挟んだ反対側に公園らしき入り口があるのに気づくと、ふらふらとそちらへ歩きだしていた。

 石碑のような門柱には、都市緑化植物園と刻まれている。
 なるほどと思った。向かいの藤棚とこの植物園は無関係ではないのだろう。それにしても、これだけ花が溢れる街にある植物園とはどういったものなのだろうか。

 時間が時間なので金属柵の高い門扉は閉じられているのだが、酒で気が大きくなっていたせいだろうか、僕はよじ登って不法侵入してしまった。

 園内は植物園というより、公園と呼んだほうがよさそうな雰囲気であった。所狭しと名札を付けた植物が並んでいるというわけではなく、公園の中の要素として植物が楽しめるようになっているようだ。菜の花の植え込みを囲むようにベンチが置かれていたり、生垣を迷路のように配置してみたり、といった具合に。
 もちろん、ようく注意深く見ていれば、生まれてこの方見かけたこともないような草花もあって、名札でその馴染みない名前を確認できたりもする。

 咲いた梅が立ち並ぶ道に差し掛かった時だった。
 ほとんど灯りもない道の先で、人工的な赤色がチラリと見えた気がした。

 まさかと思いながら早足に近づいてみると、やはりそれは見覚えのあるキャリーバッグのようだった。しかし、それを誰が引いているのかまでは見えず、すぐにまた暗闇の中に消えていってしまう。

「彼女がここに?」そんなバカな事はないと頭を振る。
 なにか空恐ろしいものを感じながらも、正体を確かめずにはいられなかった。こちとら神経科学者である。飲酒も含め、過度のストレスによって何かを見間違えてるに違いないのだ。
 あるいは、全く何もないのに幻覚を見ているのだとすれば、それなりに付ける薬だってある。
 ようやく人生を好転させられるかもしれない研究チームに入れたのだ。不安の芽などさっさと摘み取るにこしたことはない。

 思い切り地面を蹴って走り出した。しかし、バッグの車輪を視界に捉えて以降、一向に距離が縮まない。

 なおも追い縋ろうとしていると、突然、周囲が明るくなったように感じた。見回せば、道の両端で桜が満開になっている。
 藤がたなびくぐらいなのだから晩春あたりのはずで、こういった桜は葉桜も散ってしまうかという頃合のはずだ。

 駆けるほど薄桃色の花弁が散る。
 すぐに葉桜が落下する。
 再び蕾が萌えはじめる。

 梅も、白い花をつける木も、咲いては散ってをくり返す。
 木々の根本や隙間で、青、白、紫、赤、黄色、多様な色彩が褪せてはまた煌めいていく。

 不思議な高揚感に包まれて、夢中になって走っていた。

 舞った花弁が闇夜を覆う。
 周囲に溢れる色彩が虹のようにキラキラ輝く。

 白い天蓋から陽射しのような温かさが降りだすと、辺り一面は花と土の甘い香りに満ちた。

 僕は気づいていた。これが春病なのだと。今ならまだ引き返せるかもしれないと。
 しかし、もはや虜だった。

 すっかり白くなってしまった世界の中で、キャリーバッグも見失い、ひたすら思うままに走り続けている。

 不意に肌を強張らせるような強い風が吹いた。
 前方で、カーテンがひらめくように白がめくれ、そこには人影があった。

 祖母に手を引かれて歩く、小さな僕だ。

 バタバタと白がはためく。
 二つの影が見え隠れする。

 そのまま消えてしまうような気がして、僕は急いだ。
 距離はみるみる縮まっていく。

 腕を伸ばす。
 ついに幻影に手が届く――

 その刹那、僕の体は風になってしまった。

 僕に吹かれた子供の僕が後ろを振り向く。
 息を切らせて走ってくる大人の僕には気づきもせずに、また祖母に手を引かれて歩きだす。
 へばって立ち止り息を荒くしている僕を、後ろからジャージ姿をした高校生の僕が抜き去った。彼が走っていくその先の方で、臨床医に鞍替えしたらしい僕が、彼女と腕を組んで歩いている。もう一方の手で、赤いキャリーバッグを代りに引きながら。
 途中でへたり込んでる僕を、参考書片手に歩く僕が不思議そうに一瞥して通り過ぎた。

 僕はそんな僕を、うららかな春の内側から、いつまでも眺めていた。


(了)

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