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異形の匣庭 第二部⑧-1【勉強会】

 どんよりとした気持ちで向かった縁側で、祖母がお茶を飲みながら待っていた。隣に座るよう促され、のどかそのものの縁側に腰掛ける。お礼を言って差し出されたお茶を飲みながら、島根特産らしいお菓子に手を伸ばした。出雲三昧という名前らしく、粒入りの羊羹を落雁と求肥で挟んであり、見た目からしても美味しい。一口かじると、滑らかで柔らかい感触の中から、甘すぎず小豆の濃密で優しい味わいが口いっぱいに広がった。
「セツさんあの……父と話しました。仕事で忙しいから後で連絡するそうです」
「他には何か言っていましたか?」
「…………ここにいてくれた方が助かるって」
「そうですか」 
 何を話すでもなく、お菓子にかじりつきながら黙って庭を眺めていた。僕の背丈の半分くらいの岩がいくつかと、綺麗に切り揃えられた松の木。それに人工の池まであって、ご丁寧に鯉が二匹も気持ち良さそうに泳いでいた。
 祖母と父がどんな関係性なのか知らないけど、今考えている事はわかる。大体みんなそんな顔をするから。可哀想にとか大変ねとか、ダメな父親だねとか。
「あの鯉の名前を知っていますか?」
「……錦鯉?」
「半分正解です」
 突然鯉の名前を聞かれても普通皆知らないと思うけど。
「手前の銀と赤が菊水、奥の銀一色が銀松葉と言う品種だそうです。菊水の年齢は今で大体三十歳。銀松葉はまだその半分程度であなたとほぼ同じ年齢です」
「錦鯉じゃないんですね」
「ええ、大雑把に分けて色が付いていないものをノゴイ、色の付いているものを錦鯉と言って、江戸時代に錦鯉の方が突然変異で生まれたんだそうです」
「それは驚いたでしょうね」
 祖母は軽く「ええ」と一言答えて草履を履き、餌が入ったバケツを持って池に近づく。
「この二匹が来る前には、七十歳とそれは長生きした鯉が悠々と泳いでいました。ある日ぽっくりと死んでしまいましたが、シゲさんが代わりにとこの菊水を連れて来てくれました」
 餌を池に落とすと、鯉たちは一心不乱にパクパクと口を動かして餌に食らいついている。
「あなたもあげてみますか? きっと喜ぶと思います」
「いいんですか?」
 バケツを受け取り祖母に倣って餌をまこうとすると、その動きを察したのか、鯉達は何も無い水面を食べ始めた。まだ餌を見せてもないのに、人が来たら貰えるって覚えている。考えなくても勝手にその日の食料が落ちてくる、それが当たり前だから。
 もしこのまま餌をあげなかったらずっと口を開け続けるのかな? 貰えると信じてずーっと待ち続けて。餌の為に。

 空になったバケツを軒下に置いて、また縁側に腰掛けた。まだ鯉は口を一定のリズムでパクパクさせている様で、水の揺れる音が聞こえる。最初は面白いと思って見ていられるけど、途中から言いようのない嫌悪感を感じてちょっと敬遠してしまう光景だった。同じ感覚になる人は結構いるらしい。
「ところで、昨日はこの世のものではないものを目にしたかと思いますが、率直な感想を聞かせて貰えますか?」
 気を使って父とは関係無い話をしてくれている。いくら祖母でもほとんど他人みたいなものだし、父の事も話す気分じゃない。その気分になる事は多分、ない。だから父の事を聞かれたり、上辺だけの言葉を貰うよりこっちの方が断然ありがたかった。
「まだ半信半疑という感じで……このノートに手足が生えてきて目も付いてたのに、夢でも見てたのかなって」
「夜が明けると姿を消しますから、夢の様な存在であることは確かですね。あなたが知らないだけで、目を向けて見方を変えることが必要です。そうすればそこら中にいる事を感じられますよ」
「……それは八百万の神みたいな事ですか?」
「よく知っていますね、正にその通りです。太古の昔から人はあらゆる物を崇め、畏れてきました。太陽や月、大地に水。時には人や動物も信仰の対象になります」
 日本だと安倍晴明や平将門、狐やカラスなどですねと付け加えてくれた。東京の家の近くにも学業の神様として人を祀った神社があった様な気がする。
 担任の先生も高校を受験する時にそこにお参りして、おみくじも大吉だったから受かったんだと冗談交じりに話していた。おみくじの学業の欄に万事上手くいくと書いてあったので、思い切ってワンランク上の高校を受けて見事受かったらしい。そこから、私は神頼みしましたが皆さんは自分を信じて勉強すれば大丈夫ですと締めくくった。神頼みなのか自分頼みなのか、どっちなんだと心の中で突っ込んだのをふと思い出した。
「セツさんは神社なんかに行った時、よく見るんですか? 狐とか猿とか」
「いえ、見た事は殆どありません。そもそも見ようと思ってもそうそう見れるものではありませんから。神は気まぐれで付喪神ほど頻繁には姿を現しませんし、現れたとしてもそれこそ夢の中程度のものです」
「……あれ? でも万屋って神様を天界に還す仕事をしているんですよね? でも殆ど会った事がないってどういう事ですか?」
 昨日、晩御飯を食べる前に祖母自身がそう言っていたはずじゃ……。
「確かにそう言いました。ずるい言い方をしますが、別に間違った事は言っていません。実際に依頼があればきちんと仕事をします。ただ、依頼が来てもお断りするケースの方が多くなっています。私よりも燈の方が精通していたからです。精通より解る、という表現の方が適当ですね」
「じゃあ……母さんが神様の担当ならセツさんは何を担当しているんですか?」
「それは、あなたが持っているノートと同じ類のものですよ」
「付喪神……は妖怪の仲間」
「そうです。ノートの後半に付喪神の説明も書いてあるかとは思いますが、私がもう少し詳しく説明しましょうか。しばらく待っていてください」
 そう言うと座敷に上がって、襖の奥に何かを取りに行った。時間が掛かりそうだったので、祖母が言ったノートの後半部分を捲って付喪神の記載があるページを探す。何度も読み返していたからそのページはすぐに見つかった。
 『付喪神』、長い年月を経た道具に精霊が宿って付喪神となる。妖怪の一種。元は、道具が作られて百年経つと変化すると言われていたが、厳密に年を数える必要は無く、大まかに大事に使われたか否かで左右される。その中でも捨てられる際に妖怪に変化した物を『九十九神』と形式上区別する。基本的には後者が多く見られる。
 意味は理解していたけど、そうなんだくらいにしか考えていなかった。つまり両者の違いは最終的に捨てられたかそうではないかって事で、本質的には一緒でも細部が違う。

 このノートは『付喪神』と『九十九神』、一体どっちなんだろう?

 物言わぬノートを閉じて背中側の部屋を見回す。この縁側に面している部屋は大きな一枚板のテーブルがある仏間兼応接間で、九畳半もあるかなり広めの間取りだ。ワンルームとしてもそこそこ大きいのに、畳の上にはテーブルが一つしかない贅沢な使い方だ。薄黄緑色のザラザラした壁には、掛け軸と先祖代々の写真や肖像画がずらっと並べて飾ってある。古そうな順に左から見ていくと写真はカラー写真になる前で終わっていた。
 こういう所に飾ってあるのは遺影で、故人を思い出す為の昔ながらの風習だ。遺影を壁に並べて飾るのはそれだけ長い歴史が積み重ねられた証拠でもある。逆にまだ新しい家の仏壇に遺影が多いのは、悲しい事かもしれない。近年では仏壇に飾っておく方が主流で、そもそも仏壇はお寺の本堂を小さくして家に設置出来ますよ、という考えが元だ。今ではデザイン性やサイズ感を重視した物が普及しているそうだ。
 ちなみに東京の家に仏壇は無い。
 これだけ覚えてるんだったら民俗学の学者にでもなろうかな、調べるの嫌いじゃないし。何だったら万屋で働かせてくれるかも。セツさんも喜んでくれるんじゃないかな。
 ぼやっとそんな事を考えていると、祖母がダンボールを抱えて戻って来た。中身がパンパンに入っているみたいだったので、下ろすのを手伝って受け取ったカッターで封を開ける。中身は大量の封筒や紐で綴じるタイプの台帳(小学校で使う出席簿と同じ形だ)で、草書体で書かれていて読めない名前もあった。
「これは燈が受けた依頼とその内容をまとめた台帳です。燈が万屋の仕事を手伝い始めたのが十四の時でしたから、ざっくり十六年分の量になります。継、今まで出会った神や妖怪の数々が記されているこれらを見る権利と資格が、あなたにはあります。自分の母親の事を何も知らずに生きていくのは、自分が何者なのか知らない事と同義です。孤児が自分の本当の親が誰なのかを知りたいのも、今のあなたと同じ理由ですね」
 母親はいないし、父親はいつも家にいない。一応お金はくれるけどお小遣いより生活費的な意味合いの方が強い。毎年のお年玉もいつの間にか机に置かれているだけ。これじゃあ僕も孤児みたいなものだ、と。
 ですが、と祖母は言葉を付け加える。
「知らない方が良い場合もあります。怪物と戦う者は、その過程で自らが怪物に化さぬ様心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ……フリードリヒ・ニーチェという哲学者が書いた、善悪の彼岸に出てくる有名な一節です。キリスト教に対する甘えや虚無感についての表現なので、表面だけをお借りすると、深淵を覗かなければ向こうも気付かない。神も妖怪も霊も、こちらから干渉しなければ何の問題にもなりません。普通の人はそうして暮らすのが当たり前で、下手に触るから祟られたりするわけです。継は昨日からの一連の出来事で片足を突っ込んでいる状態です。このままいけば全身浸かってしまい、向こうからの干渉をモロに受ける様になります。興味本位でそこら辺の心霊スポットに行くのとは訳が違いますから…………継、あえて自分から危険に飛び込む必要は無いんですよ?」
 その危険は怪談の中で起きる様な被害を指しているらしかった。昨日見た黒いウネウネしたあれも、やっぱり危険な物の一つだったのか。足を絡みとられて飲み込まれる想像も、あながち間違いじゃなかったみたい。
 もしかしたら死んでいたのかもと思う一方で、どうにかなるでしょって対岸の火事的な感覚もどこかにあって、結局僕は背伸びに気付こうとしない子供だった。
「……いえ、教えて欲しいです。このまま何も知らずに帰ったら後悔する様な気がして。折角母さんの事教えてくれる人がいるのに、モヤモヤしたまま帰りたくないんです。それに……なんて言うか変な感じだったんですけど、昨日付喪神に会って懐かしいって思って、それに言ったんです、お前は可愛げが無くなったって。つまり……僕は小さい頃に彼を見た事があるんですよね?」
「……ええ、思い出せないだけで会っています。なにせこんなに小さかったですからね。良いでしょう」
 ダンボールの中から一通の封筒を取り出して、僕の前に置いてくれた。消印は二十二年前の六月で差出人の名前は書いてなかった。
「血は争えないとはまさにこの事ですね……さ、読んでみなさい」

 中の手紙には母さんに宛てて、とある鏡についての悩みが綴られていた。

 曽祖母に当たるタエという女性が神奈川の家に嫁ぐ際、嫁入り道具として三面鏡を持って行ったそうだ。長年使い続けて自分に譲られたのだが、結構な額の入り用が発生してしまい、値打ち物になりそうだったので売ろうと家族と相談して決めた。しかしその夜から鏡に不思議な物が写る様になったという。顔が歪んだり、着物を着た女性が背後に居たかと思って振り返ると誰も居ない。勘違いかと前を向き直ると、更に近い位置に目玉の無い女性が来ていたりと、驚かされる事がとにかく頻繁に起きる。売りに運び出そうとすると絶対に誰かがつまづいて怪我をしてしまい、売るに売れない状況が続いた。仕方なく布を被せて物置にしまっていると、今度は全く別の鏡が化け物を写す様になり、終いには母が鬼の手に触られてしまった。誰に話しても取り合ってくれないので助けてはくれないか。そういう内容だった。
 続けて祖母は台帳を開いて僕に見せてくれた。母さんが付けていた日誌らしく、日付をみると母さんがまだ僕と同い年の頃だった。丁寧な字ではなく年相応の雑な印象を受けた。
「……十一月六日。雲外鏡を発見。場所は神奈川県芦ノ湖周辺、某郡。築百年を越す民家にて。嫁入り道具の鏡台が今年五月より雲外鏡に変化。九十九神としての意識あり。持ち主に使われたいか妖怪として過ごすかを聞いたところ、まだ使われたいとの意思があった為、天昇の儀を執り行い、持ち主に説明。家に置いておくことを約束」
「燈が十五の時、初めて自分で集めた奇譚です。雲外鏡は、鳥山石燕という人物が創作した九十九神の一つです。鏡の中に化物の顔を映し出して、人を驚かせる事が好きな妖怪です。直接触ったりはしない妖怪なんですが、それ程家に居たかったのでしょうね」
「でも、捨ててる訳じゃ無いのにどうして妖怪に? 百年経ったからですか?」
「いいえ、この手紙の主は捨てたとは思っていませんが、鏡からしたらどうでしょう。百年も家に居て、代々見守って来たのにお金の為によそへ売られるなんて、捨てられたと思っても不思議ではありません」
「捨てられたって……物にも感情があるみたいな言い方ですけど」
「もちろんありますよ。継も見たでしょう? 物には感情もあれば性格もある。物を大切に扱えばいつか恩を返してくれます。物を簡単に買える現代で、一つを長く使おうとする人や丹精込めて作る人は、残念ながら減ってしまいました。ただ消費するだけで、感謝を忘れてしまっているのです。二つはもっと寄り添わ無いと生きてはいけません」
 母さんは助けられたと言った。カラビナは大事にされたからお返しに命を守ってあげた、それは二つが寄り添い合っていたから。じゃあやっぱりカラビナを受け取らなければ母さんは山で死ぬことも無かったんじゃないだろうか?
「台所にいますから、分からないことがあったら箇条書きにしても良いですし聞きにきてください。時間は有限ですから、本当に聞きたいことだけをまとめる様に。それと、もう一時したらシゲが来ますが、霊に関してはシゲの方が詳しいのでシゲに聞いてください」 


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