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異形の匣庭 第二部⑧-2【勉強会】

 祖母は昼ご飯の準備をしに行ったので、日付の古い順にひたすら読み漁ることにした。手紙を一枚読む度に説明されていたんじゃ、どれだけ時間があっても足りない。夏休みが終わる前には東京に帰る事が前提で承認された、公認(?)の家出なんだから、有効に使わなきゃ。家出の場所を親に把握されてるっていうのはかなり居心地が悪いけど……。
 二つ目の手紙には夢にお釈迦様が出てきて、仏間の戸が開いているから締めるようにと叱られた話が書かれていた。昼間、子供がふざけて開けたままにしてしまい、明るくて眠れないと仰った。きちんと説教して気をつけさせよ、と言われた所で目が覚めたという。仏壇を確かめに行くと確かに扉が若干開いており、そこから中に常夜灯の光が入り込んで丁度本尊の顔部分に当たっていたそうだ。翌日、子供にきちんと仏壇の説明をし、お供え物をあげたのち床に就くと、再度お釈迦様が現れお礼を言われた。その一年は誰も怪我も病気もする事なく、無事に過ごす事が出来た。そのお礼には何をしたら良いか? という内容だった。
 外国からも手紙が来ていたけど、流石に全部英語で書かれていると読めなかったので台帳で確認してみた。
二月十七日、ジョバンニ・ブラゴリン作『泣く少年』の複製を拝見。見た目には普通の絵だが、持ち主のジェイコブ氏の家が全焼。焼け跡から無傷の絵が出てきた事で、その力を再認識しこちらに郵送。三月二日現在、新たに小さな社を製作し厳重に保管中。同種の相談を四件確認済。いずれもイギリスより。
 他にもダムに出て来る自殺者の霊や、狐憑きへの対処法の相談が数多く寄せられていた。中には伝説の生き物を見たなんて物まであって、『万屋』だけに依頼も千差万別、国内外問わずといった感じだ。どこからこの万屋の噂を聞きつけてくるんだろう。駅前の交番に聞いてもこの家の事は知らないって言うし、その割には大量の封筒やら手紙が届いている。この家まで手紙を届けてくれる妖怪でもいるのかもしれない。
 何となくカテゴリー毎に分けていくと、祖母の言う通り神様に出会っている人が少なくて、次いで妖怪、一番多そうなのは幽霊の順だった。まだ全部読んではいないから偶然そうなっているのかもしれないけど、きっとこの感覚は正しい。そんなに頻繁に神様に会えたらありがたみが薄れそうだし……。

 手紙を三分の一程読み上げた所で、軒先から「おーう、学生らしく勉強か! いいねー青春だなこりゃ」と野太い声が響いて来た。顔を見なくても分かる、シゲさんだ。何かしら収穫があったのか、竹かごを背負って左手には麻袋を持っていた。結構膨らみがある。
「シゲさん、何か取れたんですか?」
「ああ、山菜とキノコと野ウサギが二羽にマムシ一匹ってとこだな」
「マ、マムシ!? マムシなんか取ってどうするんですか!?」
「どうするってそりゃあ食べるに決まってるだろ、それ以外何があるんだ?」
 平然と言ってのけるけど、毒もあるのに食べたら死んじゃうんじゃ……僕の顔にそう書いてあったのかシゲさんは笑って教えてくれた。
「基本的に毒持ってる奴は二種類居てな、食う為に毒を使う奴と食われない為に毒を使う奴。この二種類の内、蛇なんかは食う為に毒を使う。フグとか蛙とか弱い生き物は食われない様に使う方だ。蛇なんかの毒は傷口から体に入るとヤバいんだが、そのまんま胃の中に入ると胃酸で殺してくれる。自分が殺した相手を食べて自分が死ぬなんて、馬鹿にもほどがあるだろ? まあマムシより強い毒持った奴を食べてどうなるかは知らんけどな」
 言われてみれば確かにそうだった。その蛇自体に免疫があるのかと思っていたけど違うんですね、と言うとまた笑われた。
「いやいや、同じ種類の蛇同士、毒同士なら免疫は持ってるよ。それに、毒は頭の部分で作られるから、食う時にそこさえ落としてしまえば平気なわけだ。まあ切り落とした後にも噛み付く事があっからそれだけは注意しないといけないけどな」
「トカゲの尻尾みたいに動くってことですか」
「そうだぞ、ほらこの辺かな」
 指差した袋の右下辺りがゆっくり動いている。近づいてみると小さく物が擦れる音も聞こえる。本当に首を落としてもまだ生きてるんだ……。
「マムシとか毒がある生き物が沢山いるのに、山に入って怖くないんですか?」
「そりゃ怖いさ」
 麻袋と背負っていた竹かごを地面に優しく置いて、服についた泥を軽く払い縁側に腰を下ろした。
「山っていうのは神聖な場所なんだ。本来は人の領分じゃなく草木や虫、獣の住む所だからな。そこに分け入っていくのは人ん家に勝手に入る不法侵入と一緒、山に住むモノに許しを得る必要があるわけだ。でないと……山は人を喰う。こうやって俺が獲物を獲らせてもらえるのも山を知り、山を畏れ敬う事を忘れていないからだが、忘れてしまった時にはいつも痛い目に合う。その辺の馬鹿はそれを弁えてないから、後々取り返しのつかない事態を引き起こすんだ。やれ肝試しだ、心霊動画だってな。燈が受け取った手紙を読んだんなら、俺が言ってる事理解出来るはずだ。今は実感が湧かなくても、きっといつかな」
「……そうですね」
 シゲさんは母さんの事を知っている。山で死んだことも知っているはずで、今の話だと母さんは山に喰われたって言ってるのも同じじゃ……それとも別の何かがあるってことなのかな。知らないことばっかりだ。
「まあそう一度に色々考えたって分かるもんでも無し、ゆっくりじっくり学んでいきな」
「…………はい。ありがとうございます。あのまだ時間ありますか?」
「時間? ああ、まああるが、聞きたいことでもあるのか?」
「気になる、って程でも無いんですけど……セツさんからシゲさんは幽霊に詳しいって聞いたので。これなんですけど」
 見せたのはその他に分類した封筒が三通と、それの内容を記した台帳のページ。幽霊でも妖怪とも違うよく分からないものだったので、どこに分類すればいいか聞きたかった。
 その他のカテゴリーに振り分けたものは、相談者は勿論母さんでもよく分からないもの、になる。よく分からないけど部屋にいる黒いやつ(あの黒光りするアイツでは決してない)とか、ローカルの都市伝説とかをその他に分類している。僕が山中で出会ったあのウネウネした何かも一応ここに入れている。
「読むついでに仕分けてたんですけど、幽霊でもないし妖怪でもないし、この三つだけどれにも入れられなくて」
 どれ、と宛名を見るなり顔色が変わった。そもそも中身を知っているようで、三通とも宛名だけ見て傍に置いた。
「これは、そうだな……」
 山男の眉間にシワが寄り、次の言葉を慎重に考えている。
「俺が、俺から教えられるのは山のことと、霊のちょっとしたあれこれだ。で、婆さんは妖怪に精通してる。まあそもそも婆さんが妖怪みたいなもんだから、当たり前かもしんねえがな。あとは東北に神さんと話した事がある巫女がいるのは知ってる。優劣はあれど他にももっといるんだが、俺も婆さんも含めてこいつらに関しては手を焼いてる。いや……手を焼いてるなんてもんじゃないな、交渉も出来なければ簡単に返す事も破壊も出来ない。どんな悲しい生まれがあろうとも、存在そのものが悪。あんなもんがこの世界に存在するっていう事実が俺は悍ましいよ」
「悍ましい、ですか」
「そうだ。人間という種が生み出した負の遺産の、その最たる物の一つだよ」
 負の遺産と言わしめるほどの情報を三通の手紙からは得られなかったけれど、確かに他のとは違う不気味さがあった。明確にどこがどう違和感とか説明は難しい。
「例えばこれだが……第二次世界大戦中、敗戦の色が濃くなった事を受けて日本軍は人里離れた山に穴を掘って基地を設け、その中でとある部隊が極秘裏に実験を繰り返してた。具体的な内容はあんまり酷いんで省くが、簡単に言えば人体実験だな。その過程で産み出されちまった代物がこれでなって大丈夫かこんな話して」
「大丈夫なわけないでしょう」
 台所にいたはずのセツさんが僕に代わって返事してくれた。見ればその手には赤茶色のお盆を抱え、お盆の左端からは優しい香りのする湯気がゆらゆらと揺れている。
「おおう、別んとこにいたんじゃなかったのか」
「ええ、いましたとも。でもどこかの誰かさんがおしゃべりなせいで気が散って仕方がなかったんですよ。全く、ちょっと目を離した隙にこれなんですから」
 シゲさんの声は小さくしようと努力してやっと普通の人と同等だし、台所まで聞こえていたのはまず間違いない。そしてそれはどうやらセツさん的にあまりして欲しくない内容だったらしい。
「シゲ、あなたは段階という言葉を知らないのですか」
「おいおい婆さんこそ何言ってんだ。ここにいるんだったらいずれ知ることになるんだし、坊主なら理解出来るだろうさ」
「理解出来るからと言って、いつでもどこでも話していい訳ではないのですよ。公式も教えず応用だけ教えて誰が数式を解けますか」
「なら何故読ませたってんだ? 段階を踏ませたいなら読ませる方が間違いじゃねえか」
「それはそうですが、ここにあるはずが」
「去年の夏だったか鳴海に片付けさせてたろう、それのせいじゃねえか」
 ああ、そうでしたねと眉間に皺を寄せて肩をすくめた。そのまま数秒固まった後憑き物でも落とす様に息を吐き出して、お盆を応接台の上に置いた。湯気を立てていたのは、昨日の夕飯にも出てきた味噌汁に似た汁物で、数匹のドジョウがちょこんと口を開けて横たわっている。
「責任の所在はさておき、今は過程よりも結果だ。しのごの言わずにさっさと教えた方が話も前に進むさ。坊主もモヤを抱えたまま過ごしたくはねえはずだし、第一、関係ねえ話でも無えだろ」
「継のことを思えばこそです。わざわざ危険に晒す必要がどこにありますか」
「だったら今すぐにでも空港に送るべきだ。関係性がどうあれ死ぬわけじゃない。どのみち夏休みが開けるまでには帰んなきゃいけねえんだから、それがちょっと早くなるだけだ。使いもしねえ点Pなんざ教えても知識ひけ散らかすバカになるか、さもなきゃその辺の山で野垂れ死ぬのがオチだろうよ」
「あの」

 鳴海が昨日言い放った事はしっかりと心に棘を刺してはくれたものの、根本的な解決策にはなりそうにもなく、むしろ余計に自己中心的なんだと分からせてくれた。ある意味では物事を悪い方向に進ませる事に快感を覚えているのかもしれなかったし、無意識的に悪路を選んでいたのは自分でも理解していた。この家出も今からの小さな逃走も止められないのは、どんな面倒からも逃げたい気持ちが僕の大半を占めているからだと思う。

 大した悩みもない癖に逃げる努力だけは惜しまない、そんな自分がたまらなく恥ずかしい。


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