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校舎内の禁足地 十一

 翌日、長住さんから頂いた住所を元に、数本の電車を乗り継いで最寄りの駅へと到着した。長住さんは既に改札で私の事を待っており、白一色の衣装に身を包んでいた。軽い挨拶を交わして今日一日の流れを聞くと、早速件の場所へと出発した。話に聞いていた通り街並みは至って普通であり、まさかここで何人もの子供が失踪し、凄惨な死を遂げた人が複数いるとは考えられない程だった。ただ、以前よりは高層マンションも増え、この街からオリンピック選手が現れたことも相まってか、活気に満ちている気はするとのことだ。
 駅から車で十分程で目的地へと到着した。
 禁則地を持つ学校には全体に錆びた雰囲気が漂っているのか、あるいは一瞬で分かる程の黒いオーラでもあるのか、そう心構えていたのだが肩透かしを食らったように何の変哲も無い学校だった。街と同じように至って普通のどこにでもありそうな学校。強いて言えば、爆心地である三階真ん中の教室の窓に大量の新聞紙が貼ってあるくらいしか違いが無い。
 車から降りて昇降口まで進むと、作業着に身を包んだ男が数人と宮司らしき人物が立っていた。傍らには工事用の掘削機らしき物とお酒や神具が置いてある。
「あの、今日生徒さんと教師は?」
 土曜日とは言え教師の一人もいないのはおかしい。そう聞くと長住さんは
「全員勉強会に参加してもらってます。お伝えした通りこれから教室の中を掘り起こしますが、万が一邪魔でもされたら嫌なので」
 成るほど、と私はうなづいた。長住さんはこの十年、ひたすらに両親の説得を続けてきたそうだ。この街で一番権力を持つ家、長住家の家長になれさえすれば、それは最早役場のみならず警察、街全体を支配するに等しい。その家長である両親、ひいては父を説得し、長く続く人柱の悲劇を終わらせようとしたのだ。もしもこれが祖父母であったならそう上手く事を運べなかっただろう。彼らは人柱の利益を一から十まで享受してきた身なのだから。比べて両親は声は小さくともこの利益を良しと出来ずにいた。如何に我が子を人柱にしない為とは言え、他人の子を差し出すのに相応の心労を抱えていたし、この街や人の為にならないと思ってもいた。それでも十年の月日が必要だったのは、父がどうしても長住さんを就職させてからにして欲しいと懇願したからだ。なぜ就職まで待つ必要があったのか、それはだけは教えてくれなかったが、やっと今年の春から新社会人としての生活がスタートしたのを機に何度目かになる説得を試み、了承を得た。ということらしい。就職先が県外になったのもあるがすぐに実行出来ず、今年の創立記念日の前日になってしまったのだった。ある意味では丁度良かった、というべきかもしれませんがこれが吉と出るか凶と出るかはまだ誰にも分からない。
 また、作業員の一人は以前話をしてくれた菊池君であり、この因縁を終わらせる為に集まってくれていた。長住さんにとってこれ以上ない程に心強い仲間だろう。
 再度行程を確認し、三階へと階段を登って行く。今は真昼間かつ真夏だというのに、うすら寒い感覚を覚えているのは私だけではない。階が上がるにつれて暑かった空気が生温くなり、菊池君や長住さんが散々語ってくれたドブの様な匂いが強くなっていった。宮司もそれを感じ取っているのか、分かりやすく目が泳いでいる。途中で逃げ出さなければ良いが。
 三階に着くとやはり話の通りのバリケードが存在していた。物自体を交換していないのだろう、机の天板は劣化して剥げて奇妙な模様を作り出しており、脚は殆どが錆びきっていて今にも折れそうだ。
 長住さんが一言
「お願いします」
 と言うと、宮司は大幣(おおぬさ)を構え祝詞を唱え始めた。大抵の場合何か起きると思われるが、今回はそうならなかったのは彼女との「約束」が生きているからだろうか。
 最後に御神酒を机に掛け撤去作業が開始された。チェーンを切り落とし、流れ作業で机を廊下の脇によけていく。これを戻すかはさておき、開け放たれた廊下を見た人は驚愕するに違いない。五分とかからず机は廊下に横並びにされ、教室への道が開かれた。赤い上靴は無い。
 長住さんを先頭に教室のドアの前に立つ。ここに入るのはあの事件以来初めてになるが、今中がどうなっているのか誰も分からないと言う。
「やっぱりやめた方がいいんじゃないですか」
ぼそりと宮司が呟いた。菊池君を除く作業員も、頷きこそしないが同調している風の顔だ。わざわざ危険を冒す必要がどこにあるのか、享受出来るならそれでもいいじゃないか、と言わんばかりである。しかし、ここで引いてしまえばもうチャンスは巡って来ないと長住さんは分かっていた。彼女との約束を反故にする事はつまり、これからも延々と子供に犠牲を強いる事であり、本来起こるはずだった自然災害を他所に擦り付ける事だった。
 約束から十年。街は順調に発展を遂げてきた。勿論時代と共に街が発展するのはどこも同じであり、そこに違和感はない。だが、歪みを引き受けている隣町は違う。毎年の様に土砂崩れや川の氾濫に見舞われ、作物も育たなくなっていた。この十年でそれらが加速しているのを長住さんも菊池君も肌で感じていた。だからこそ今ここで止める訳にはいかない。歪んだ物は真っすぐに正さなければならない。
 意を決し、ドアを開く。途端に閉じ込められていた生温く腐った空気が、止めどなく廊下になだれ込んで私達を包み込んで、足元からゆっくりと鳥肌が立ち背筋を冷たい物がなぞっていく。
 踏み込んだその教室は据えた臭いが充満し、散り積もった埃と砂で鼻と喉が粘りついた。長住さんは温い空気を割いて窓の方へと駆け寄り、勢いそのままに古びた新聞を破り捨て窓を開け放った。紙の破ける音と共に数十年ぶりに差し込んだ陽の光が舞い立つ埃を照らし出し、黒く絡みつきそうな影を教室の隅へと追いやっていく。次々と新聞を破き窓を開けると、ここに人で人が消え、死んでいったとは思えない程普通の教室に様変わりしていく。本来のあるべき姿に近づいたとも言えるが、それにはまだ一つ異物が存在している事を忘れてはならない。
 彼女がこの教室のどこに埋められているのか判断が付かない以上、とにかく床を剥がしていくしかない。
 蒸し蒸した教室の中、彼女の救出作業が始まった。
 まずは一番可能性の高そうな教室の中心から攻めていく。木製のタイルをバールを使って剥がしていくと、コンクリートの床が姿を現した。一昔前の塗装には有毒の物が使われていたと言うが、これがそうではないことを祈るしかない。四畳半程の広さのコンクリートが見えた所で、今度は破つり機を使用して少しずつ砕いていく。
 本当に床に埋まっているのだろうか。爆心地が三階なのも要素の一つだが、何故床にあると予想されたかの理由のもう一つは、二階真ん中教室の梁が見えない作りになっていたからだと言う。
 多くの建築様式の場合、天井を見上げると梁が見えている事が大半で、その上に床スラブという鉄筋コンクリート構造の床が乗っかっている。下駄の歯が梁で、足を乗せる台を床スラブだと考えれば早いだろう。二枚歯の下駄の歯と歯の間が埋まっているのが二階から確認出来たために、教室の床にあるだろうと予想したのだ。
 謎はある。土地に起きる災害を鎮める為なら、普通地面に埋めたままにしないだろうか。校舎を建て直したとしても、わざわざ校舎の三階に移す必要がどこにあるのだろう。
 ……彼女を掘り起こせさえすれば謎は解明され、大きな歪みは元に戻るのか。

 バキャッ

 それまでとは違う音が教室に鳴り響いた。
 コンクリートを脇によけていた長住さんが駆け寄り、細かくなった欠片を手で払いのけていく。

 そこには、古びた紙で一面を覆われた木製の箱が床に埋まっていた。


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